boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

Lionel Rose・豪州の原住民(1958-2002)「日本は第二の故郷」

これも同じく参照に、


アヤラ

ボクシングマニアですがこれは「ボクシング」は関係ありません。


原住民とは:
豪州の原住民をさす場合はうえのAborigineを使います。あとは大抵「Native」「First Nation」もしくは「Original Inhabitant」とでもなるはず(たぶんあってるはず(^_^;


豪州の場合は、北米とは「南十字星」でわかれています。こっちが夏なら向こうは冬。発見したのは英国人船長「キャプテン・クック」という男(1500年代中盤・原住民に殺された)。それまでにも「諸所」は断片てきに発見されても「つながってる」大きな大陸とはわかっていなかった。


アボリジニーたちを襲ったのもおなじ。「天然痘」や疫病、伝染病。いかなることがあったにせよ「英国人」さえこなければおきなかったこと(豪州の広大さを中国に当てはめていただきたい。ちなみに戦中の日本政府は日本本土の3倍もあるオーストラリアの北によこたわるニューギニア大陸(ほとんどがジャングル)を「陸続き」として「徒歩」移動を命じた(どれだけ犠牲になったか。うらんでもうらみきれない。安倍などに2度と行ってほしくない(しかも’公’金を使った「道楽趣味」と「自己満足」で)。


あまり深くは(でもいずれ☆)。


ライオネル・ローズ(1959年ー2003年)・4度来日(68=ファイティング・原だから王座奪取,70=東京五輪金のエリート桜井孝雄に判定勝ち,73=王者沼田義明に判定負け。75=ガッツ・石松にノンタイトル10回判定勝ち:


ローズが初来日した年は私が生まれた年。私も実に「共通」する癖がある(豪州アボリジニーは接したことないけど、ここでアメリカではチェロキー族、カナダではイロクワ族(唯一「政治的」にも存在している部族)・ミックマック族(イロクワが好戦的戦闘部族(もっとも勇敢な戦士の傍流に「モーホーク」)がもっとも長期抗戦を継続した(ほとんど全滅)・ミックマックは正反対。比較的フランス人・イギリス人ともうまく行った(もちろん虐殺も疫病もあったけど)フィリピン諸島南部(パラワン・ミンダナオ・ネグロスなどなど)の山中に住む一般フィリピン人より肌の色がくろい土民(マンギャン)がいる(タガログ族でもビサヤ族(ビサヤ語)でもない)。それににていた「政治的」「交渉」などにまったく興味がない未開部族(おくれているわけではない。「天皇制」などに比べればけがれなき神聖なこと。進んでました)。練習が終わるとリングのすみに座って「たばこ」と「パイプ」を吸いはじめる。とくに日本のばあい「タバコ」なぞ「酒」とおなじく論外。


私はたばこを吸いながら2キロ走る。2リットルのドクターペッパーを毎日飲むときもあった(具志堅用高の12度目の防衛戦はチリ「インカ」の血を引く選手だった(8回見事なKO勝ちで防衛)彼もコーラを一日「30本」飲む・・・。


ローズは明るく礼儀正しく「大食い」(これも原住民に多く共通する)でまわりに親しまれた。彼も「日本は第二の故郷」(私にとっても似たようなもの。「心のふるさと」に過ぎず。18歳で出てこの間47歳になった)と語っていた笑顔がまぶたの裏に。


なぜローズを出したかといえば、豪州の英雄として扱われてる他の原住民指導者などと比べて。ローズはあんまり注目されていないから。


2007年に大学で最後に受講した(体を壊し経済難で以降はなし)「豪州現代史」の白豪州人の教授に上の話をしたら大喜びだった「完全に忘れていた。こんなおもしろい話はきいたことない」と(^_^


「自然児」(原住民)たちは「あるものはとことん使う」伝統がある。猿にたばこを吸わせるように毒される(酒は特に北米の場合。致命的だった(豪州とは気候・風土、信仰ともちがう=原住民は黒人とおなじ色(顔はバングラディッシュ人に近い)。あの「酔い」の極地が彼らの「伝統宗教」(信仰)の’神’に近づく直感が似ていたから。


「コロンブス」だ「アメリコ」「マゼラン」(フィリピンマクタン島の首長に殺された)があらわれたとこ「虐殺の痕」ばかりだった。ペリーが沖縄に上陸したのは1853年。浦賀来航の一年前。虐殺が行われた(首里城の周辺にある)。


何がいいたいか?:


私は「欝」と「境界性人格障害」「対人恐怖症」をわずらっている人間。だいぶよくなったにせよまだ薬は離せない(宿命)・重度の濫煙者であり「酒・薬」にも問題をもっていた。


「キチガイ」といわれてしまえばそれまで。しょうがないです。何回かの自殺未遂のあと、精神病院でいっしょだったイロクワ族の女神のような女性が忘れられない(当時わたしは30歳。むこうはおそらく20代)。


彼女の「笑顔」にはげまされた。背が高くイロクワ族独特の長い髪。うっとりするほどの美しい美女だった・・・あの笑顔はおおくほかにもみた気がする(「原住民」(豪州もおなじ)の方々は、誰だろうと滅多に「笑わない」(仕事の同僚もいつも黙々と仕事をしているだけ)。彼女の前でぼくが泣くときもあったし。彼女もぼくの前で泣いた。


われわれは類似点がたくさん。「気弱で」「繊細」(傷つきやすい)。だから「安定剤」「睡眠薬」「酒」に逃げてしまう。


今どうしているやら。なくなってる可能性もある(他の在日の悪仲間もおおく亡くなったか「塀の向こう」)。残念ながら。


原住民・日本人も日本の「原住民」・アメリカ人は関係ない☆


蒋介石が「雲散霧消」となげいた「武士道」「大和魂」を忘れないで☆


これまた「本職」のほうでの紹介にすぎません。


アヤラ

ランボー・ロッキー・アメリカ映画(ソ連)

みなさん、これ別のブログに書いた記事です。おもろいかなと考えのせました。また他のも続けます。


まず、間違ったことをそう思っちゃってるかな?と参照だけ(^_^


他意はいっさいありません。


ロッキー4「Hearts on Fire」


まず「映画」以前の問題として・・・あのソ連ボクサー役(ドルフ・ラングレイ)は本当の空手王者で極真会初段。いつわりの筋肉たくましい(ほとんどステロイド)ロッキーさんのボディを。うっかりラングレイの「手加減」強打がえぐってしまった。


スタローン氏は救急車。1ヶ月入院・・・。


これだけでもう終わったようなものなのでは・・・(^_^;


まず


1、いくらまだ「冷戦たけなわ」(1984年)(撮影現場。スタローン氏の実家からそう遠くない近所)とはいえ「趣味映画」なのもわかります。でもあんなことしません。アメリカからの迎賓を雪原の「ほったて小屋」に放り込む(まあ「ソ連」に行きもしなければ、知りもしない(一般知識すらない=アメリカ人典型(それは逆。旧ソ連人もにたようなもの)。人にイチャモンつけてもいかんのじゃろけど。あのリムジン(ソ連製じゃない)の四方、すみに「赤小旗」(日本といえば「鳥居」だとおもってんのといっしょ)がひらめいてる・・・。

2、あんなトレーニングしません。あんな大ホールジムみたいのもありません。


ー方や、ソ連側のひどい待遇に憤慨しながらも「沈黙の艦隊」(ゴルゴ13?)。それを励みに黙々とすさまじい特別「鍛錬」に打ち込む。


極寒零下ー10℃の凍結大地をもろともせず、自然児ロッキーヌード氏は超人的な「ボクシング?」トレーニングを実施。大木を何本も縄でひっぱりながら雪原をけちらし、ロードワーク(むかしゴルフの中島がCMでタイヤひっぱってたの思い出したよ)原生林の巨木を斧でなぎたおす(あの人たぶん腕立てふせ20回できないし。おれ腕相撲、おそらく勝てるよ(-_-;


*一方チャンピンは一歩も外に出ない。「政治局」だか「最高会議幹部会」またはお好きな「特殊部隊」(ソ連時代はKGBなら「アルファ」部隊・内務省直轄なら「ブラック・ベレー」。それぐらいは調べろこのやろう。だんだんムカついてきた。ボクシングのこともろくにわかっとらんくせに)。幹部たちが見守る中(そんなにヒマじゃねえよ)温室トレーニングに終始。注射をうちまくって、器具ばかりで「ボクシング」自体の練習はちっともしない(これはロッキー氏のおんなじだけど)。


本当は逆だろ?’近所’で「ソ連」映画とってんのも笑えるけど・・・。


ボクシングファンには「ロッキー」なんぞ「ミッキー・ローク」の猫なで(くまちゃん)パンチどうよう。「大真面目」にみてるのは誰もおらん(特にマニアは)。


ランボー特に「怒りのアフガン」(元ポルノ・ヌード俳優)


娯楽作品なのでいちゃもんもどうかなんですけど。やっぱソ連軍を扱ってる以上、ああいうまねをされてはこまる(’1人’で数万を蹴ちらす豪の者精神はわかりますが)


ぜひ今度「ゴルゴ13」デューク・東郷氏と一騎打ちしてほしいな。もしくは「北斗神拳」の拳王(北斗神拳伝承者の長兄)か聖帝(南斗聖拳最強一子相伝「鳳凰拳」伝承者)かやっぱ「ケンシロウ」。勝てるかな?わずか「個人」で元超大国のソ連軍「数万」をほぼ’全滅’させるんだから(*しかもアフガンのどっち側(政府側(いつのどれ?)反政府・ゲリラ(これまたいつのどんな方々)それすら知らんのでしょう)。


*アフガニスタン(ソ連もそうだけど)の歴史や政情はあんな単純な「イワシの頭」(頭脳も発想も’単純’なんだねあーた)ものではない。


1、政治犯だったタラキが社会主義政権を誕生させた(1978年)。ソ連は全面的に支援。ただいささか路線と思想も異なっていた。だんだんソ連のいうことを聞かなくなってきた(アメリカの元子飼い、ノリエガ(パナマ)・ウサマ(サウジアラビアとアフガン)・フセイン(イラク)とおんなじ)要は生意気ぬかすようになった。いっちょうまえに文句までいう。だから力でぶったたく。これはスタローン氏の「小学生映画発表会」レベル考えといっしょだろう)。


だから別の(アミン=結局、タラキ同様ソ連軍に殺されてしまう)をけつおしした。それも生意気だからまた別。どんどん怨嗟と混乱は広がるばかり。そこへアミン政府を打倒した勢いでソ連軍は直接5万の兵力を派兵し軍事介入(第一次アフガン内戦1979-89)。


2、まず「イスラム教」といっても仏教やキリスト教どうよう。一様ではない(ボクシングの鍛錬用体力つくりに大量の「生卵」を飲み干すようなお粗末発明をやらかすスタローン氏。ホントはアフガンやソ連がどこにあるかもろくに知らんのだろう)。


イラクはかつて多数の「スンニー派」(イランは「シーア派」)がフセインをかついで仕切っていた。今のは、アメリカがぶったたいたり追い出したりで少数「シーア」たちがムリのあるイカサマ「暫定政権」(アメリカがでっちあげた)。


アフガンもそう。どころかそれぞれ多数の傍系や亜流あり。信仰内容もいささか違う。

まあスタローン・ポルノ氏にそんなこといってもどうもならんでしょうけど。(それら「2大」(仏教でいえば「大乗」と「小観」(小乗)、キリスト教でいえば「カソリック」「プロテスタント」「ギリシャ正教」それらすら例えば悪魔祓いを行えるのはカソリックの「イエスズ会派」だけ。何系だか知らんけんどあーた「キリスト教徒」ちゃうん?「イスラム」だの「社会主義ソ連」なんぞなんちゃ知らんのじゃろが)


3、ソ連軍という「外国軍」が頼みもしないのに鉄砲かついで乗り込んできた。祖国防衛のためにそれまで対立、小競り合いを演じていたイスラム各分派ゲリラや反体制勢力を一団結させる結果をまねく(これはどこでもおなじ。今のイラク、むかしのベトナム)。まあ「近所」で「ソ連が舞台」の’ハズ’映画を撮影しておじないロッキー・元エロ男優氏にこんなんムチャ、よおわかっとるけど。今の「イスラム国」を仕切ってる指導部のほとんどが旧フセイン政権の閣僚だったり軍人だったり・・・「アフガン」や「ソ連」もろくに知らん(調べもしない)まま映画をつくる人にこれ以上何をいってもむだだろね。この辺で。


さて・・・(~_~;


1、ソ連軍の軍服も空軍編成・兵站装備・機械化部隊もめっちゃくちゃ(あんなのいません(~_~; 


2、指揮・命令系統もへったくれもあったもんじゃない。アメリカ製おなじくすっとぼけた映画「ガダルカナル」(1996)の日本兵(「いくぜ兄貴」「兄弟」やくざの出入りじゃないんだから)よりひどい(-_-;


その方面でいえば噴飯としかいえません。もうちょっと「お勉強」と「おカネ」賭けたら?が率直な印象。


でもこれに刺激受けてる方、特に日本はかなりいると思いますのでこの辺で☆


個人感想☆他意皆無☆



「レッドオクトーバーを追え」(1992)


1、一言「きさまらいいかげんせんか」と怒鳴りたくなるといいますか。あきれといいますか・・・いいかげん極まりない。


2、ショーン・コネリー(以下’説教’がつきます)はロシア系じゃない苗字のとおりアイルランド系・やたら「ロシア」どうこうにごちゃごちゃ器用さてとる意味、ほんまようわからんけんど)。説教じじいがしゃべってるロシア語めっちゃくちゃ。


3、まず書記長が出勤するとき背後で「国歌」なんか流れてない(「君が代」じゃないんだから)。それにあんな赤の小旗めいたのドアノブまでついてる。仮に流れるとしたらソ連邦国歌じゃなくその前。当時の共産党歌「インターナショナル」(世界共通革命の歌・どこでも党歌)。


4、どうでしょう。みなさん「潜水艦内」で’君が代’歌います?あの潜水艦も「アメリカ軍」のですよ(笑)。中でしかも「国歌」なんて歌わない。確かにソ連側がやってる「アメリカ」はもっとひどい(苦笑)ビンボーなので)。あの水兵の軍服もおかしい。


「ロシアハウス」説教じじいはむかついたけど(これは楽しかったです。もうゴルバチョフ時代、「モスクワ」で撮影だったから)。


もしあんなのがホンモノだと思っちゃってた人のために☆


再びナンクセの色合いは毛頭ありません。「娯楽」ですから☆


ありがとうございます☆これ書いたら楽しくて、元気になった(^_-☆


普通のボクシングマニアのみなさん。あくまでぼくの専門分野からの参照に過ぎません。ただスタローン氏はじめあのて「かっちょええ」ことばっかやらかす「アメリカ人」が嫌いなだけ(しかもいいかげんなやりかたで)。


アヤラ


世紀の対決(完璧・超高度の芸術真髄)マッカラムVSカリー

私がアメリカに到着した数週間後。


まだ英語も何もわからんころ。とにかくあんなに楽しみに何ヶ月も展開予想をしていたのは。


1、ハーンズVSハグラー


2.ゴメスVS故サンチェス


3、故ロサリオVS故カマチョ


4、バルガス・デラホーヤVSクォーティー


5、実現せずの


マクラレンVSジョーンズ、故ムーアVS故アヤラJR ジョニー・バンフスVS坂本孝雄


6、鬼塚VSタノムサク(1)


7、ロペスVSビラモア


8、高橋(同門)VS島袋


・・・きりないですね(苦笑)。


カリーは不幸が続いていました。妹の事故死と兄の逮捕。マネージャーとのトラブル。


当初の予定とおり。ちょうどハグラーがハーンズをノックアウトした数日前。テキサスヒューストンの地元でロドリゲスを見事KOして7度目の防衛成功。


あそこで「無敗対決」として実現していれば・・・


ともあれ、運悪く暴風雨と落雷のひどい天気。電気にも影響が出て予約録画が失敗していた。仕事中ずっと展開予想に明け暮れてたのしみに戻ったらそれ・・・永遠にうらむ(苦笑)。


結果を聞いたときは意外に驚かなかった。私は「7対3」でマッカラムとみていたから。


26勝(23KO)無敗の王者。27勝(20KO)1敗の元一階級下のスター候補。


ともにアマの実績とみに戦績は拮抗。


あんなにハイレベルと洗礼された技術及び才能。超エリート選手たちのもっとも高度な試合はおそらくなかったとおもう(いまだにない)。


ともに一瞬の隙すら命取りになる攻防。玄人受けなんでしょうが。クリンチどころかカウンターの狙い合い。どちらが油断するか。それに賭かっていました。


結果としてカリーに「油断」「一瞬の気の緩み」(勝負強さの不足も手伝い)がすべてを終わりにするのがボクシングの厳しさ。


2回終了間際、得意の打ちおろしの右ストレートが炸裂。マッカラムは膝をつくすんぜんでばたついた(あんなに利いたマッカラムはトニーとの2戦どころか一戦もなかった(はず)。


その後も全体からすればカリーのペースだった。当方ほとんど当てさせない。当方ガードも固く。こまめな上体の動き、射程距離でのにらみ合いと虚々実々の駆け引き・・・。


息おもつかさぬ展開でのあのまさに一秒棒立ちで無防備になったところに飛んできた左フック(試合後のインタビューで前に打った捨てパンチの右にカリーを集中させ。同時にすでに放っていたのだという)。


2人ともレベルは互角。でもスタイルは同じではないのはやはり「玄人」受けとなるんでしょうか(笑)。


またみたくなってきました。みてから寝ます。


アヤラ

プエルトリコとメキシコ(マチズモ信仰=おしゃべり屋天才VSアステカ=静かなる闘士勇気)

むかしからメキシコのスタイルよりプエルトリコが好みだった。


1、筆頭は文句なくロサリオ。


ーはじめてBoxing Magaの新鋭紹介欄で19歳。童顔の戦慄天才パンチャー。19勝(18KO)無敗(非公式戦をふくめるとラミレス(1)のときは25勝(24KO)無敗)。


ーラミレスとの2戦は歴史に残る激闘だったと今だに評価はゆるがない。スピードもなく、切れももう一つのリモンみたいのを予想していたらとんでもない。切れも速さもロサンリオに遜色ない猛烈サウスポーパンチャー(タフはもちろん。意外に打たせない)


あの試合前のラミレスの乾いた野生の猛獣みたいな眼光と表情はまだときどきみます(笑)。


一戦目はラミレスが勝ってもおかしくなかった。けど2は、全然異なった展開。ラミレスは動きが鈍く、初回早々、チョコンっと打ち抜くような右を浴びダウン。結構きいていた。それにロサリオの防御に関心。ガードも脇が開いているけど、高い。状態をタイソンばりに動かしほとんど当てさせない。2回の猛連打はど迫力。また倒してもう勝ち。とはいかないのがボクシングそしてラミレスだった。


ー3回、左をカウンターで食ってから一気に弱気になり。4回の滅多打ちでストップ。初黒星。


デービスやカマチョ、ブランブル戦はまたの機会で。


ーむかしから早熟・神童の天才パンチャーが好み。ロサリオの全盛期はチャべスに負けて11連勝(10KO)(=35勝(31KO)3敗)している間に峠を越えた感がいがめない。アンソニー・ジョーンズ戦も往年の反射神経とすばやい対応が鈍り。クロンクの選手にしてはスイッチヒッターという以外、あまりスピードもパワーもなかった(21勝(15KO)1敗)


ーでも六回のあの豪快なスウィングでかぶせた右の威力たるや・・・ふらふらで何とか立ち上がったけどまず右を大きくアゴにかすめ、すぐ左ストレートで打ち抜く。そこでストップ。


でもチャポ(玉突き屋=まさしくの伸びるジャブだった)は例外中の例外。

2、ウィルフレド・ベニテス

ーファンだった。17歳であの安定王者セルバンテス、センサクとの統一戦。デュランとのスーパー対決まで騒がれてた強いチャンプに文句ない’判定で勝った(まだ15ラウンド)。

ーあの後にアンタッチャブルといわれたウィティカーや川島郭志。まったく異なる独自の防御法(ロサリオも豪打きわまる攻撃面に注目集まりがち。だけどダマト・タイソン時代の防御により近い)。


ー特にロープに詰まったらハーンズの鋭い連打20発速射砲。1~2発かすらせる程度。上半身を精一杯動かし射程を絞らせない。ムーアに負けたときも初回、右クロスを食らってダウンした時足を捻挫。でも残りの1分ほどおよそ30発は打ったムーアのスピード抜群の強打を一発も当てさせなかった。もう全盛は過ぎていたけど2回で放棄したあの試合で世界戦線からは離脱しちゃいましたね。


レナード戦までの戦績が38勝(23KO)2引き分け。




メキシカンなら


1、ゴーヨ・バルガス、


ーKO負けしたビジャサナを終始攻めまくって圧倒し雪辱。あの頑丈なホドキンソンを見事な技術と攻防一体の天才肌。ケリー戦のとき解説者が


「誤解しないよう。この男は流血と根性の典型的メキシカンとは違う」


「そのとおりだ。彼は真のボクサーファイター」


ーケリーにはスピード負け。特にサウスポーで全盛期だった。それでも中盤から盛り返し、10回には右を叩きつけしりもちをつかせるダウン。大接戦だったが2対0でケリーに軍配。


ーモリナには体格負け、体力負けしたような感があった(けど勝てる試合だったのも確か。6回打ち合いになり優勢になった次の7回から。チンタラコンたらやって大差の判定負け。がっかり。その後11連勝(9KO)1敗。


ーハリス・パターソンをストップした試合は絶好調。ロープにつめて得意の二段うちからアッパーストレートと連打に持っていく。繰り返しでそのまま8回のストップまで押し切った。


ーでもメイウェザー相手じゃケリーどころじゃない。当てさせないのが精一杯。6回にはボディブローであのタフなバルガスがダウンしたのは当時はまだ「マネー」じゃなく「Pretty Boy」時代。ロープに詰めて懸命に手を出してもあのL字ガード。かすりもしない。相手が悪すぎましたね。



2、コブリタ・ゴンザレス


ーバルガスをもっと豪快にしたようなスタイル。ケリー戦の激闘はすごかった。ダウン応酬。けれどロープに詰めての連打の破壊力と迫力はバルガスを一歩も二歩も上回っていた感じ。こんな強い選手がいたんだな。28勝(24KO)2敗 ケリーは初黒星40勝(28KO)1敗。


ーでも波があり過ぎ。大激戦で完璧に無敗のケリーをストップ。でも初防衛戦元王者のルーイ・エスピノサ(も強打者でしたね(32勝(28KO)5敗)。最悪の調子。だらだらと判定で凡戦初防衛。次戦も元気なくメディナに取りこぼしタイトルを失った。


ールイシト・エスピノサとの初戦は「やる気」と「意思」の差。初回の後半あの得意の打ちおろしの右をテンプルに的中させる。ゴンザレスはガクッと腰をおとした。二戦目の覇気と目的意識があれば初戦もノックアウトできたように思う。


それにしてもエスピノサのベストファイト。初回から攻めまくり(あれはダウン。左フックのカウンター)、3回コブリータが調子を出してきた。得意のボディーからの連打を何回も見舞う。でも4回。最後のとどめ打ち右2発。マーカンテレフェリーが「マレにみる壮絶KO。絶対立てないとすぐわかった」。


ー大分後、すでに落ち目の元王者2人。スティーブ・ジョンストンとコブリタ。円熟味増してたジョンストンにいいように翻弄され強打不発(それにライト級ではあまり威力もなかった)。ケリー戦の奮闘、真正面からの勝負を制した頃・・・思えば、さびしかったです。



メキシカン、アメリカ系にしても結構いますね(笑)


1、ハイメ・ガルサ(42連勝(40KO)無敗)。キッドメサ戦は今でもたまにみる。


2、アルフォンソ・サモラ(30連続KO無敗34勝(33KO)6敗)(なんだかんだ結構いますね(笑)。


今日はこの辺で。ありがとうございました。    アヤラ

Jose 'Pipino' Cuevas vs Thomas the' Hitman' Hearns・1983

「11度防衛はだてじゃない」「ハーンズよ俺のパンチを受けてみろ」


月刊「ゴング」(当時はまだキックと国際式もやってました)。


でも不安だった。クエバスをはじめてみたのはボクマガかゴングか忘れたけど。


「クエバス一発KO・タフなボルブレッチ(ヒト)を5回にしとめる!11度目(10KO)成功!!」


レフェリーに手をあげられ口からピューっと水をふきだしていたのに野生の恐怖。これが率直な感想。「強そうだなあ~」と(次のページでは「レオナード」(レナード)特急突っ走る。グリーンを六回豪快に沈める(でも防衛は2度目)。


レナードひいきだった(今は大嫌い)当時、クエバスに勝てそうには見えなかった(全部写真と戦況報告での想像時代)。


ともあれハーンズのあの精悍な美しい野獣のような表情と。背の高さに驚かされた(二人が背広姿でグローブを合わせてる写真(まだ白黒)。


28連勝(26KO)無敗。クエバスは27勝(24KO)5敗(こんなに負けてんのか?)でした)。


悲報、不吉な直感が最悪の形で現れた。のをみたのは夏休み、東京駅で四国へ向かうブルーとレインまち。売店で買った「デイリースポーツ」。端のほうに「ハーンズが2回KO勝ちでタイトル奪取」・・・。


兄貴に思わず「クエバス負けたって!!」「ええ~~!!」 懐かしい。あの頃の感動は最近のボクシングではあまりみられないし。興奮もしなくなってしまった(年齢のせいもあるでしょう(苦笑)。


「クエバス無残に散る・ハーンズ2回KOで颯爽新チャンピオンに輝く」(ゴング)。上原の快挙をしったのは東京に帰ってからの地下鉄内。前のサラリーマンが呼んでたスポーツ新聞。


「夢のような30歳・天国のおやじみてくれ!!」(WBA往年のベルトと豹柄のトランクスがよく合致していた)。


兄が「だめだよ。だってビラフロアに2回KO負けしてんだよ」と・・・。でもアルレドンドに勝ったし、だけどセラノじゃだめだろう。と内心。風間がまったくワンサイドでストップされた(特に13回、ストップ寸前の連打は。石松やアポロ嘉男とやってた頃よりたくましくなってた(あのバネが利いたビュンビュン伸びるアッパーが印象的)。


それはそうと。「レナード王座陥落」・・・クエバスVSハーンズ戦の前。写真を見ると白黒だけど、笑顔と手をあげてるのはやっぱり違う選手。


デュラン。はじめての出会いだった。「76勝(62KO)1敗!!!」 レナード24連勝(17KO)。


こんなすごいのもいたのか。小学校4年生。本格的マニアへの第一歩でした。


また書きますね アヤラ