boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

クリスマスと思い出・1987-2016☆Boxing

こんにちは。


こちらは静寂、物音1つしない「元旦」とおなじ。


ここ2~3日、たくさんボクシングをみました(古い試合ばかりながら)。


1、プライヤーVS亀田
ー初回は合計7~8発、亀田の右フックが命中。勝てない試合ではなかったはず。時期とタイミング、ほんとうにむずかしい。2回から合計5度のダウンで6回TKO負け。完敗。ブランクが痛かった。


2、三原VSフラット
ーまだ15R制時代。敵地で無敗(21勝(8KO))の白人ホープを判定で破っての戴冠。むろん、運も作用(その後J・ミドルはハーンズ、デュラン、日本選手の手の届かないところへ行ってしまう)。3回、得意の右ストレートをカウンターで叩きこんでダウンを奪った。これも↑の亀田とならんで。おおむかし香川照之氏が分析していたところ。「時期」(勢い盛んだったころ)を逃した。あとは「相性」かもしれない(無敗ながらピークを過ぎたカルレなら案外、組しやすかったかも。亀田もマンビーなら、大差の判定で勝ったような気がしないでもなし)。


3、ピントールVSテル
ーテルは石垣(元モントリオール五輪代表)に雪辱(9回KO勝ち)。続いて世界ランカー対決で磯上を初回ノックアウト。一番「適した」のりにのってる時期に挑戦できた。ただピントールは相手が悪過ぎた。2回に連打を炸裂させたけどピントールはタフ。後半は「左」ジャブ一本で支配された(顎を再三強いストレートで跳ね上げられた)。15回まで本当によくがんばった。最後は力つきた形でKO負け。PS:故キコ・べヒネス(当時世界2位、童顔の豪打者だった)との敵地メキシコでの再起戦(金沢がオリバレスに負けて、再起戦(ラストファイト)強打の元王者アナヤ(敵地で5回KO負け)に似ていた。テルの全盛期だったら負けない相手(この試合、テルの動きは悪くなかったのに手数がまるで出なかった。4回に倒されるまで、ほとんど単発のパンチだけ)。


なつかしい思い出がよみがえった。


アメリカに来たばかりの18歳。クリスマス、ESPNでの「結果・ダイジェスト」どっちが勝ったかすらわからず、もう亡くなってしまった日本人の先輩に聞いたのもなんともはや。
ちょうど、好きだった「オラジデ」に関連する重要な一戦。フランク・テート(20勝(12KO)無敗)対トロイ・ダーレル(21勝(19KO)1敗(オラジデに判定負け)テートが大差の判定で圧勝。


「どっちが勝ったんですか?」といわれてもボクシングになじみのない人だと。双方黒人で一回戻して、見直して名前を確認して教えてくれた・・・。貴重な思い出です。


東京育ちなのでまるで「おとぎ話」の世界でした(現在のこのトロント郊外以上)。「天の川」「童話の紅葉」「雪景色」小さな海岸の地方都市(ハグラーゆかりの)ボクシングのことばかり考えていたのを覚えています(笑)。


一番気合が入ったのと同時に、今だにショックだったのは「ロサリオVSチャべス」。チャべスが勝ちそうな気がしたけど、「もしかしたら」。チャポの豪打爆発ではじめてキャンパスの味を無敗の若きメキシカン(チャポ24歳・チャべス25歳)に・・・「相性」が悪かったのと、減量に失敗、スピードとパワーがもうひとつだった(カマチョ戦などと比べると鈍かった。パンチも切れなかった)。


けど、大好きで悔しかったです。「全盛期」のロサリオ、永遠の殿堂NO・1☆


ありがとうございました。
アヤラ