boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

★Terrible Terry Norris& 90's Middle Weight(改訂版)★ 「雑多ルポ」47 Wins (31 KOs)9 Losses (4 KOs)

Hi Everybody, I have too much to do and to worry Je suis tres fatigue mais, I would add some more info from m past reports Avril/3/2017 Richmond Hill Canada Ayala Merci Boxing Fans!! Comrades(同志たち☆)
マクラレンVSベン戦(SHOWTIME放送)
1、故スチワート(後述)がコーナーについていれば・・・
2、ロンドンはじめイギリス内でなかったら・・・
3、レフェリーが違う人だったら(フランス人・世界的には無名)・・・
それにつきます。
ー初回、SHOWIME放送の実況では(記憶からです若干の誤差アリ・また邦訳もおおざっぱ)、
Could be played by McClellan's hand マクラレンが優勢だ Swing left hook  right and right !!Nigel Benn is down!! 左フックから右右、ベンダウン!!  Oh~what a incredible start count 8~9. . .信じられないカウント8、9  He said get out my way to the referee・・・(試合再開)another righ hand by McClellan!Benn is still in dire trouble !!レフェリーにどけっ、といってマクラレンの右、右、ベン効いてます! the referee is giving time what is he doing? おっと!!レフェリー、時間を与えてる!! なにやってるんだ?McClellan is figthing the referee off then fighting Benn マクラレン、レフェリーどかしに懸命、やっとベンと戦ってます!what is this guy doing?(また割って入る)この男はなにやってんだ?  The referee Alfredo ? from Paris keeps on stepping in and no one knows its reason パリからのレフェリー、何度も割って入ってます。理由は誰も分からない  Again the referee steps in また割って入りました What does he think he is doing? Amature fight?何考えてんだ?アマチュアの試合だとでも思ってるのか? This is like 90's Huglar VS Hearns but, one way これはまさに90年代のハグラーVSハーンズだ。でも一方通行 McClellan is becoming a head-hunter マクラレンはヘッドハンターになってる。He should punish the body more though just like McCullam did もっとマッカラム(セミでKO勝ち)みたいにボディーを攻めるべきだ He doesn't need one round knock out only he needs is a knock out  初回KOはいらん、いるのは「ノックアウト勝ち」だけだ。愕然とするブルーノ、ハメドと並んで座っていたドン・キングだけが激しく指をさして抗議していた姿も目立ちまくっていた(マクラレンとおそろいの小さな星条旗を背広のポケットにはさんでいる。これが「孤立無援」の敵地を証明しているようだった)。といった実況でありました(Dr Freddie Pacheco came to Japan MiharaVSMoore, BrelandVSOzaki=I watched entire fight in live at Montreal Oshikattadesu...)
こんばんは★ちょっと題名を一新☆新しいページを開く元気がないので。徐々に内容に加えていってます☆ 取り急ぎ
3月29日2017年 カナダ アヤラ
Newest Reports of DV='Domestic Violence'
1、レナードの場合
ーレイジュニアが2010年に暴露した記事(凄惨な暴力の内情・・・残念でなりません・・・)いずれ詳しく
2、デラホーヤの場合
ーすでに離婚訴訟中(別居)=悲しいながらこちらもひどい。いわゆる「隠し子」(子供だと認知しないのすら数人)がたくさんいて(放蕩・遊び好き)、暴力だけではなく奥さんを「虜」」「奴隷」(’虐待’そのもの→思うままに動くよう)のように扱ったとあり(間に生まれた15歳の娘にも「会わない」といってるらしい)。’ニセ偽り’のゴールデンボーイ」(しばらく前に読んだので大分忘れました)さびしいだけ。
3、ガッティの場合(モントリオール出身(英仏伊を自在に操る好青年でした)
ーまず「死因」(自殺とも他殺とも=台所の床に下着一枚のまま、血まみれで倒れていた無残な遺体)についてまだ真偽中。ブラジルでの休暇中、奥さんが逮捕、収監(証拠不十分で釈放)。この奥さん(結婚してまだ半年)子供たちもいっしょに海水浴を楽しんでる笑顔のいいお父さん(写真))に暴力はふるわなかったみたいです(ただ他の女性を殴打して逮捕・裁判所出頭無視で拘束)。兄のジョーによれば「申し訳ないことだが、彼はアルコール依存。そして鎮痛剤(麻薬=モルヒネ系統)や各種ドラッグ(コカイン)を乱用していた」(2004年)ただ彼は奥さんを疑っている(こちらもいずれ詳しく)。ガッティーはHBOと契約を結んでからはずっとニュージャージーを拠点に戦っていた(引退後、カナダ(ケベック)に帰って来た。一族一党(兄ジョー・幼い甥(ガッティの遺児)と遊んでいるやさしい叔父さんの映像)もモントリオール周辺に在住)。
4、故バレロ(はイチ番むごたらしい暴力(酒が入るやすさまじかったよう)を行使(奥さんを殺害(腫れあがり傷だらけ)し逮捕。留置場で首吊り自殺=さびしいかぎり)。
5、メイウェザーは服役(6ヶ月)。奥さんだろうが彼女だろうがめちゃくちゃに殴打。無残に変形した顔写真が痛々しかった。子供たちも平気でぶん殴る。ボクサーたちの素行は「リング渦」より深刻なのかもしれない・・・。取り急ぎ。
Terry Wayne Norris (born June 17, 1967) is an American former boxer and a three-time world champion in the light-middleweight (super-welterweight) division. Originally from Lubbock, Texas, he fought out of San Diego.
みなさん こんにちは、
飽きっぽいので「設定」をちょっと変えてみました。その連動で、いささか趣向を変えてウィキから一般的情報の英文を少し引用してみました。参考までに。あと、私が住む地下室にはサンドバッグが吊るしてあります。「実践感覚」を忘れずボカスカ殴りながら書いている(笑)。「グローブ」はEverlastの10オンス(ただ「女性用」ピンク(しか売ってなかった)(苦笑)。ほんとうにナックルパートが薄い。しかし最近は面倒くさいのでほとんど素手で打っている(「個人殿堂」には入れていないにせよ。旧ソ連ボクサーたちはみんな贔屓です。特にジュー(ソ連選手は(ユーリのアマ時代)ほぼ共通)はバンテージすら巻かずほとんど素手で打つ)。「空手」式な面も多分にあり。何回も皮がむけていると強くなります。
Background[edit]
A star baseball player during his high school years, Norris bypassed a career on the diamond for one in the ring, amassing a stellar 291-4 amateur record and winning 4 Texas State Golden Gloves titles. Displaying a stunning combination of hand and foot speed as well as the ability to throw dizzying combos, Norris' athletic ability was an uncanny attribute in the ring.

はじめに:
ー若い世代には案外なじみが薄いのでは?テリー・ノリスはいい選手でした。スピード、切れさらに「一発の破壊力」も一般でいわれている以上にありました。ヴィンス・フィリップスに似ているところがあった。ウェルター級では大き過ぎ、ミドル級では小さすぎる。ただJ・ミドルだけではスターになれない。かといってミドル級だと不利(これに挑んで欲しかった)。だからウエルター級から上がってくる大きな選手。例えばエスパーニャであり、トリニダードやクォーティーとやればスーパーファイトになったはず。まずおそらく「パンチドランカー」なのではないか。おなじくタイソン(話す’内容’も的を得ていない場合少なからず)やハーンズ(スチワートの葬儀ではびっくりした。師匠の死を涙を流して悲しむ(息子たちに支えられて)ヨボヨボの老人のようでした)も似たような症状を示している。往年の甲高い声から、口調もしどろもどろ低音になりダメージが感じられる。ノリスもまさしく。若い頃の早口でペラペラしゃべっていた頃とは別人のよう。
引退後の名選手たち:
他、多く(アリ・ジェリー・クォーリー(自分の画像(往年のCMやインタビュー、試合)をみても思い出せない(靴もはけない・ボタンもしめられない)名前もサインの仕方も忘れて・直後にひっそり亡くなった)・ロックリッジ(路上生活者)などなど)と似ている。チャコン(彼も「DV」問題(先妻自殺・2度(若い奥さんの顔が2倍に腫れ上がるほど殴打したこともあり)離婚)、放蕩遊び過ぎ=一時期路上生活者=現在市民会館で子供たちにボクシングを教えている)ももはや往年の面影なし(うまく話せない+ダニー・ロペス(23連続KO無敗=9回KO負け)に再会(ロペスは「リトル・レッド」(原住民系はあまり「笑わない」し「はしゃがない」そのもの)していました(嬉しそうだった)。
Professional boxing career[edit]
Norris turned professional in August 1986. He outpointed future middleweight title holder Quincy Taylor in August 1988. Norris beat future super-middleweight champion Steve Little to win the vacant NABF light-middleweight title in December 1988, and defended it against former IBF title holder Buster Drayton. Norris also picked up two losses; a unanimous decision to Derrick Kelley, and a disqualification loss to Joe Walker in the first round after Norris hit Walker when Walker was down.In July 1989 at Atlantic City Convention Center, New Jersey, Norris challenged Julian Jackson for the WBA light-middleweight title. Norris won the first round with his speed and movement, but a big right cross from the champion knocked Norris down in round two. Norris made it to his feet before the count but was deemed unfit to continue by referee Joe Cortez.

ジャクソン戦・43勝(41KO)1敗・タイトル初挑戦:
ーアメリカ放送の特例、試合前のダイジェスト紹介では若きテリーと兄オーリン(元クルーザー級王者・タイソン戦・NC)がいっしょに練習している姿がなつかしい。初回開始と同時に、元気溌剌の若武者ノリス、出入りが激しいボクサーファイター。ジャクソンはスピードで圧倒されていた。迫力と爆発力にも驚いてしまった。矢継ぎ早に右の打ちおろしからまとめ打ち。2回に入るとジャクソンは相打ちを狙ってきた。一発の破壊力はやはりジャクソンだろうがパンチの質がちがう。ジャクソンのパンチは切れがないけど「重さ」がすさまじい。ロープ際に詰められ一瞬気をぬいた。そこに右フックがまともにカウンターとなり無重力状態になる。そこへ右フックがもう一発、顎をぶちぬく。ノリスは横倒れになり10カウント。解説者がしきりに「一番大事な正念場で一瞬、集中力を失ってしまった」と繰り返していたのを思い出す(ノリスはこの敗戦から多くを学び生かした)。
First championship reign[edit]
After winning three comeback fights, including a victory over former welterweight champion Jorge Vaca, Norris traveled to Tampa, Florida, in March 1990 to challenge John Mugabi for the WBC light-middleweight title. Norris wasted no time in stopping the champion, flooring him twice in the first round - the second time for the full count - and thus starting what would be the first of three reigns as champion.
After defending his belt against Rene Jacquot, Norris faced the legendary Sugar Ray Leonard in Madison Square Garden in February 1991. Norris scored two knockdowns and easily beat the faded Sugar Ray via a 12-round unanimous verdict. His next defense, a June victory over another former undisputed welterweight champion - Donald Curry - further cemented Norris' place in the history of the 154-lb division as Norris wore down his foe and knocked him out in the eighth. Other prominent foes in that first reign included the tough future middleweight titlist Jorge Castro, and two reigning welterweight champions; WBA title-holder Meldrick Taylor, and IBF title-holder Maurice Blocker.

ムガビ戦:37勝(37KO)2敗・若きノリスの初戴冠:
ー「野獣」ムガビももう30歳になっていた(ノリスは後の大物食い(ナンを番狂わせで破った)スティーブ・リトルに7回KO勝ち(モントリオールで相棒NY黒人といっしょにテレビ観戦★懐かしい)。試合後、ミッキー・ダフもそれにふれて「少しゆっくり行こうと思っていた」と語っている。全盛期は過ぎていただろう(1、再起2戦目タフガイ白人中堅のノックス・ブラウンを3回でぶっ倒した試合の「一発破壊力」はすさまじかった2、27勝(15KO)5敗中堅ケ二ー・スノーを5回滅多打ちにしてKO)アメリカ=ライブ放送でみました)。往年のようなスピードと迫力は鈍っていた気がする(例えば1、ハーグローブ戦(両者戦積50勝(49KO)1敗=ムガビ24勝(全KO)ハーグローブ26勝(25KO)1敗。速さと切れ、鋭さがあり「大振り」でもよけなれない。左フックのカウンターで豪快に倒し。右の打ちおろしスイングを連発。同じ「左フック」が炸裂。右が続き痛烈な初回KO勝ち2、フレッチャー(18勝(12KO)4敗)、迫力とプレッシャー。スピードも申し分なし。2回にロープに詰めて大爆発のもう連打。4回、滅多打ちにしてロープ外に半身たたき出すほど=ベストファイトのひとつ)時代を比較対象)ゆっくりとした立ち上がり。開始からしばらくしたらノリスの右のうちおろしがまともにテンプルに命中。大きく泳いだ野獣に速射砲のような連打であっという間にダウンを奪う。効いていた。しかしさすがムガビ。諦めず必死にクリンチしながら回復を待つ。おもむろにカウンターも狙っていた。残り一分を切ったところで大きな右から左フックを炸裂させファンはどうっと湧いた。そこでまたノリスが爆発する。おなじ打ちおろしの右が顎を打ち抜くとムガビは全身の力がぬけたよう。うつ伏せに倒れ10カウント。衝撃の初回ノックアウトでタイトル強奪。試合後のインタビューで若きノリスは謙虚で物静かながらうれしそうに「ジャクソン戦の教訓を生かした」ことを強調してました。この当時、ひたすら楽しみにし実際に具体的交渉に入っていたカリー対ムガビ(ジャコを圧倒。けど初回、倒したのは右クロスカウンターが肘、肩を被ってしまう。ジャコはロープ際、バランスを崩して倒れたとき足を挫いてしまう(「ベン」(コリンズ2戦目)おなじく「大場政夫をみてみなさい」(小泉氏名言)。棄権=初回ノックアウトでようやく(遅すぎた)戴冠。ミッキー・ダフ及び陣営(同胞ボザ・エドワーズ、ムンタガ)の笑顔が忘れられない)まさかジャコに負けてしまうとは残念無念(「勝負強さ」にもうひとつ欠けたカリーのさびしいところだった)。ムガビに関してはハグラー、トーマスに連敗後、11連続KO勝ち。でもハグラー戦のダメージから最後まで回復できなったように思う。マクラレン戦はさらに打たれ脆くなっていた(初回開始してしばらく。強烈な右ストレートのカウンターを食らう。まさに「ミニチュア・タイソン」若きマクラレンの爆発・破壊力の脅威。すさまじいもの)あっというまに3度(最後もロープに詰められ右ストレート着弾。ノリス戦と同じく前に倒れた)倒して戦慄のKO勝ち)ノリス戦の再現(しかも前者よりはるかに一発パンチに威力がある)。時期を逸した不運。
レナード戦:(茶番カマチョ戦は無視)事実上のラストファイト(33勝(23KO)3敗1分け:
ーカリーがナン(スターリングは当時無敗だったバージル・ヒルとの一戦を掲示)にノックアウト負けで3階級制覇がなせなかった試合後、SHOWTIMEでは座談会が開かれた(ナンへの評価は決して高くなかった(バークレー戦以来本当におかしくなった+ちょうどグーセン兄弟と契約を打ち切ったばかり=マネージャーなし状態(最悪の展開)故スチワートとスターリング(ブロッカーに負けて引退したばっかり)がでていた。結論として、レナードはノリスには勝てないとスチワートは断言していたのを鮮明に覚えている。ただレナードは頭のいい選手。勝てないと分かっているはず。だからおそらく戦わないだろう。これにみんな合意していた。ただ、自信もあったんでしょう。L・ヘビー級から一気にJ・ミドル級におりてきた。体がひからびていてスピードも切れもなかった。年齢とブランクにより、反射神経も鈍りむかしの自分のようなノリスのスピードにまったく対抗できず。4回と10回にダウンを奪われ大差の判定負け(しかしここでノックアウトを狙わないところがノリスを「スーパースター」ならしめんところだったか)。みていてレナード、唯一の見せ場は2回終了間際に往年の輝きの片鱗。左右連打からボディをヒットさせ「あれっ?」と思わせられた。それだけ。10回には滅多打ちにされなすすべない元スター選手の悲しいラストファイト。終始足をとめず出入りの激しいボクシング。そしてむかしのレナードと比べても、鋭さは一段上でありまた、破壊力もあったように回顧する。まとめ打ちの一発一発がレナードの全盛期より力強かった。大差の12回判定勝ち。レナードは試合後マイクで引退を表明(カマチョ戦(7回KO負け)はただ「余計な一戦」に過ぎず)。またスチワートはドクターパチェコ(平仲選手にインタビューしたのもこの人です☆)に「もし頼まれたレナードのトレーナーになるか?」と聞かれ「考えてみる・・・いい経験になるだろう」と返答(ハーンズがちょうどクロンクから離れてヒルと戦う前)。
カリー戦:
ーこれはブログ開設当初にカリーの記事で紹介しました。内容が重複しなよう心がけて。上の座談会でスチワートが述べていたよう「引退をすすめる。仮にキャリアを続行してももうトップ選手には二度と勝てないだろう」(また「この階級では体力が足りず、才能も勘も衰えている」「これ以上戦えば、いままで達成してきたものを傷つけるだけ」)。まさしくでした(スターリングも「ナンの方が数倍上だった」と語る)。ナン戦もそうでしけど(スチワートは最後に「スターリングとも試合前に、カリーは最高のウエルター級だったと改めて讃えた」と付け加える)。往年の勘のよさとカウンターの片鱗が一瞬輝くのもせいぜい5~6回までが精一杯。単発でそして連打に繋げられない。初回1分過ぎ、ムガビに炸裂させた右といっしょ。ノリスの打ちおろしを浴び大きくバランスを崩した。カリーもガードを固めて前進する選手。クォーティーやライトとはスタイルが違うにせよ「攻防分離」傾向(戦法を研究される)。これを徹底的に突いたのがノリスでした。かまわず強くて鋭い連打をどんどん打ち込む。切れとスピードに圧倒されていた。4~5発とガードしても6,7を当てられるそんな展開でした。7回左フックのカウンターを打ち込んだのが最後の見せ場。終始一貫して出入りをとめないノリスのスピードについていけず。終了間際にまた打ち下ろし。ダウン。つづく8回にもう一度倒されしとめられた。ノリスの圧勝、鮮やかなノックアウト防衛。
ホルへ・カストロ戦(竹原氏がタイトル奪取のアルゼンチン選手):
ーふりかえってみると、この試合辺りから自信過剰。強引一辺倒になってきた気がする。たしかに突進力と切れ味鋭い連打は勢いを増すばかり。あらためて感心してしまった。終始ロープに詰めて猛連打を浴びせた。ただカストロの頑丈さはすごいもの。いくら打たれてもぐらつきすらしない。中盤以降、ノリスは見切りをつけたようだ。観客にはこの辺りがもうひとつ不満だったかもしれない。カストロは打たせるだけ打たせる。しかし反撃にうつる動作は決してはやくない。パンチを出そうとすればノリスは圏外に去って足を使っていた。それでもだんだん猛攻にうつり、ノリスをロープに詰めて結構な数のまとめ打ちをしていたのも思い出される。ただ有効打はなし。ノリスはがっちりガードを固め。間髪いれず逆襲にてんじる。さんざん打っては離れのきびきびした若きノリスも今となってはなつかしいかぎり。たしかにカストロをノックアウトするのは竹原選手ができなかったよう。容易ではなかったことだけは間違いない。大差の判定勝ちでノリスの防衛なる。
ブラウン戦(1):
「SHOWTIME」だからノリスの試合はカナダではほとんどみられなかった(大分あとでWOWOW放送のビデオでみただけ)。当時はまだ「KOマガジン」や「リング誌」を購読していた時代。仕事に行く前誰もいないカフェみたいなところに座ってじっくり戦況を読んだのも思い出される。4回、ブラウンの豪打爆発。打ち下ろしの右が後頭部をかすめるように炸裂。テンカウント。4回KO負けでタイトルを失う。ブラウンの試合は、「ラドック」に先駆けたここトロント出身のロス五輪銀。アイルランド系の誇り。ショーン・オサリバン(15連勝(10KO)・引退後(ラストファイト=ブーシェに2回で豪快にのされた試合もTV観戦しました)、一時期「ボクサイズ」でよく宣伝にでていたのも記憶にある)との無敗対決。アメリカで見た。ブラウンの圧勝。3回、豪快に沈めた。パワーと一発の威力はすさまじかった。ただボクサー・ファイター(すなわちノリスとの再戦やマクガート戦のよういそがしい「出入り」をされるとスピード負け。劣勢になる傾向あり)。自信満々のノリスは初回からどんどん連打を放ち真正面で強引に攻める。打ち合いだとブラウンと噛み合う。初回終了前、はやくもブラウンのカウンターを浴びフラフラになったところでゴング。2回以降も懲りずにノックアウトを狙うノリス。パンチもよく当たっていたしKOできそうに思えないこともなかった。いまさらながらノリスの連打はすごかった。活気的で斬新なスタイルといえないだろうか(名だたる「アリ戦法」選手たち、古くはレナード、辰吉。新しくは??)。あんなに一発一発に破壊力がある連打を6~7発まとめるのはすごい。それをジャンジャン繰り返すところも新星若きノリス。もうひと働きしてほしかったのが本音(ジャクソンとの再戦、あるいはマクラレン(には勝てなかったでしょう)ジョーンズ。ミドル級でスーパーファイトを実現させてくれれば。その方が「おカネ」も儲かったはず)。*番外情報、「ラドック」(トランクスの「Roots」はカナダの有名ブランド)はみたことないしオサリバンやブーシェもおなじく。モントリオール時代からはやりだした「大スクリーン」(ホッケー会場やなつかしの「ポールソーベン・アリーナ」(古くはヒルトンがベニテスをノックアウトしドレイトンに15回判定勝ち・IBF戴冠もこの会場だった)で一連のレナード関連・タイソンVSラドック(1)・ホリーフィールドVSダグラス・・・よく「赤ら顔」’両手に花?’仰々しく女をたくさんひきつれビール片手のデーブ・ヒルトン(残念ながら「婦女暴行犯」であり「性的虐待」(たしかまだむ所内?仮釈放されたかな?)・・・どうにもならず+ホリーフィールドVSダグラス戦(ビッグスクリーン)の後、いきなり「リング」がおったてられ無敗のデーブ・ヒルトンが地方の新鋭(5連勝無敗)に前半圧倒していながらガス欠。8回にダウンを奪われ10回判定負け(余裕と自信過剰でパフォーマンスばっかりの気の緩み+練習不足)→初黒星)やマシュー・ヒルトン(兄弟コンビニ強盗)はみた(笑)。アレックス・ヒルトン(27勝(20KO)2敗)の再起戦(サウスポーの黒人にアップアップの判定勝ち)はライブ観戦(メインがルーカスVSウーレ(アレックスに3連勝・デーブと1勝2敗(KO負け)=ルーカスの9回TKO勝ち)も泥酔してホテルのフロンドドアに銃をぶっぱなし逮捕(この兄弟(オヤジもアル中)は素行が悪過ぎる)。さらに一時期(末っ子のスチワート(事故死・プロ入り後4連勝(4KO)中)が生きていた頃。ヒルトン4兄弟みんな「キャットスキル」で少年タイソンと同僚(仲がすごくよかったそう)。みんなおかしな「英語発音」(アイルランド系)ながらフランス語もできます。また、私が働いていたすし屋にはこなかったけど。別の店の友人がオーティス・グラントが常連(しゃけ寿司30~40個を注文。大型「下駄」にのせられた握り寿司をもくもくとひとりで食ってる。とも聞きました(懐かしい)。トロントではグライド・グレイの娘に会ったことがある(笑)また後で時間があれば 
ブラウン戦(2):
往年のドン・キングおとくいの「3~4大タイトル戦」大興行。トップランクボブ・アラムとは一味ちがう「派手」好みのキング。しかし大好きだった形式。将来の「スーパーファイト」を想定して試合を組む。
ーメインはチャべスVSランドール(2)。セミはマクラレンVSジャクソン(2)。「The Revenge」(「雪辱戦」だけで組むのもいろいろ問題はあるにせよ。ドン・キングならでは。ファンにはこたえられない)。
ーノリスが往年のスタイルを取り戻し。ひたすら出入りの激しいヒット・アンド・アウェイ戦術に徹した。この試合もよく見返す。とりわけロープに詰めて滅多打ちにする連打はすさまじい。タフなブラウンはびくともせず打ち返すところはさすがだった(けどもうノリスは「圏外」に去っている)。ステップインも鋭くドカドカドカとまとめては遠い距離にいなくなる。また間髪入れずにおなじパターン。ブラウン完敗。12回判定勝ちで王座復帰。
ー8~9回でノックアウトは諦めたノリス(アメリカの観客はおきまり「ブー」ばっかり)。この戦法は別に問題あるとは思えない。ただやはり「ミドル級」でやってほしかった。試合後のインタビューでもジャクソンとの再戦やマクラレンとのスーパーファイトについて聞かれてたけど。なんかそらしてゴマカシてるような口調。
ーそれにしてもまさしく「テリブル」テリー。「復活なるか」(ボクマガのミドル級戦線特集が懐かしい・「もっとも危険なパンチャー」(マクラレン)からジャクソンそしてジョーンズ。「ベン」(強打はしめっていた。S・ミドル級では4勝(1KO)なぞは「付属」ぐらいに並べられていただけだったのに・・・残念。
メルドリック・テーラー戦:
ーこれも「レナード」が残した悪影響からなのだろうか。3階級制覇を目差したテーラー。たしかにそれなりの「スター対決」ではあった(ただ「スーパーファイト」とは呼べないはず)。結果、3回に先制のダウンを奪い4回TKO勝ち。ノリスの圧勝。ただただど迫力の眼光と表情に呆気にとられた。ノリスの全盛期ひとつのベストファイトだろう。トランクスもかっこよかった。
ーアマ時代はフェザー級だったテーラーはウェルター級が精一杯(ここでも体格負け)。よくウエートトレーニングでヘラクレスのようなキン肉マンになったものだと感心(それにしても「豹柄一枚トランクスには参った。これ、いつのまにか廃れた様子で嬉しい限り・故カマチョが残した負の遺産(あの’長フンドシ’みたいな奇抜な発想(どっからでてきたんやろ?)=ハメド、ミッチェル、山口などなど一時期ほんとうに多かった。苦笑)。
ーそれでもスピード負けはしていなかった。ただ「破壊力」に格段の差が生まれてしまう(テーラーのパンチはJ・ウェルター級時代ですら軽い)。真正面の打ち合いを挑む。スピード抜群のパンチの応酬(しかし一見、強打戦のようでも「戦艦」対「駆逐艦」程度のひらきあり)。
ー回顧すればテーラーもノリスも「正面対決」に傾いた帰来ありだったのでは。往年の電光石火、目にもとまらぬヒット・アンド・アウェイは影をひそめた。じりじり圧力を増しながら前に出るノリスの重々しい5~6発打ち込むコンビネーション。テーラーも負けずと打ち返しているけど威力がない。2回からワンサイド。
ー得意のうちおろしの右。破壊力抜群ながらまさに「閃光」のように速くてみえないパンチが再三テーラーのテンプルを直撃。テーラーがかわいそうになったほどだった。
サンタナとの三戦:(2反則負け・「三度目の正直」2回KO勝ち):
ーこの回り道で全盛期を棒にふってしまった感あり。サンタナは頑丈さがとりえの中堅選手・下位ランカーに過ぎず。負けも込んでいた。アメリカでブラウンにKO負けしたオサリバンの再起戦をみた(11回までオサリバンは元気がなく。終始劣勢。サンタナが俄然ロープに詰めて猛連打。ストップ勝ち。ストップ。ルペ・アキノから一発パンチをとって雑にした感じ)。
ー三戦とも「ニュース」でみただけ(一戦目は覚えていない)。二戦目、シーザーズパレスの屋外会場。まだ陽が高かった。4回、終了間際ノリスがロープに詰めてつるべ打ち(まだスピードがあり勢い盛んな全盛期)ゴングが聞こえなかったのか。一発打ち込んだ右が炸裂。サンタナはダウン。立ち上がれず(わざとではなかった)。ノリスが泣くように抗議していたのが忘れられない。
ー「三度目の正直」は圧倒的。初回からバッタバッタ倒して2回ノックアウトで雪辱とタイトル奪回に成功。サンタナは「反則勝ち」でタイトル奪取・初防衛戦、奇妙な記録を史上に残した(笑)。
再起戦:中堅選手:
ー拳の負傷だったか。一年以上のブランクをへてのカムバック戦。2回猛連打でしとめたのはさすがだったけど。ブランク明けのせいか、回転力がもうひとつだな。と感じたのが正直なところ。まだまだ「テリブル・テリー」は健在。
ルーパ戦:
ーまだまだ強くてさすがだった。ルーパは見かけによらず頑丈で、後にリードの十八番。右一発で2回KO負けしたのが浮かび上がってくるけど。ノリスが一方的に打ちまくり9回ストップ。防衛に成功。
ロドリゲス戦:決戦前夜・前哨戦:
ートリにダードが難なくボバトをストップした後、ノリスがでてきた。調子はそれほど悪くはみえない。けど本当に真正面真正面ばっかりで危なっかしい。身長高くおまけにリーチも長いサウスポーのロドリゲス。ノリスはストレートを何度もまともに食らってた。
ー構わずまっすぐ肉薄し相変わらず迫力あるパンチを叩き込んでいたけど。この辺りから「体の固さ」が一面に現れた感じだったが、どうだったんでしょう。5回ストップはロドリゲスが猛抗議していたよう。案外あのまま続いていたら逆に倒された可能性もいがめず。ノリスストップ勝ちでようやく実現する「スーパーファイト」に駒を進めたかに思ったものだ。まさか負けるとは想像外。
ムリングス戦:
ームリングスは強敵。派手さはないけど、技術的にも優れまたパンチもある。マルケスに挑戦した試合は明らかに勝っているようにみえた(試合後、啞然として文句たらたら)。マルケスは腫れやすい(あと、グローブになにか問題があったとかいわれていた)。両目上ともこぶが二倍くらいの大きさで覆っており痛々しいかぎり。
ーノリスはなんか元気がなかった。ブランク明けから一発強打はあるにせよ、往年の回転力が少し遅くなったように感じたものだ。この試合はバランスが悪く、リズムもよくない。こじんまり小さい感じで打っていくところをムリングスのパンチは正確。ロープに詰められノリスの連打を打たせながらも冷静に迎撃。倍ぐらいのお返しを叩きこむ。

ーちょっと気をぬいていたのか。真偽は確かめようもないけど。せっかくトリニダードとの一戦は「スーパーファイト」になるはずだったんだから何とかならなかったのか。今さらながら思う。或いはもう峠を越えていた証だったのかも。体が固くてドタバタした調子。
ー後にムリングスはブードア二、リードに連敗。ただ決定打は許さず、ある種右の「ライト」みたいにやりにくい選手だった。非常にコンパクトながら威力のある連打を打ち込む。
ーノリスは防御ももう一つ。この試合はよくパンチを食ってよろめいてばかり。ブラウンに負けた試合がダブった気がしたものだ。ある種「置くような」パンチでタフなムリングスとはいえほとんど有効打を当てられなかった。
ー11回、疲れもみえていたノリスにムリングスのショートの連打が火を吹く。ノリスダウン。そのまま負けてしまった。残念なかぎりでした。トリニダードとムリングス戦を抜かして対戦していればな。こういうタイミングもむずかしいのがボクシング。ただアメリカはやはり「スター対決」が常に噴出していて飽きることの知らない興味にひっぱりまわされたものでした(近年は五輪二連覇ウクライナのロマチェンコ、ゴロフキンあるいはクロフォードを知っている程度。往年の面影なしの古強レトロ趣味のアヤラでございました)。
ブードウア二(アトランタ五輪銅(リードに負けた)フランス代表)戦:
ーブードウアニはアマエリート出身らしく、欧州系の典型。まとまったきれいなボクシングをする。ノリスは短期間にこうまで同じ選手が変わってしまうのか。一生懸命往年の感覚を取り戻そうとがんばっているのが肌で感じられた。けれど、ギクシャクしていてムリングス戦(もう全盛期は過ぎた証拠だったんでしょう)で兆候がみえたバランスが悪くてつんのめるよう。ロープに詰めても以前のように円滑に連打が打てない(体がガチガチに固い=そういえばむかしから決して(トリニダードなど対照的)「柔軟」ではなかった)。終始前に出ながらもブードウアニは下がろうが、旋回しようが冷静にカウンターを叩き込んでいた(往年のノリスを考えれば。悲しかったです)。9回ストップ負け。WOWOW放送でも浜田氏が「出せるものをすべて出した・・・だからもういいんじゃないか。そう思いますけどね」と’お疲れさま’的癒す発言。同感でした。ただ次の防衛戦で五輪準決勝・雪辱をプロに賭けたリード戦。ワンサイドの大差判定負け。リードはあんまい調子よくなかったながら。たいしたものなんでしょう。
番外J・ミドル級のタイトル変移:
ー考えてみれば、上山を初回豪快に3度倒してノックアウトした若きバスケス(39勝(29KO)1敗)からウィティカが12度目の防衛を阻止。四階級制覇。
ーちょうどマクラレンVSベン戦の翌日だった。HBO放送がはじまるや「アメリカのジェラルド・マクラレンは現在He is fighting for his life in London・・・」
続けて試合前、バスケス(しかも豪腕王者・11度防衛(4KO))への挑戦は無謀で危険だという設定のもと、インタビューでウィティカーは
Well that''s not just a boxing 危険なのはボクシングだけじゃない。I feel sorry for the fighter. I also feel sorry for Gerald McClellanマクラレンは気の毒だと思う」マーチャント氏「So you just black it out and will try not to think about 消し去って、考えないようにするということか?」ウィティカー「そんなことする必要はないI don't have to black it out ただいつまでも話したりしないということだ I'm not going to keep on talking about it
ーさらに今思い出したました。「アトランタ五輪」に向けての若きメイウェザー、ジュダーなどが一緒に出演。なんとウィティカーも「五輪参加」(むかしのプロレスラー元アマレスラーだった谷津が「アマの試合」に出たような感じかな?)にプロながら参加したいと申請したそうだ(認可されず)。ウィティカーはブーブー文句いってました(笑)。
ー試合はバスケスのパワーと頑丈さで対抗できるかな?3回のダウンは「おっ」とバスケスお得意の「速攻」「瞬時・爆発力」の片鱗がみえた。サウスポー対決、強烈な左ストレートを打ち込み俄然、左アッパーの連打でウィティカーダウン。いつもの苦笑い。ただその後はいいところなく。完封され、まったく相手にならず大差の判定負け。
ーウィティカはおまけに「力強く」すっかりJ・ミドルの体になっていました。ウィティカは即座に返上。体格もJ・ミドルは「だぶついた」もの=「レナード」(におけるL・ヘビー級そのもの)方式悪影響の結末?)。
ーともあれ、空位の決定戦。強打のダニエルスと前王者バスケス。サウスポー対決。11回、逆転の左一発(ラッキーパンチ・しかし諦めず前に出て攻め続けたからこそその機会あり)でKOするまでワンサイド。ダニエルズ(24勝(21KO)1敗)は勝っていれば長期政権も夢ではなかったと考えられる強い選手でした(体が柔らかくおまけに、重たいパンチをなめらかに打ち込む。しかも下半身もどっしりしていてバランスがいい)。
ーしかしバスケスはもう峠を越えていた。敵地フランスでの初防衛戦。ブードア二(リードに大差判定負けで喪失)になすすべなく5回ノックアウトで敗れた(バスケスのラストファイト)。ボクシングの1敗(とりわけ「タイトル戦」しかも勝っていた試合)は大きい。ダニエルスは二度と上がってこなかった(こちらも残念でした)。
ローゼンブラッド戦(ラストファイト):
ー白人ながら「ハグラー2世」(とてものこと。そんなレベルじゃない。パチエンザに4回逆転KO負け・初黒星・21連勝(14KO)なんていう声もあがっていたボストンのホープ。サウスポー無敗の新鋭。
ーこの試合はイスマエル・サラスコーチがノリスについていた。ただほとんど意味がなかった。ブードアニ戦よりさらにバランスが悪く。ガダガダとつんのめって前に出るけどパンチは威力がない(一貫して突進している割には、案外手数もでない)。がら空きの防御をいいように狙い打たれていた。いいところなくストップ負け。悲しいラストファイトでした。この後「脳内出血」で引退勧告。ノリスは断固反対してキャリア続行を訴えていたのでよけいにさびしかった。
番外編・ローゼンブラッド対「パチエンザ」についての毒舌:
ーなつかしのボクマガの結果・戦況報告欄見出し「狂気の復帰」(笑ってしまいました)パチエンザだった。4回の右一発でローゼンブラッドがぐらつくまで一方的に打たれ続けていた。「・・・レフェリーがとめに入ったがパチエンザの怒りは収まらない。つづけて打ち続けレフェリーをなぎ倒してしまった(これまた笑えた☆)「それとなによりも態度は悪かったですね」(浜田氏=ガルサ戦(9回失格負け)そのもの。
ー再戦ではローゼンブラッドが判定で雪辱。