boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

リカルド・ロペス・22度防衛(19KO)・アマ50勝無敗・40連勝(31KO)=タバナス・ロッキー・リン戦追加

ロペスの特質性と特殊なところ。


1、これだけのキャリアがありながら「鼻が潰れていない」こと。あれだけの防御勘を持つレナードにしろハーンズにしろ鼻はみんなつぶれています。顔面が痛んでいないこと。
2、試合が終わった日まで節制する。
3、ストロー級を10年以上キープして連続防衛を果たした。
こういったところでしょう。
当てさせない・打たれるのを極度に嫌う
ロペスは相手の印象について聞かれてもまず一般的なことしかいわない。平野にしろロッキー・リンにしろだった。ただ
「大橋秀行」についてはいつも話す。「一発の破壊力はすごかった。ガブリエル・ベルナルと並んで最強のパンチだった」。おそらくベルナル(スパーリングパートナー時代)と大橋ぐらいにしか打たれたことのない証拠だとおもう。だから非常に嬉しい☆
大橋戦:
ー初回残り30秒、大橋のクロスカウンター炸裂。何度も戻してスローで見た。あれだけ豪快にロペスの顎を打ち抜いたのはアルバレス(1)の二回までお目にかからず。大橋は「ぐらっとして表情も変わったけどそのパンチは二度と当たらなかった」と語っていました。
ー大橋いわく「よける動作が非常にはやい。だからまったく当たらない。拳を痛めなかったのはあの試合だけ」。天才同士の高度な攻防は歴史に残る名勝負として刻まれた。
ーこの試合当時のロペスは上体の動きはなく。ガードを半身に高く上げ、固い。絶対相手のパンチが届く距離には入らないアウトレンジ戦法(これは終始かわらず。ただ後年はべリンシュテイントレーナーの傘下に移り。攻撃に幅がうまれ上体を小刻みに非常によくふるようになる)。
ー二回も大橋が押していた。ロペスは長いジャブを多用しながら慎重に旋回し、絶対射程内に踏み込んでは来ない。大橋の悔やまれる傾向。単発で一発狙い。だんだんロペスの手数が増してくる。
ー3~4回と、ロペスは相変わらず大橋を軸にまわりワンツーから大きな左フックから右アッパーのコンビネーションを再三放つ。すべてヘッドスリップで交わし、ガードで防いでるとはいえロペスはどんどん調子がでてきた。解説者のガッツ氏が同門の先輩ボクサーながら。客観視を忘れ「第三者」の立場を放棄してマイクに向かって「大橋!手を出せ!」と叫ぶのは非常に問題だと今さらながら感じる。
ー5回、また遠い距離からの左ストレートからワンツーが炸裂。大橋最初のダウン。効いていた。立ち上がってロープに詰められる。起死回生のカウンターを狙い左フックを打つがそこでロペスは冷静に対処。右のフェイントから強烈な左フックが命中。大橋ダウン。ストップとなってしまう。しかし大橋自ら語るとおり「ロペスが20回も防衛しているからずっと’前’チャンピオンでいられる」といっていた。順当勝ちとなってしまえばそのとおり。
ーただ逆にノックアウトするチャンスも資質も十分あった試合とこの一戦も何回もみました(笑)。ちなみに大橋(アマ43勝(24KO)3敗・インターハイ準優勝・ロス五輪強化選手)も兄弟ボクサーです。兄克行は元日本ランカー(弟ほどの才能と素質はなかった)。
平野公夫戦:
ー平野の地元福島での一戦。ロペスはあまり調子はよくなかった。当時のワタナベ・ジムは平野、吉野裕行そして大和武士が看板選手。ボクマガのジム紹介の写真が懐かしい。
ーこの試合、平野は残念ながら何もできなかった。試合後、快勝にも関わらずロペスはインタビューに対して言葉少なに「・・・大橋の方が強かった・・・」そのくらいしか語らず。
ーそれにしても今までのメキシカンの誰とも似ていないこちらも斬新なスタイルだったロペス。ずっと一定して繰りだされる左ジャブ。ワンツーからボディーブロー。豪快にふる左右フックからアッパー、さらにワンツー。すべて鋭くまた破壊力満点なのに驚き啞然としてしまったのも記憶にあたらしい。平野を翻弄しながらも万が一の危険は絶対に犯さない。完封の末7回KO。ダウンは強烈で平野の顔はみるも無残に腫れあがっていた。またこの頃は、後年の柔軟なサウスポー対策。つまり頭をふりながら右ストレートを豪快に叩き込み左フックからさらに右フックボディーへ繋いだりはなかった。左ジャブから入る非常にオーソドックスな戦い方もなつかしい。
李戦:
ー韓国の会場は暖房設備がない。控え室は冷え込んでいた。ロペスはウォーミングアップがうまくいかなった様子。棒のように突っ立った半身のスタイルで、ずっと足を使って左で距離を測る展開が続く。クリンチの際、李は明らかに意図的な「ラビット・パンチ」(後頭部を叩く)を乱発。ロペスがお得意の「ポンポン」と肩を叩いて戒めるゼスチャーが印象的だった(これは大橋も笑いながら触れていたところ)。
ー李はストロー級新設によるWBA決定戦で井岡に12回ノックアウトで敗れた選手。もう峠は越えていて覇気が感じられず。
ーロペスは後半戦まで一貫して「体を温める」に費やしたように回顧する。だんだん例の振りは大きいながらスピードと切れがあるからワイルドというより「豪快」そのものの左右フックも目立ってくる。
ーKOチャンスは最終回に訪れた。左フックのダブルから連打。右が命中し李はダウン(レフリーはスリップと判断)。明らかにダメージがあった。ロペスはノックアウトを狙って猛然とラッシュをかける(李はクリンチで逃げるのが精一杯)。試合終了のゴング。大差の判定で2度目の防衛に成功。
あらためて不思議に思うけど、なぜメキシコの選手はあんまり好きじゃないのか。早熟の天才で結構な大口たたき「おしゃべり屋」(特にカマチョ、ゴメスやロサリオなど)が多いMucho Machisumo(プエルトリコ(アメリカの保護領(ハワイやグアムといっしょ独立国ではない、自主的な’一州’に過ぎず)一種の宗教である)の方がなぜか贔屓なんですよね☆
故プリティー・ボーイ・ルーカス:
ーロペスの数少ない判定防衛のひとつ。フィリピンの功打者、確か「リング渦」で故人になってしまったはず。これといってパワーもなければテクニックが優れているわけでもない(後述のマニー・メルチョーなども同類)。しかし強豪であり頑丈な選手。地元メキシコでの防衛戦。大差の判定勝ちだったとはいえしとめきれず。ルーカスは繰りかえし前にでて打ち返していた(ほとんど命中弾はなかった)。
ーまだロペスも若々しい未熟さもみせていた頃の試合。結構ルーカスの絶え間ない逆襲に弱気な表情もみせていたのがよみがえる。
ロッキー・リン(元アマエリート・台湾からの輸入ボクサー・15連勝無敗(4KO):
ーリンが試合後、事態を把握しはじめ涙を流していたのが痛々しい。調子は悪くなかったはず。動きにスピードがあり上体もよく動かしていた。ただロペスが強すぎただけでしょう(ビラモアの挑戦に関して木村会長が「WBCならいつでも挑戦できるが。ロペスは強過ぎる」)。ロペス快心の2回KOで防衛回数を更新。
ー初回、リンはてきぱきした足さばきでいつものよう半身に構え。左で距離を測りながら旋回するロペスを追った(いまさらながら逆に「追わせる」展開にはできなかったのかな。ただリンはそういうタイプではない)。もう少し、結果論ながら突進とともに手数がほしかった。
ー2回に入ると、初回でおそらくリンのボクシング見切ったのだろう。パンチが届く射程外から大きな左フックが炸裂。リンはガクッとし大きく泳いだ。それでも気合で踏みとどまり、なんとか回復を待とうとしているところへまた左フック。これで棒立ちとなったところへさらにもう一発。左フックが命中しリンはロープ外に半身を出す形で横転。すぐストップ。戦慄のKO防衛。
ーロペスは顔色ひとつ変えずまた。ニコリともせずにインタビューに応じた。リンの印象を聞かれてもいいとも悪いともいわず。大橋戦の後とはまるでちがう。王者の風格を漂わせていた。それにしてもリンに勝ってほしかったのはほかのアジア選手たちといっしょ(特にタバナス、ビラモア)。リングサイドを泣きながら降りる姿は真の勝負の世界。ボクシングの厳しさを物語っていた。
呉戦:
ーサウスポーの呉は同階級金光善(ソウル五輪金・プロ・チキータ・ゴンザレス戦(11回に倒され12回KOされるまでリードしていた)カルバハルに挑戦(7回左フック一発でノックアウトされるまでガードを固めて前進をとめず接近戦に持ち込み強打を打ち込んでいた)アマのスターボクサーだった。アマ時代、カルバハル(ソウル五輪銀)に二度ダウンを与え判定勝ちしている。
PS:こうやって書いていると無性にまた「はじめの退歩」氏が腹だたしい。こうした実在のボクサーとまったく関係ないところでゴチャゴチャやっている。ロペスだスマッシュだと(今もそうなのか?)。
ーとにかく「流血」がすごかった。9回ストップで防衛。ロペスは返り血で真っ赤。後半はそれが固まって両者ともひどい有様になっていた。これがホンマモンの「ボクシング」「拳闘い」であります。
ー呉はひるまず、勇敢によく攻めていた。スマートなサウスポースタイルから右ジャブに左ストレート。ロペスはいつもとおり慎重。ずっと旋回しながら左をフェイント気味に放ち、強弱をつけて遠い距離からストレートを放つ。とにかくロペスのあらゆる類でいろんな角度から飛んでくる「ボディーブロー」の破壊力に引き込まれたのも回想する。
ーしかし東洋の選手が、無敵のロペス相手に物怖じせずがんばるのは心地よかった。それにしてもまさに「その純白に赤き血を朱に染まった」チャンピオンと挑戦者・・・すさまじい戦士たちの軌跡を鑑みれば、またまた突起物麻酔注射の「退歩」氏さん。どういうこっちゃねん?ですよ(苦笑)。誰ひとり「サウスポー」そして「流血」したのはみたことない記憶があるけど・・・(-_-;
古強頑固なアヤラより☆また再開しますね☆
ハビエル・バルガス戦(+ゴチャゴチャ脱線込み):
ー同国人、まさに岩石男のように頑丈な強打のサウスポー。ロペスはすでにドン・キング傘下に移籍。ベリンシュテイン氏のコーチを受けていた。こうして書いているとサウスポー(特に軽量級ほど多い)との防衛戦の回数に呆気に取られてしまう。しかも「世界中のランカー」が凌ぎを削って研究に研究を重ねての成果をぶつけてくる連続防衛記録。
ーロペスは試合が終わった日(とりわけメキシカンは大酒のみ・宴会好きが少なからず)すら祝賀会・「大饗宴」(「退歩氏」関連の’架空ボクサー’たちは?「ロッキー」(1)の地獄耳悪徳プロモーター意地悪なやくざもが小バカにして吐いた捨て台詞から(未来のかみさん「エイドリアン女史」(フォード・コッポラの妹)との初デートに臨むバルボア氏へ)「おう、動物園いきな」(スタローン氏が激怒する場面・ついでに「フリッカージャブ」で携帯強奪も提案・まったくもって嫌味だけで「一冊」可能な気配充満)に加わらない。
ー適当に受け答えし、食べたらすぐホテルの部屋に戻って就寝に入る。体を休養させる。だからこそ10年以上もおなじウエートを維持でき(しかも最軽量の階級)王座に君臨が可能になった。鉄壁心の証。もうひとこと今思いついた自前の捨て台詞「おう、「センター・スポーツ」いきな」(でも卑しくも「ジム経営」しとるんなら
行ったことぐらいはあるよね?)
ーバルガス戦に戻ろう。来日経験あり。日本のワールドチャレンジャースカウト(第二弾・メインは三谷大和VSノリー・ジョッキージム(ちなみにタイ選手は「名前」だけが「本名」(しかもしょっちゅう「リングネーム」は変わる。「苗字」は時には「リポビタンD」であり「ギャラクシー」(カオコー・カオサイ)(Galaxy=後援スポンサー・会社名「銀河」のこと)、シスボーベー(タノムサク(タルンサクから晩年は「カオヤイ」)のセミで二人ともロペスに敗れたマニー・メルチョーに判定負け。
ーどうも脱線誘惑に負けて集中力不足のカナダ、リッチモンド・ヒルでした(おまけにカナダ人たる「同胞」「同国人」改竄「スマッシュ」ラドックはこの瞬間すら、おそらく’近所’にいるのでね)。
ーロペスは足を使い距離を保ちながら。突っ立った半身に高く上げたガードによるブロックだけが防御方法だったのが一転。上体を激しくときには大きく輪を描くように(しかも大橋氏が指摘するとおり動きが「速い」)とまた小刻みになったりと幅が広がった。サウスポー対策、ぱっと距離をつめ閃光のようなスピードで右ストレートから左右ボディーを乱打しアッパー、またぱっと射程外に去って旋回・・・バルガスは強引に前にでる迫力とパンチ力がまったく生きず8回KO負け。もうロペスに「弱点」(サウスポーは得意ではない)はなくなった感が強まった。これらも夢のまた夢。ずいぶん前の話になってしまいました(4~5年前、久しぶりに写真をみた。大分禿げ上がり、若干肥えた。髪は薄くなっていたけど元気そうで貫禄ある姿(現役時代にはみせたこともない「温厚」ないいお父さん姿嬉しかったです(「プライベート」を守り、家族(まだ小さい息子さんとお嬢さん)も非常に大事にする紳士)。人間としても鏡でしょう。
タバナス戦:(フィリピンの「稲妻小僧):
ーロペスは拳の負傷で約一年のブランク。WOWOWの総集編で小泉氏が「どんどん前にでろ。といっても行かない。それだけプレッシャーがあったのだろう」と語っていました。タバナスはハードパンチャーで切れ味鋭いまさに「稲妻」にふさわしいパンチを打つ。私もタバナスの試合は結構見た。日本でのデビュー戦となったピューマ・金平(メキシコ・協栄ジムの輸入ボクサー)には6回TKO負け(もともとピューマは二階級上の選手)。
ータバナスにしては消極的で手数も少なかった。ロペスはほんとうに慎重な選手。拳の治り具合からすべての動きや勘が戻るのを調べるかのようにずっと旋回。遠くから少しづつ力を強める。いつも以上に長い距離からの「アウトレンジ」に徹し。あれではタバナスが前進をためらう気持ちもわかる気がする。
ータバナスは調子はよかった。ときどき打つパンチは速くそして切れがあった。ただ単発で連打につなげられない。どんどんロペスはブランクの錆を落とすかのように強弱をつけてワンツーからアッパーを命中させる。安全運転、大差の判定で完勝。では満足せず最終回、一気に猛攻に転じるあたり「戦うチャンピオン」の誇りと甘えの一片すらない風格に痺れてしまった記憶も新しい(けれどタバナスに勝ってほしかったのが本音)。12回ノックアウトで防衛。見事だった。
ビラモア戦:(タイソンVSブルーノ(2)のセミ・29勝(26KO)1敗):
ータイソンの試合(TVKO=有料)をみるまでこのカードが組まれていることすら知らなかった。だからもっぱらこっちが楽しみに移りかわった(これも何回見返したかわからない名勝負=「玄人受け」)。
ーフィリピンセブ島出身のアラ・ビラモア(木村(後述するロペスに最終回仕留められたアンディ・タバナス(大塚)とともに新日本木村ジム所属のときもあり)は不運な天才ボクサーだった。井岡や大橋と死闘を演じたタイの「ナパ」をサウスポー対決(本名(名前・「苗字」ではない)「キャットワンチャイ」=「会社名」です)で2回で豪快に沈めた試合も思い出される。
ーおまけに初挑戦だったタイのラタナポン(兄弟ボクサーラタナチャイ(後にラスベガスで、豪打の元スター・ダニー・ロメロを空回りさせ判定勝ちの殊勲)に7回KO負け(実は「計量器」(体重計)がおかしかった。ラタナポン(通算19度防衛(15KO)は前日軽量(いまだに反対・むかしは当日試合の朝)の時点で1キロ以上オーバーウエイト・試合当日は2~3キロ。明らかに一階級上の体格だった。しかも強打のサウスポー、すさまじいハードパンチャー相手。ビラモアはよくがんばった。けど2回に強烈な左を浴びせられてからガタガタになってしまう。3回に最初のダウンを奪われ7回ストップ負け(「応援してくれた大統領はじめファンに申し訳ない」と泣き崩れていたのが痛ましかった)。
ーラスベガスのしかもスーパーファイトのセミ。MGMは満員。小泉氏がコーナーについて浜田氏「真剣ですね」。高柳氏「まあマネージャーといってもいっしょにロードワークもし」浜田氏「だから本当に一生懸命ですよね。ひとりの選手を育てたいという気持ちがほんとうに良く伝わってきますよね」。
ー8回開始直後、右ストレートから軽く放った左アッパー。あんなパンチは日本人では絶対打てない(「チャンピオンPV」’架空’早見氏は?浜田氏「あの距離から左アッパー打てるんですからね。ビラモアの不注意でもなんでもないんですよ」葛西氏「いやすごいですね。ただ勉強にならないですね。打てないですからねああいうパンチは。いやすごいですね」。
ー試合後、WOWOW放送席に戻ってきた小泉氏が悔しそうに語っていたようにビラモアはいざ蓋を開けてみるともうひとつスピードも切れもなかった。それでも小泉氏の作戦通り、左ストレートのボディー打ちをずっと狙い忠実に実行。盛んにダブルトリプルで放っていた。6回後半、左ストレートを命中させ連打。ロペスは鼻血を出す(めずらしい)。
ーロペスのパンチは左をおもいきり伸ばした(さらにリーチも長く、射程外遠い距離から繰り出してくる)ところから左フック、右アッパーが飛んでくる。いやはや・・・圧巻でしたけど悲しかった。
サンチェス戦(24勝(18KO)1敗)・王座統一・ロペスのベストファイト:
ーサンチェスの試合は何度もみていた。小柄ながらパンチがありよくまとまったボクシングをする。連勝街道を突き進みKOの山を築いていた。1敗した試合はみていない(贅沢ながら「無敗対決」で実現していたらなお良好)。
ーロペスは磐石の風格。もはや敵なし。遅すぎたタイトル統一。初回からよくサンチェスはひるまず前に出ていた。ただパンチはまったく当たらない。ロペスは凄みを増した。表情も以前よりたくましくなり「ザ・グレイテスト」そのものの雰囲気。
ーいつもどおり遠距離からのあらゆるパンチが飛んでくる。サンチェスのガードは固いし、上体もよく動かしていた。それでもロペスの強打は倍の長さと鋭さがある。とりわけこの試合はすさまじかった。豪快なスイングが閃光のようにしかも破壊力たるや(この試合もよくみた)。
ー2回、最初のダウン。手数が多い。特に左右のアッパー連打が印象的だ。ボディーブローもしっかり組み込むのも忘れない。このスタイルに完成されたな、と感じたのももう10何年前となれば私も老けました(苦笑)。ロペスもいわゆる「剃りあがりハゲ」それが一層外見に威容を含ませていた。
ーおそらくサンチェスのパンチは一発もヒットしなかったのではないか。まさに完璧、完封の滅多打ち勝利。4回にダウンを追加、続く五回。ロープ際に吹っ飛ばすようなダウンでフィニッシュ。まさかアルバレスにあんなに苦戦するなど想像もつかないFinitoぶりにあらためて感慨深い。
アルバレス戦(1):WBA王者との無敗対決(24連勝(16KO)・タイトル統一戦:
ーこの試合についても知らなかった。チャべスとゴンザレスも「メキシカン対決」(しかも両者とも全盛期を越えての生き残り戦=12回引き分け(1-0でチャべス)だからあんまり興味もわかず(実際激しい打撃戦だったにせよ。凡戦だったのでは?)。ニカラグア(1979年のサンディ二スタ社会主義政権誕生後全財産没収・マイアミに亡命中だった故アルゲリョにあこがれてボクサーになった選手)のアルバレスは破壊力もあり技術面でも優れた強敵。日本で大橋を破りタイトル奪取後10度の防衛で安定王者だったチャナ(双子兄弟ボクサー・弟も日本人と対戦(名前忘れた・勝利)・世界王者・チャナは大分たってからタイトル奪回(初防衛戦で新井田に議論紛糾の判定でタイトル喪失)を敵地で破っての王座奪取(タイで勝つのはたいしたもの)。
ー久しぶりの地元メキシコでの試合。さらにあの大観衆(おそらくスタジアムには7~8万入っていただろう)。ちょうど娘が小さかった頃のこと。遊んだり、いろいろ世話をしながらで試合に集中できず(苦笑)。
ー2回、アルバレスのクロスカウンターで吹っ飛ばされるようにダウン(信じられなかった)。一進一退の攻防大苦戦まさに統一戦にふさわしい好ファイトとなる。ロペスは目じりも切り流血。3回には普通は試合開始、初回ゴングだけの十字架に接吻(神に祈りを捧げる)を「どうしたらいいんだ」という感じで何度も繰りかえしていたのが印象的だった。
ーロペスはそんなに調子は悪くみえなかった。ただアルバレスが自信満々再三右クロスを狙い、物怖じせず強打を叩き込んでくる。ロペスはなんとなく一回転普段より遅れているような気がした。不用意にアルバレスのパンチを浴びていた。すさまじい打撃戦となる。このままだとアルバレスが押し切りそうな気配が蔓延してきた頃ロペスの出血がひどくなった。
ーこのとき、なんとも不可解な形でレフェリーが割ってはいる。負傷判定となる。1-0(アルバレス)のロペスには分の悪い引き分け。やっぱり無敵の英雄、しかもこれだけ節制を心がけ研究熱心なロペスでも終わりの日は来るんだな。さびしい気持ちになった。
ーメインのチャべスVSゴンザレスはどうみてもチャべスの勝ちにしかみえなかったけど。両者とも調子はもうひとつ(というより「峠を越えた」元スター選手の生き残り戦といった雰囲気だった・ゴンザレスの精悍な若武者「東京三太」の頃を知るのもにとっては別人のよう。パンチは往年の切れや鋭さもなく。後にジューにいいところなく。一方的に乱打されながら10回KOで敗れる布石ともなった一戦だった)
アルバレス(2)再戦:
ーまずWOWOWのスタジオにロペスが現れたのはびっくりした。小泉氏があんなにスペイン語ができるのにも驚いた(笑)。セミではバレラが辰吉とラスベガスで熱戦(7回完膚亡きまで叩きのめしストップ勝ちは見事だった)を演じたカルドスを豪快に2回で粉砕。健在振りを示していたのも懐かしい(ロペスは本当に口数が少なく。相変わらず寡黙で謙虚)。
ーこうして振り返っていると、名だたるメキシコの拳豪たち(放蕩で大酒飲みだったオリバレスや寡黙ながら酒は大好きなチャべス、ラミレスやピントールなどなど)とは異なりまったく違うタイプながらクエバスと例外的に贔屓の選手かもしれない(ほとんど故サンチェスやチャべスなどと並んで「アンチ」(ゴメスやラポルテ、ロサリオあるいはロジャー・メイウェザーなど私の好みが次々軍門に下る)なところがメキシコファイターが苦手なところと結論)。
ーアルバレスはスタジオのロペスも同調していたよう。明らかに「故意的・意図的」なウエイトオーバーだったように思える(「タイトル」よりロペスを打ち破ることのみに集中)。それにしてもあらためてロペスの強さに感動してしまった。一戦目より全然パワーも覇気も上だった。
ーでもあれだけ打たれてもアルバレスはビクともしない。盛んに相打ち狙いでガンガンパンチを出してきた。ロペスは鼻血を出し目尻からの流血の痛ましく全盛期では考えられないくらい打たれ顔も無残に腫れあがっていた。
ーそれでも随所随所にカウンターを叩き込み。いつものあらゆる角度からあらゆる種類のパンチが多様に飛んでくるスタイルは微動だにせず。判定は妥当だったように考える(2-1でロペス)。雪辱なる。アルバレスは一戦目に続いて大むくれだったけど(笑)。
グリグスビー戦・二階級制覇:
ーこの選手は往年のソウル五輪総出だったスーパーファイト(レナードVSハーンズ、デュラン(3)やホリーフィールドVSダグラスなど)の前座。カルバハル戦(4回判定負け)を大スクリーンでみたのを思い出した。スマートな黒人選手でカルバハルに決定打を許さず。スピードがあるストレートパンチャーだった。
ーその後、ずっと引退。ブランク後、カムバックして王座奪取。ロペスがもっとも苦手とするタイプ。ロペスより長い距離からストレートを放ってくる。しかもスピードがあり足も使う。ロペスを軸に逆に旋回しながら遠い射程外から打ち込んでくる右ストレートを再三浴びて出血。アルバレス戦で峠を越えてしまったロペスの晩年である。
ー結果を先にいえば、12回判定勝ち。4~5回辺りから、ロペスはぴたっとパンチを食わなくなった。さすがでした。アルバレスとの2戦以来、ちょっと雑なボクシングになっていた感強し。往年の慎重な「アウトレンジ戦法」から強引に相手のパンチが届く距離に入ってしまう(WOWOW放送でも浜田氏が繰りかえし指摘していた)。
ーまた、小泉氏が兼ねてからロペス攻略に想定していたそのものがグリグスビーのスタイルだったように回顧する。ロペスより長い距離とスピードを保ち、ロペスを前に出させざる負えない形に持ち込む。
ーアルバレス戦((1)では2回、右クロスカウンターが炸裂しダウン。その後も一進一退。目を切り出血(2)はウエイトオーバーのバスケスが相打ち狙いでがんがん強いパンチを放ってくるのがよく命中していた。鼻血をだし、瞼がふさがり腫れていたロペス)以降のこのグリグスビー戦まででそれまでのキャリア全部より多く打たれた気がする。
ラタナポン戦:(バルガスVSトリニダードのセミ):
ーちょうどクリスマス。元かみさんの会社パーティー。競馬場内の会場。あちこちに設置された大型テレビでちょこちょこ見ながらだったのを思い出す。同僚女性のご主人たち。ボクシング好きなイギリス人博士(出身大学の大先輩である)やアメリカ育ちの韓国二世。かつていろいろWOWOW放送も雑多に交えた「ハメド」から「韓国人ボクサー列伝」や「イギリス拳豪特集」を作っては贈っていたのも懐かしいかぎり。
ーその韓国系の友だちがロペスとラタナポンをみて盛んに「すごい選手だな」ってびっくりしていたのもよみがえる。
ー現実問題として、ラタナポンとはIBFとの統一戦でみたかった。あの当時であれば、サウスポー加えて戦慄の豪打者のラタナポンの勝機も十分考えられたはず。
ーロペスは一休み。むかしのスタイルを取り戻していた。また「射程外・遠方距離」からの「アウトレンジ」千術。見事なもの。ラタナポンも開始からよく攻めていた。ただ往年の破壊力とスピードは失せていたように感じる。
ーロペスはことごとくパンチを空転させては再三右ストレートを打ち込む。ロープにつめて左右アッパーからボディーブロー。ラタナポンが逆襲にでるやさっと離れる。3回、滅多打ちのところで確かスチール氏の「早いストップ」でした(でも妥当だった)(笑)。
また再開☆アヤラ