boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

青木勝利(メガトンパンチ・元東洋王者・51勝(29KO)14敗)と戦後まずしかった「白黒」時代の東京とボクシングの思い出

PS:参照している写真は1994年のイギリス、ロンドン。ベンに二度目のダウンを奪われたマクラレンが立ち上がれない最後の瞬間の表情。
みなさん こんばんは。
悲運と宿命のボクサーたち:
若い世代のファンの方々にはあまりなじみがない題名だと思います。古強世代となれば「なつかしい」と思い出す人も少なからずでしょう。
青木勝利現在は八丈島でひっそりと余生を送っているらしい)かつて往年の「フライ級三羽烏」とよばれた一人。故海老原選手、ファイティング原田選手とこの豪腕天才サウスポー強打者だった青木。とかく「練習嫌い」と「素行の悪さ」ばかりの標語を貼られてしまっているボクサー(海老原の「カミソリ」(新人時代に2回KO負け)に対して青木はナタの切れ味「メガトンパンチ」と異名された)ながら近年。Youtubeに以前紹介したジョフレ戦(王者7度目の防衛戦)も断片だけながらあらわれて久しい。私はどうしても「悲運」あるいは「悲劇的」な選手に感情移入してしまう傾向いがめず。これは今までで十分以上に伝わったと察します「苦笑)。
ーむろん「リアルタイム」では知りません。小さい頃から「日本名ボクサー100人」はじめあらゆるボクシング専門誌で読んだ記事からイメージを作り何度も頭のなかで組み立てていた。その一人が青木でした。
ー世界戦、立ち上がりからよく攻めた。ワンツーを再三叩き込み(ブロックされていながら)得意の左フック、アッパーから右フックを繋げてがんばっていました。3回、ジョフレは左アッパーでサウスポーの青木のボディーへ軽く当てた。青木の表情に嫌悪感が走った。そこへ今度は強烈な同じパンチ。青木はダウン。立ち上がったところへもう一発。2度のダウンでなんとか立ち上がりながらストップ。ノックアウト負け。
ー続いてフィリピンのアグイリーに9回KO負けで東洋タイトルも失う。再戦で10回KO勝ちでタイトル奪回。以後4連続KO勝ち。無二の宿敵ファイティング・原田との決戦を迎える。これも紹介しましたが無音声ながらゴングと同時に「ラッシングパワー」(原田の連打は一発一発威力があるパンチをまとめたもの)で猛攻。ロープに詰められた青木は左フックの相打ちで応戦。カウンターとなり原田はつんのめる形でロープに半身を出してしまうほどの強打。
ーしかしこの試合に関しては気合と根性、練習量の差と取り組み方に差がでたとみます。青木はその後も左右フックを返して、単発のパンチはヒットさせながらも手数が違う。初回終盤には始めのダウンを奪われ、3回TKOで完敗。
ー引退後さまざま特集が組まれ当時の「三鷹ジム」川野会長の言葉(中村敦夫氏の取材でした)、
「気はあんまり強い方じゃないかもしれんね。う~ん。いつも次は負けるんじゃないか、負けるんじゃないか、と考えていたみたい・・・」といったことでした。
ー弟さまに連れられて坊主頭の老いた青木が現れた。引退後社会面をにぎわせた「無銭飲食」などについて話していたのが忘れられない。最後にカメラに向かって手をふっていたあたりに往年華やかだったスターの片鱗を見た気がした(現役時代、「ビリヤード」に興じる背広姿の在りし日の青木。日本名ボクサー100人には、
「天才にありがちな遊び好き。そして、またうまかった」とあった。つづいて写真でポーズをとり「引退後、キックブームにのってキック転向を宣言」といったのもよみがえる。
ー故寺内大吉氏が引退試合一試合前(ラストファイトは韓国の徐守康に10回判定負け)期待の新鋭ホープ柴田国明との一戦前の思い出について、
「・・・もうあれは青木の最後の試合だったんじゃないかな・・・大吉さん、今度の青木はみてみてください。違いますよ。って聞いたんだよ。そうかねっ、て見てたら。青木がでてきた。何か赤い顔して足がフラフラしてやがるんだよ。はじまって二三回打ち合ったらあっというまに倒されて終わっちまったんだ・・・あとで聞いたら、試合前までほんとうに真面目に練習して減量もがんばって・・・でも、計量が終わった。とたん、ガーっと酒飲んでどっかいっちまったらしいんだ(笑)これ聞いてねえ私はもう・・・」(おかしそうに語ってた顔がなつかしいかしい故氏の毒舌だった)。
古きよき時代。小さい頃、青木の試合を「銭湯」「電気屋」のテレビに群がってみた。そういう経験を持つ父や叔父たちの話を目を輝かせながら聞いていた(青木だけではなく海津、権藤、矢尾板)「坊主頭」の小学生時代を懐かしく思い出します。私がしらない、戦後「白黒時代」の日本ボクシング界について。ふんわりよみがってくる記憶は当時まだ貧しかった少年の頃。目黒や渋谷のオンボロアパートでむろん「白黒」。メシはいつも「白菜の漬物」「アジのひらき」そんなんがおかずだった。ときどき誰の試合かあんまり覚えていないがボクシングをみていた(明確に記憶しているのはアリ、日本では「小熊正二」(おそらく対カント、ゴンザレス)サウスポーのきれいなボクシングなんだな(まだ「マニア」になるずっと前のこと)あとは「柴田国明」「輪島功一」ですね☆そういったあたりを、2016年の「カナダ」から「ネット」上で語るなんともいいがたい不思議な感覚を伝え今回はこの辺で。ありがとうございました☆若い世代の方々には何かの参考までに。
アヤラ