boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

アイク・バズーカ・クォーティー☆終身戦績37勝(31KO)4敗1分+'Out of Africa' Fallen Warriors McClellan& Forest

PS:写真がロサリオがラミレス(1)戦。五回、コーナーに下がりながら命中させた改心の左フック相打ちカウンターです。
His oldest brother won the silver medal in 19’60’s(^_^;JL: That was the Ali won a gold which George was 11 years old watching on the TV Forman: Hahaaa~~~!!(^_^ ~Got to be strong~I believe I could fly~ Phillips(ex-drug addicts) comes in to ring. . .Ike Bazooka: I want to fight Whitaker now, right here in the ring, any time place!  Merchant: You want to fight Whitaker now? I don’t think it’s on the schedule tonight Ghana!! Africa!!(After knocked Phillips out in 3, 95 St-Martin)   vendredi/Mars/31/2017 Richmond Hill On Canada for all the 'Boxing Fans'!!(^_^
こんばんは☆本日は出張治療に出向き。クォーティーVSフィリップスiPodでみてました。とにかく強い。「あんなに強いパンチを受けたことがない。ジャブだけで効いてしまった」(フィリップス(がまず入場(ソウル五輪金のチームメートマッキニー(おなじく逮捕(麻薬・少女への猥褻行為)がいっしょ)も元「依存症患者」(誉ある「努力」による傷だらけの「成功」(無敗の元アマ世界王者をノックアウト戴冠)ストーリー)のインタビュー)↑はその試合HBO放送陣営(27人兄弟(5人の妻=「両親はいっしょなんですかね27というと」(浜田氏+ロペスのクロスカウンター命中でダウン)の上の兄が「60年のローマ五輪銀」(末弟アイクはソウル五輪3回戦敗退(グラハム・チュイ二ー(金・豪州)「ジョージは11歳でテレビでみていたんだな」「ははは~」といつもの’ふっくら’笑のビッグ・ジョージ(^_-☆ハリケーン・アイクのインタビューです(彼等の笑顔はすばらしい☆)
序章:世界本国の「拳友」たちへ
WOWOW=「あっ、ジュダーも殴ってるんですね!!」(香川氏)「あこれ性格出てますね~いやいやいやジュダーの場合はこれもうレフリーにもやりかねん選手ですからねえ~」(浜田氏)「ここでロジャーが入ったのはですねえ~」(小泉氏)「さあ、チャンピオンもそろそろポーズばかり気にしてはいられないラウンドに入ってきています」(高柳氏)「うう~ん、なんでこんなにいい選手がそれくらい我慢できないのかなあ~ともったえなく思いますねえ~」(浜田氏)「だけど、ちょっと不真面目ですね」(小泉氏・マーサーVSホームズ)
1、94年、モントリオールの州営(給料付き=*_*;)新移民者用仏語学校でガーナ(元通産省勤務・経済学者・英仏堪能=「徳川幕府」について聞かれたのは驚いた(わたしの「専攻」は’歴史で’ですので)。ちょうどクォーティーとおなじ「アクラ」(’ガ’(語)族)出身。ネルソンとバズーカの名前をあげたら嬉しそうでした(ほっこり☆)。あと「日本には黒人はいるのか?」残念ながら「差別・蔑視」(米軍基地=80%黒人兵)について話すと悲しそうだった(くわえて「プレゼンテーション」に領事館から借りた「資料」(東京(原宿)の写真・70年代)をみて「なんでアメリカの星条旗(道を日の丸といっしょに並んでる)がこんなに出てるんだ?」(笑)
2、ロシア人の友人経営リハビリ医療院で働いていたとき労働者・現場で怪我。中年の温厚な人だった(ずっとガーナだとは知らなくて1ヵ月後ぐらいに)。その人は「ガ族」ではない地方出身者。けどデビット・コティ、コナドウについて語りました(笑)。タクシーの運転手でネルソンにそっくりな2人別(1、ひとりはそっけない人だった(苦笑)2、このお方によれば(ちょうどバルガスに負けてしばらく後)「出国」(特にアメリカ行き)が難しくなってるとのこと。あとは「税金」の問題(すでに豪華「ホテル」街の会長さま(ハーンズみたい)・大富豪)らしい。
3、「南アフリカ」(タクシーの運ちゃん)「ボルブレヒト」を知ってたら大笑いして嬉しそうでした(懐かしい・2000年頃)。黒人は「アフリカーンズ」(人口は全体の10%ぐらい(英連邦系白人が20%あとは黒人です)オランダ語・英語他西欧語のミックス「支配者」たちの言葉)はできません(English only/マセブラ(アパルトヘイト時代・79年)ヌシタや「ソエトの黒い薔薇」トベラとナザロフの2戦についても語りました)。ボクシング→「世界共通」「国際友好」を促進+肯定面だけです(イチカナダ人の意見)。
故バーノン・フォレストへの追悼と黙想:
終身戦績36勝(28KO)2敗1分(アマ・バルセロナ五輪・三回戦敗退)
ーもう10年近く前になりますか。地元(確かジョージア州アトランタ)、深夜のガソリンスタンドで給油中、強盗団に襲われ銃撃戦。射殺されてしまいました。享年40歳(と記憶しています)。ひたすら冥福を祈るしかない。ボクシングのスタイルも完成されたストレートパンチャー。目立たない地味さがあったにせよ(これは性格も同じ)堅実なボクシングで30連勝(25KO)で挑んだ無敗無敵デラホーヤを破り全階級NO・1とされていたシェーン・モズリー35連勝(32KO)無敗(アトランタ五輪代表選考戦でフォレストに敗れた)に挑む。
ー結果2連勝。「相性」も大きく作用したように思えた。モズリーは射程外から放たれる右ストレートに翻弄される。初戦は2回に2度、7回にもう一度ダウンを奪われ痛恨の初黒星。再戦はモズリー気合入ってました。初回ゴングがなるやいきなり突進して右ストレートを叩き込みフォレストの顎をかすめる。けど結果は一戦目より競っていたとはいえ大差の判定負け(まだ「現役」のモズリーについてはいずれ☆)
*なお、このフォレスト。努力型の「天才」そのもの。実に飾り気のない優しい青年でした。「ファイトマネー」のほとんどを貧しい黒人の子どもたちなどへ寄付していた。痛ましいかぎりです。
フォレストVSクォーティー:
ーHBO放送での採点は117-113でクォーティーでした。フォレストも強打の野生児マヨルガ(ニカラグア出身・コスタリカでデビュー)に3回KO負けで初黒星とともにタイトルを失う。こちらも「相性」(ちなみにモズリーは大分後ながらこのマヨルガに壮絶な10回KO勝ち(ダウンを奪って辛くも立ち上がったところへ左フック一閃。すごいパンチですごいノックアウトでした)なんでしょうね(モズリーは「ライト」にも二連敗してます)。二人の控え室がうつる。両者とも気合入ってました。マクガートのミットに打ち込みウォーミングアップ中のフォレスト。それを厳しい表情で見守るブリーランド。一方クォーティーは3連勝で今度は「ブランク」なし。リラックスして軽いシャドー。いい雰囲気で体の締まりも全盛期そのもの。ブリーランドが試合3ヶ月前から地元のアトランティック・シティーからフォレストを隔離しニューヨーク入り。一切、まわりの取り巻きや友人などから遮断させ。試合に集中させるためとか。メインイベントのゴング近し。
ーフォレストも肩の負傷と手術で2年のブランク。再起3戦目(2勝1KO)。クォーティーは5年のブランク後3連勝(2KO)。挑戦者決定戦および生きのこり対決。
先にフォレストが入場。次に出てきたクォーティー。こんなに真剣で闘志満々なのをみたことがない。いつもの自信満々「笑顔」がなく眼光も鋭い(まさに「オーラ」でした)。解説者がいうにはかなり本国も含めた支持者たち(むろん私もおなじ一人でおなじことを主張)に「自信過剰」を批判されたという。
ー結論から。「3-0」(4ポイント差から1ポイント差)でフォレストの判定勝ち(これはWOWOW放送なかった試合ながら小泉・浜田陣営だったらどう採点したか?いまだに興味深い)
ー「有効なクリーンヒット」は終始クォーティーが叩き込んでいた。ジャブからときどき悪い癖(となった「チョップ」気味のパンチ。特に右ストレート)相変わらずだったにせよ強烈な右フックや左を打ち込む。「的中率」の面でもはるかに上回っていたようにみえた。
ーブリーランド(チーフトレーナー・補助トレーナーはマクガート)はクォーティーの弱点のひとつを指摘していました。遠い距離、射程外(モズリーも似ていた)に打つ左ジャブ(それも足を使われ)は後ろ足を蹴った形で安定性がなくなる。だからバランスが崩れ、効果も薄い。たしかにそんな感もみえていました。
ーただ、倍以上の手数を出すフォレストより「強打」を命中させていた頻度はあきらかにクォーティーだったのも事実。
ー判定が読みあげられるとき。勝利を確信していたらその判定。愕然としていたクォーティーの表情が忘れられない。フォレスト陣営は明らかに負けていたような印象を最終ランドゴング後、示していました。デラホーヤ戦もバルガス戦もアメリカの「判定」に文句つけていたクォーティー落胆して言葉も出ず。インタビューで「またアメリカにきて試合をするか?」の問いに「今は少し休みたい。また考えてみる。ほんとうに落胆した」と言葉少なに語っていました。
クォーティーVSバーノ・フィリップス:
-5年のブランクはおおきい。一方、おなじ年齢のフィリップスはずっと現役。頻繁に試合を行ってきた選手(全盛期は晩年ながら元王者だったジュリアン・ジャクソンをKOしました)
ー初回、二回と再三フィリップスの右クロスカウンターから左フックボディのパターンを食っていました。小泉氏「ブランク空けの選手。ましてや5年もブランクあった選手はどっかさびついてるものなんですよ・・・クォーティーの左の強さは健在ですね」2回、手打ちでナックルがかえってないにせよ右フックが炸裂していらいフィリップスは慎重になった。「腕の力」、体重がのっていなくてもどのパンチも強烈。WOWOW放送浜田氏解説「やっぱりフィリップスの場合はずっと続けて試合やってきましたからね。その差が出てますね」
ー年齢はおなじ35歳(フォレストもそう)。フィリップスはちょっと飛ばししすぎた感ありで鈍ってきた。クォーティーのバズーカジャブ健在。どんどん左を打っていく間にだんだん感覚を取り戻してきたよう。3~4発つづくまとめる連打も出てきた。
ーでも8回、KOを狙って勇みこんだところへフィリップスの左フックがドシンっといた音で命中。クォーティーダウン。効いてました(ロペスに奪われた2度目、デラホーヤに倒されたダウンに似ていた)。しかしフィリップスも疲れている。後続がつづかなかったのがよかった。しかし終了時点で「ダウン」ととられてもおかしくない。もう一度前のめりに倒された。
ー9,10とクォーティーが取り返し判定勝ち(2-0)でしたけど。フォレスト戦とは好対照。「95-94」が二人。これほど公平な判定はない。いよいよ。実は、バルガス戦のあとライトに二連敗したモズリーとのノンタイトル戦がほぼ決まっていた(デラホーヤ戦前、ウィティカとの統一戦がWBC王者の逮捕とリハビリで延期。惜しくも望まざる「1年」のブランク。バルガス戦前のもさらに「一年」(かたやバルガスは12試合(全勝・11KO)。
ーロペス戦後、合計8年でカムバックまで「2試合」(スーパーファイトだったにせよ)しか行えなかったのは残念だった。ちょうど楽しみにしていたエスパーニャがそのまま引退してしまったのといっしょ。
クォーティーVSデラホーヤ:
ーブランクが気になった(約1年)。それに最後の試合がロペス戦の大苦戦。弱点を突かれてそのまま試合がないまま。今度のスーパーファイト(しかもサウスポーのウィティカを想定したトレーニングをずっと続けていた。デラホーヤはまったく別のスタイル(アマ時代はフォレストといっしょにバルセロナ五輪(アメリカ二人だけの金)・27連勝(22KO)無敗まさにエリート中のエリート・マッチメーキングも巧みで徐々に「強豪」にあてていった)。
ー一方デラホーヤは快調な実績を重ねていた。でも初回ゴングがなるとクォーティー絶好調。左フックにつづいて右ストレートを叩きこむ。また左フックからバズーカジャブへ。
ーただデラホーヤはよく研究していた(おまけにこちらもベストコンディション)。HBO解説のフォアマンはデラホーヤ大びいき(モズリー戦(2)もフォアマンはしきりに「ひどい判定だ!」と連呼していた・HBO解説では「117-114」でデラホーヤの勝ちだった)。
ー確かにいうとおりデラホーヤの「ジャブ」が有効でバズーカジャブはほとんど外される(3回くらいからクォーティーはガードをさげてデトロイトスタイルのような「フリッカー」などをまじえて盛んに「挑発」デラホーヤが出てきたところに「カウンター」を狙う駆け引き)。初回、終了間際タイソンばりの右ボディーからアッパー(硬いクォーティーのガードの合間をぬって軽くながら命中=カーが二回にヒットさせたのとおんなじコンビネーション)さらに左右フックからストレートとつなぐ(ほとんどブロックで弾き返されていた)。
ー2回、終了が迫り「睨み合い」展開に会場から「ブー」が巻き起こり始めた瞬間。クォーティーが右を肩越しに炸裂させた。歓声盛り上がる中、さらに左フックから右へと繋ぐ。両者スピードと切れがある。
ー3回終了直前もにたような見せ場。今度は打ち合いから左フックのカウンターがデラホーヤの顎を打ち抜く。クォーティーが押しているテクニック合戦が6回まで展開された(一般のファンにはやや地味で「玄人」受けの進みかただったかもしれない)。相変わらずデラホーヤのジャブとストレートが有効。
ー六回、開始直後デラホーヤが右ストレートから大きな左フックを的中させ後ろに吹っ飛ばす形でダウン。しりもちをついたクォーティーはすぐ苦笑いを浮かべ立ち上がった。デラホーヤが勝負に出る。盛んに速い左右を打ちこみ連打につなげた。ただクォーティーはスピード鋭さ負けせず打ち返しカウンターを狙う。
ー半分過ぎ、左ジャブから相打ち左フックのカウンターが炸裂。今度はデラホーヤが座り込んだ(ひさしぶりのダウン)。こっちの方がダメージあり。形勢逆転。今度はクォーティーが一気に前に出る。フォアマンがさかんにこの瞬間から10回くらいまでを通して「この距離はクォーティーのみんながいう「ジャブ」が生きる。みてみなさい。どんどん有効に当たるようになった」と繰りかえしてました。続けて左右の連打から左フックがまた当たった。クリンチに逃げるデラホーヤに右でボディーブローを三連打(ここで故ハルファーンレフリーが割っては入りタイムをかける(「はやめのストップ」スチール氏の弟子・師匠よりよけいに「ルール」に緊密で融通がきかない)。クォーティーに注意(すさまじいブーイングの嵐)。
ー再開後、俄然クォーティーの’バズーカ’ジャブがいい的中率になった。またワンツーから強い右ストレートが命中。デラホーヤの目じりに腫れが目立ちあざができてきた。
ー7回から9回まではデラホーヤがめっきり手数が減り(相手に距離をとられ遠くから放たれるパンチを再三食らう展開=モズリー(1)に似ていた)でもクォーティーも勢い込んでは前にでない。足を使いながら体をリラックスさせ9回、また右ストレートが豪快にあたる。終了間際もう一発今度のは効いていた。ガクッと棒立ちになったところでゴング。フォアマンが「すばらしい右だっ!」と横のラリー・マーッチャント(クォーティーの’バズーカ’ジャブ支持派)がつづけて「すごい右だ」。クォーティーは10回から「逃げ切り」態勢に入ったのかもしれない。そういう心理になると危ない。それを証明するかのように最終回ゴング直後、6回とまったく同じ右から左フックを食らってダウン。今度のはもっと効いていた。
ーデラホーヤが勝負に出た。ロープに詰めて猛連打。クォーティーも打ち返していたが右をだそうとした腕がロープに引っかかって無防備になったところにデラホーヤの強打が3~4発もろに炸裂。ハルハーン氏も「ハーンズVSレナード」(1)の「はやい」といわれたストップを意識して慎重(HBO解説陣も試合後よく踏みとどまったと褒めていた)。
ー残り30秒。デラホーヤはすべてを使い切った。逆にクォーティーが死力をふりしぼって攻勢に転じる。右アッパーが命中。デラホーヤは疲れた。ゴング。歴史に残る名勝負になった。すばらしい試合。
ー最終回がなければクォーティーが勝っていた採点(2-1・森田氏は「116-112」でデラホーヤ)。HBO解説は「115-114」でクォーティー。発表とともに頭を抱えて「信じられない」という感じのクォーティーだったけど。あのフォレスト戦で茫然自失となったときよりは最終回があったから諦めも混じっていた。
私は詳しく採点というより「115-115」で引き分けにみえたけど最終回にああなると印象が悪い(全ジャッジが「10-7」)。またクォーティーは11ヶ月空いて(バルガスが「暴行傷害事件」で逮捕され服役したため)しまう。中堅元ランカー、ベテランのハイメ・ロッキー・バルボアとの再起戦も流れてしまった。
バルガズVSクォーティー:
ーこの試合は結論から言えば本来「ミドル級」の選手バルガスに「体格負け」そのもの。そもそもの「体の力」に押された感がいがめず。’バズーカ’ジャブをバンバン突いたけどあまり効果なし(後に「J・ミドル級」統一戦でトリニダード、またデラホーヤがバルガスを豪快にノックアウトしたけど十分前哨戦をはさんで体を作ってからの試合だった)。クォーティーは前日軽量でさえぎりぎりのバルガス相手にリミットより5~6ポンド下でパス(当日は約「2~3キロ」近い差)「対脂肪率6~7まで絞ったあとでのこの差は大きい)。
ーあと、バルガスに研究されていた。「鉄壁ガード」の上だろうが容赦なく強打をまとめて「数」で対抗。クォーティーは「攻防分離」(左ジャブから次へなかなかつなげられない)。HBO解説陣のしきりにこの問題点を指摘していた(バルガス「Combination」Againstクォーティー「Only One Jab」って感じで)。しかも前にでるけどそれほどプレッシャー(圧力)がいつものよう加えられず。バルガスは距離をとりながら遠い射程外からガンガンストレートからブロックの上をおかまいなし。連打で打ち込んできた。
ーでもいい試合だった(この試合はデラホーヤ戦より何回も見返す)。特に各ラウンド終了30秒前は必ず一発一発渾身の強打をふるう打ち合いとなっていた。
ークォーティーのKOチャンスは9回に訪れる。開始直後攻勢にでてバルガスがダッキングしたところへ右のうちおろしが炸裂。さらに右のカウンターがもう一撃。バルガスは前半飛ばしすぎた帰来いがめず。後手にまわり鈍った。おまけに鼻血をだして呼吸も苦しげ。フォアマンたちも「ここでこそバルガスのセコンドが落ち着かないといけない」と指摘(セコンドはいつもとおりガルシアシニア・まだ現役だった兄弟子前ライト級王者ロベルト・ガルシア(後にドネアのトレーナー)
ークォーティーは得意の「微笑」を浮かべ。さらに左を2、3発当てて右ストレートがまともに命中。この後また右を食らったバルガスのマウスピースが飛んだ。アメリカは「マウスピース」なしではなるべく戦わせない。コルテスレフェリーはしばらく様子をみながらクォ-ティーの攻撃がヒト段落ついたときストップ。マウスピースを入れさせる(ここでドサクサ。バルガスのセコンドは「水」を飲ませた(反則です)。ややよみがえったバルガスが打ち合いに応じる。またクォーティーのクロスカウンターが顎を打ち抜いた。また終了30秒前、ロープにつめたバルガスが連打を浴びせる。クォーティーも負けずと応戦するけどまた「右チョップ」気味が目立つ。ゴング。
ー12回まで一進一退だったけど。バルガスの方が「手数」と「的中率」で上回る(ほとんどガードしていても強いパンチだから「有効打」と数えられる)。
ー3-0でバルガス。クォーティーはデラホーヤ戦みたいに「勝ち」だったとはいってなかった。「もっと接近した内容だったはずだ。もうアメリカでは戦いたくない」。それから5年のブランク。バルガスのキャリア中最高のでき・全盛期でした(早熟でトリニダード、デラホーヤに負けたあと急速に低落。ボクシングも変わってしまった(ストレートパンチャーから「体の力」でロープに押し込み乱戦に持ち込むファイター。ジャブも全然打たなくなってしまう)。モズリーに2連続TKO負け。ラストファイトのマヨルガ戦(12回判定負け)のときまだ27歳(実業家として成功していてもう半引退状態)。
クォーティーVSヴァフォーカス:
ーバルガス戦においては「金髪」(トランクスもガウンも「金」にまとめたスパンコール輝く一色)であらわれたクォーティー。再起第3戦目のこの一戦はめずらしく髪をはやして青のガウンにトランクス。いい表情で上がってきた。
ーかたやヴァフォーカスはかなり打たれた感じの顔をしているが噂とおり「頑丈」そのものの顎と体型をもっている。ゴングがなるや’バズーカ’パンチで終始一方的に打ちまくった末での最終回10回にストップ勝ち。むろんヴァフォーカスのパンチはほとんど(どころかおそらく一発も)当たっていない。ただタフで体が大きくずっと前に出続けたのはたいしたもの。解説のロイ・ジョーンズはじめ「顎の強さはすごい」と感嘆していた。
ーミドル級においての朴戦にみえた(ただ朴はもっと攻撃力もパンチ力もあったけど)。前にでているのはヴァフォーカスながら下がりながらでもあらゆる種類の強打が火を吹く。ジャブから左フック、アッパーから右ストレートといった感じでこの試合は悪い癖の「オープンブロー」はあまりみられなかった。
ーヴァフォーカスはウィティカーのラストファイトの相手。パンチは重そうだけどスピードがない。ウィティカーは初回から積極的にパンチを出していて「ずいぶん攻撃的になったな」とびっくりするほど。ただ3回から急に苦しそうな表情をみせる(肩を痛めたらしい)。4回終了でギブアップ。金星になったがヴァフォーカスがどうこうしたからという結果ではなかった。
ーそれにしてもクォーティーは調子がよかった。ジャブをとめずにつき続け、ロープに詰められたら左フック連打からアッパーにつなぎまたボディーブローからストレートを放ってまわりこむ。再びガードをがっちり固めてジャブ。単調で山場がないように思ったファンもいるかもしれない。私はこのバズーカの健在ぶりにしびれてしまった一戦。よく今でも見返すほどクォーティーは絶好調でした。
ー今さらながらウィティカーよりトリニダードもしくはモズリーとの一戦をみてみたかった。
ライトVSクォーティー:
ーライトに対してトリニダードはまったく手も足もでなかった。右ジャブで牽制されてろくにパンチも打てないままほとんどフルマークの惨敗。
ーバルガス戦もライトは判定に憤慨していた(事実私も最低2~3ポイントはライトの勝ちにみえたけど)。ただバルガスは構わずライトのガードの上をまとめて打ち込んでいた。体格差もなく接戦だったがバルガスの勝ちでもおかしくはない(観客席にいたクォーティーはほっとしていた。なにせバルガス戦は最低「2~3億円」のファイトマネーが約束されるビッグファイト)。
ーかつてフランスのアカリエスプロモーション時代はクォーティーがメインでライトはセミ(そこへナザロフが参入。移籍後初防衛戦となった故リベンダー・ジョンソン戦もコーナーで声援を送っていた)。
ーまた結論からいえばトリニダードをはるかに上回る善戦だったといえる。しかし今回も「体格負け」。クォーティーのバズーカジャブやパンチはあんまり効果がなかった。しかし両者鉄壁のブロック対決。ライトは普段の倍以上手数を出していた。2回、クォーティーが攻勢に出る。上下に打ち分けボディーブローが有効だった。この調子でいけばいいな、と思っていたけど以後。もともとボディー打ちはあんまりうまくないクォーティー。
ー両者とも「攻防分離」傾向が強い。一進一退ながらライトのパンチの方が力強さがありこれはやはり「基礎体型」の大きさの違いにみえた。ただクォーティーは休まずよく打った。的中率もそう差はなかったようにおもえる。しかし例えばウェルター級時代、エスパーニャ、フィリップスやカーのパンチをブロックで跳ね返しながらど迫力のパンチで一発一発で重みを感じたバズーカ砲。ライトにはほとんど効果がない(しかもブロックが硬い上、懐が深いサウスポー)。
ークォーティーはもうひとつ運に恵まれなかったように考える(ウィティカーの不祥事やブランクでその間に本国で商売・事業が成功しまるで「王様」のような暮らし)。よく5年たってカムバックしてきたと感心するべきなのかもしれない(ずっとロードワークと練習は続けてきたといってた)。
ーただこの試合も、いずれ参考にあげようと思っている「解説陣」の影響が大きかった。HBO放送(117-111でライト)だとモズリーVSデラホーヤ(2)断然デラホーヤが優勢のような「解説」及び採点も4~5ポイント差でデラホーヤ)といっしょで。WOWOWの解説を聞きながらの採点は的を得ており。モズリーの勝ち、あとクォーティーの善戦、納得した。ー象徴的な相違は最終回、HBOではライトが攻勢に出てすぐクォーティーが押し返した。でもまたライトが逆襲に転じたととき「相手の土俵で好きなようにやらせてそれから制する」余裕?みたいなコメントで全然クォーティーは相手にならなかったような印象しか受けない。WOWOWで解説を聞いているとまったく逆。ほんとうにここがつきないボクシングの魅力なんでしょう。
PS:クォーティーの近年の写真をみました。髭をはやして少し老けたけど元気そうでした。一方、ライトもほんとうに不運だと思う。ホプキンス戦は明らかに勝っている印象しか受けず。またテーラー戦もHBO採点では115-113でライトでした(ただ最終回、「逃げ切り」に入り消極的になって打たせたライトを解説のレノックス・ルイスがしきりに「よくない」と批判していたのを思い出します)。
見たかったスーパーファイト:
対ウィティーカー
ー今だにあのまま実現していたらどんな試合展開になったか想像してしまう。トリにダード(2度ダウンを奪う快勝だったにせよ。すでに下り坂のスウィート・ピーだった)はともあれデラホーヤはウィティカーをしとめられず(ほとんどパンチは当たらず、負けとする見方もあった。私もどっちに転んでもおかしくない接戦だったと思う)。
ーフィリップスを見事なノックアウト(ベストファイトのひとつ)で片づけたクォーティー。インタビューで前年フランス領の孤島セイント・マータンを「ルイス」と名づけられた「台風」が襲った。それにたとえて「ハリケーンアイク」と即興つけたラリー・マーチャントに「次はどうする?」ときかれて「今夜、ここでもいいからウィティカーとやりたい。いつでもどこでものぞむところだ」といっていた自信にあふれたアイクの全盛期は懐かしいかぎり。「今夜は日程にないからちょっと無理だな」というとガーナ陣営に陽気な笑いが巻き起こっていた。「トリニダードとはどうする?」ときかれ「トリニダードともやりたいけど。まずウィティカーだ」。まさかウィティカーがリベラ(21勝(15KO)無敗)に大接戦の2-1になるとは予想もしなかった(リベラは勝ちを確信していて。判定後泣いていた)。
ーそのままウィティカーは少女にわいせつ犯罪を行い逮捕されリハビリ。クォーティーは方向転換でデラホーヤ。惜しまれるのは「ブランク」を作らず2~3戦(はむりにせよ)一試合だけでも試合をこなして臨んでほしかった(バルガス戦もいっしょ)。いくらスター選手でも「1年」も空いているのはできるなら避けたいところだった。
また 何か思い出したら加えますね☆ありがとうございました アヤラ