boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

☆「ボクシング観戦記」☆(北米テレビ・過去30年)=HBO・ESPN・SHOWTIME=☆印象深い試合☆新追加=ドナルド・カリー「堕ちた天使」+マクガート(テーラー・ウィティカー戦☆)

みなさん こんばんは、
はじめに・ボクシングと無関係:
BC州(ブリティッシュコロンビア州)バンクーバーで語学留学中の邦人女性。9日前、突如失踪したまま行方不明という悲しい事件が起こりました(まだ依然として消息つかめず)。
ーくわえて先週末連続殺人事件が起こり、2人死亡。容疑者3名逮捕。身柄拘束。調べたところ犠牲者は邦人ではありませんでした。ただ同じ国といってもわが「トロント」(在住22年・グライド・グレイ、ラドック、オサリバン、ブーシェ、一時期はルイス(ソウル五輪は「カナダ代表」など)と「バンクーバー」(オラジデ)(距離は飛行機で「五時間」バスなら「四日」沖縄県最南端石垣島・宮古島から北方領土・樺太までの二倍弱ほども離れています)。「モントリール」(五年住んだ・ヒルトン兄弟、グラント、現在のハイチ出身二人組みパスカル、スティーブンソン(前科モノからよく立ち直った)。
ーカナダは緩やかな連邦制。州政府の権限も強く各州とも独自・自治に近い(外交・軍事を取り扱うのが「連邦政府」)。遠いところで起った事件ながら拉致・誘拐・ギャングがらみの陰惨な内情らしく。しばらく尾を引きそう。そんな気持ちを振り払う気持ちでひと綴りしてから寝ることします☆ アヤラ
雑多・ボクシング観戦記:
また飽きっぽいのでちょっと趣向を変えてみました。
(1)、エディ・クック(モントリオールで見ました)・12連続KO中(14勝(12KO)無敗)
ー「こんな強い選手がいたのか」。試合後、フィリップスやマッキニーがリング上にいた。アマエリート。知らなかった。正直、びっくりしました。連続KOは相手がタフだったので逃した。とにかく無表情で沈着冷静。なによりすさまじかったのはまとまったサウスポースタイルから放つ各種「ボディーブロー」。
ーどれひとつとってもえぐるようなパンチ。アッパー、フックと上から必ず下に繋ぐ(大体ボディーが7割)。ただノックアウトできなかったので一試合でじっくり拝むことができたかもしれません。老獪そのもの。ロープに詰められても必ず迎撃して回り込む。ここでも「ボディーブロー」。「ぐえっ」て吐きそうなくらいの破壊力。10点満点。左右アッパーからワンツー。それでまた腹をえぐる。
ー小柄ながらジャブを忘れずしかも、実に多彩に力強くまたいい意味で「こじんまり」していてどのパンチも強烈無比。天晴れ☆以来
ー伏兵に思わぬ1敗。
コントレラス戦は絶好調(15勝(13KO)1敗)
ー静かな立ち上がり。5回に強打爆発。左ストレートが炸裂。ロープ際での猛連打から痛烈なノックアウト戴冠。すごかった。セコンドについていたバークレーが大喜びでかけあがる。続いていつものソウル五輪の面子たち。たいしたものでした。エスピノサとやってほしかった。
*エルエセール・フリオ戦
ー流血の痛々しい12回、まさに元アマエリート(フリオはソウル五輪銅)ならではの「死闘」でした。しかも敵地コロンビア。クックの勝ちでも文句は出なかったはず。それはさておいても、噛みあった「玄人好み」ならではの洗礼された技術合戦。いい試合でした☆
ー負けが込んでバレラに挑戦したときは往年の元気がなかった。7回KO負け。今、どうしてるでしょうね?
(2)、エンヘルス・ペドロサ(アメリカでみました)28連続KO無敗
ーデビュー5、6戦目だった。後年のフレイタスをもっと荒っぽくした感じ。スピードと切れがもうひとつの感じ。それでもそのパンチの破壊力たるや。すごかったです。さらにあの獰猛果敢な野生の表情と雰囲気。当時はまだ英語はほとんどできずの元アマエリート。コロンビアの若武者。楽しみにしてました。
ーペドロサの試合は何試合かみました(後にキャリアの分岐点となってしまった世界ランカーに判定負けした試合も見た)。
ーパワーは申し分ないにせよ。スピードがなくやや鈍重な動き。これが致命的だったのでは?そう回顧します。ジミー・モントーヤ(元ロサリオのトレーナー)に一生懸命英語を習い。インタビューでもがんばっていて励みになったものでした。
ーホーゲンに似たような白人世界ランカー(ボクシングも似ていました。派手さはないけど堅実にインサイドから打ち込む)に判定負けした試合。とりわけスピードがあるわけでもないし一発強打ならペドロサの方がはるかに上でした。ただ全然当たらない。スローモーションで打っているような感じで。さびしかった。大振り過ぎる。中堅相手なら問題なかったのが上位になればなるほど弱点と弊害がみえていた。大差の判定負け。二敗目。
ー後に葛西選手がラスベガス在住でがんばっていたとき。ペドロサもホルへ・ルイス・ゴンザレスなどと一緒にラスベガスにいた。まったく知らなかったので葛西選手とうつってる写真をみて嬉しかった☆ながらペドロサはウィキに情報が出ていません(悲しい)。BOX RECの方は「ログイン」だの面倒くさい(苦笑)。
(3), ハロルド・ザ’シャドー’ナイト:ルイスのセコンド:19連勝(15KO)無敗:
ーアメリカ当時。一番よくみて印象深かったのがこのナイト。みなさんはレノックス・ルイスのコーナーにちょっとほっぺたがふっくらした小さい男がいたのを覚えていますか?あれがシャドー・ナイトです。ルイスのデビューから最後まで変わらなかったのが嬉しかった(解雇されたぺぺ・コレア(ルイスにいわせると「チア・リーダーに過ぎない」(要するに「煽動屋」花火打ち上げ屋(笑)。コレアは次戦バトラー(日本でヤコブレフを圧倒。番狂わせの6回判定に破った後17連勝(16KO)中)のセコンドについて。ルイスに睨みを利かしてたけど。しかとされてた(笑)のあとも故スチワートに付き添うようについていた)。
ベイスモア戦:
ーベイスモアは15連勝(14KO)無敗で世界へ羽ばたく一戦。「ブラック・マンバ」そのもの。次々メキシカンの大物たちを食っていた頃のロジャー・メイウェザーに完敗(KO負け)。連戦連勝のホープナイトと生き残り戦。7回、ナイト得意の豪快な左フック一発で吹っ飛され横転。後頭部からダウンした痛烈なノックアウトとナイトが懐かしい(ロックリッジに負けたあと、負傷で再起を断念)。ベイスモアは、ずいぶん後にこちらも不幸なリング渦。セルゲイ・アルテミエフ(17勝(12KO)1敗)に7回ノックアウト負け。
ーアルテミエフはその後日常生活は問題なく。ニューヨークで同じく元アマの兄と一緒にひっそりと暮らしているはず。88年の旧ソ連、強化合宿の映像がなんとも物悲しい。団欒のひととき。大きなテーブルにみんなすわり。若きジューとユーリがひとりおいて座っていて。みんなでケーキを食べてるところ。向こうにはナザロフ、そしてこのアルテミエフ。さらに故ミロシニチェンコ(ミロシニ・アレキサンダー日本で2戦2勝(1KO)大物食いのピュリティー(ゴンザレス・ウラジミール・クリチコをノックアウト)をストップ・世界選手権金・ソウル五輪銅)。そこに奥さんといっしょにヤノフスキーが現れる(ソ連映像だから画像が悪い(苦笑))。ジューがふざけてユーリの口にケーキをぶちこんだりしている(ほっこり☆)。旧ソ連トップアマチーム、懐かしいかぎり。
イングリッシュ戦:
ナイトは故マイケル・ジャクソンの「バッド」をテーマに入場してくるのが常でした(オラジデは「スリラー」(笑))。そしてガードを高く上げ。左をつきながらとにかく大きく振る「左フック」一発の破壊力は豪快でした。しかも切れ味鋭い。この試合はクリンチに巻き込まれもみあいが続く。
ーでも9回、また「左フック」が炸裂。泳いだ相手に二三発小さく当ててまた左フック一閃。ノックアウト勝ち。ロックリッジとの世界戦に駒を進めました。
ロッグリッジ戦:
ーロックリッジの近況。非常に悲しく残念ながら「路上生活者」です。アル中、ヤク中、そして「パンチドランカー」。薄汚れた帽子をかぶってランニングシャツ一枚。ヨロヨロと荒廃した地域で路上の「空き缶」集めの姿を取材されてた。ため息しかでません(ドナルド・カリーもこれに近い。ちがうのは「アル中・ヤク中」でもないし「パンチドランカー」でもないところ=理由は複雑でさびしいこと。いずれ詳しく☆)。
ーまだIBFは15ラウンドの時代。ロックリッジは豪州でバリー・マイケルを大差の判定で破り戴冠。ゴメス戦はいわれるほど大差ではなかったにせよロックリッジの勝ちだったと思う(メイウェザーを初回、右ストレート一発でタイトル強奪とともに連勝をストップさせた試合も懐かしい)。ラポルテに右一発で倒され、ペドロサとの再戦にも破れた。一階級あげてボザ・エドワーズを判定で完封した金星に続きました。
ー前半はナイトが前にでてロックリッジが旋回。5回頃から逆。どんどんチャンピオンは圧力をかけナイトをロープからロープに追い回す展開。11回、ナイトの左フックが炸裂。かなり効いてドタバタしながらロックリッジは踏みとどまる。そのまま15回押し切り。3-0の判定防衛。文句なくナイトの連勝に終止符。まさかラストファイトになるとは考えられずでした。でもルイスがいつもインタビューで「ナイトに感謝してる」と加えていたのがなんとも嬉しかったです☆
(4)、レノックス・ルイス(ぺぺ・コレア時代):
ーソウル五輪はカナダ代表。ボウのパンチも当たっていた。ただルイスの右ストレートが破壊的。ボウはまだ経験不足の若武者に過ぎず。3回ストップ負けでルイスの金メダル獲得。銀のボウ、横には銅故ミロシニチェンコ(初回ボウにダウンを与えた。ボウは盛り返し3回ダウンを奪い返し判定勝ち)も並んでいたのがさびしく悲しい(2003年、階段から落ちて事故死・といわれながら「怪死」扱い)。
ーロンドンのイーストエンド(貧民街・むかしは「ユダヤ人」(ニューヨークに似ている)たちが多かった。その後は黒人たちのいわゆる「ゲットー」地域)出身。15歳でオンタリオ州の田舎町(私が住むところから車で一時間ぐらい)に移住。現在もわが「同胞」です(二重国籍・英連邦)。
ー本当にむかしから紳士一本やりのいいお父さん。ただブルーノ戦(これもHBO放送はおもしろかった。はじまるいなや故ダイアナ妃(ブルーノの勝ちと予想)はじめ老若男女、あらゆる人に「予想」「占い」をたずねて両者が現れおちゃらける)は圧倒的にブルーノファンが占めていた。
それとこういう「放送」などの「ユーモア」。センスとないものねだり。発想の違いもあるでしょう。ただ21世紀です。日本もそろそろ「国粋主義」(排他民族島国)から脱皮できなものか=悲しい(日本人が勝つか負けるか?そればかり。もはや北米30年。日本の放送は見る気すら起らない(さびしいです)。
ーともあれルイスはすばらしい人格だからどこでも好かれています。タイソンと対照的だったのは残念=タイソンはイギリスでサバリースをノックアウト(ストップ後の加撃は大問題)した後のインタビューで「ルイスの子どもを食い殺す」などと常軌を逸した暴言をはいた。ルイスは衝撃を受け「もちろん対戦する。ただし彼がまともな心である場合に限る。私の子どもを食い殺すなどとても正気とは思えない」同感でした。
ーその後も記者会見じのパフォーマンス以上に殺気立ってた(アリVSフレージャーよりもっと険悪)。殴り合い。タイソンはやはり歯止めが利かなくなっていたとあらためて回想します(「薬物依存」も自分で認めてた)。
ゲイリー・メイスン戦:
ーモントリオールで見ていました。メイスンも無敗しかも18連続KO無敗くらい?(ともあれビッグスに圧勝。5回KO勝ち)。ルイスは後のスチワート時代をおもえば考えられないように。バランスが悪い。下半身が頼りなくてふらふらしてる。ただ右の一発はすさまじい威力。ジャブもあまりでず。
ーメイスンのパンチも破壊力は満点だった。ルイスはヨタヨタ不安定なところから時折「ズドーン」と長い右を放つだけ。重々しいのは確かながらコンビネーションも不細工。ガードも低いし防御も甘く危なっかしい。
ーしかしルイスの右を度々受けたメイスンの左目はこぶ大にも腫れあがり完全に塞がっていた(トリニダードの左アッパーにさらされたチャムに類似)。7回、メイスンは横を向いてしまい。ちょうどレフェリーはストップのタイミングをうかがっていたところ。ルイスの圧勝。16連勝(15KO)無敗。PS:戦績は正確さを欠き。異なっていること少なからずです。アップを第イチに☆ アヤラ
ラドック戦:
ーラドックは明らかにタイソンとの二戦ダメージが蓄積していた。ペイジ、無敗のフィル・ジャクソン戦は問題なく壮絶なノックアウトでしとめていたにせよ。ちょうどハグラー戦後のムガビを思い出した(ノリス戦でそれが一面に)。打たれ脆くなっていたでしょう(特にタイソンとの再戦は12回通じてタイソンの豪打をまともに浴び続け。顔面は無残に腫れあがっていた。確か顎を痛めたはず(クエバスとの再戦で13回まで打ちまくられたアンヘル・エスパーダ(顎を割られた)にそっくりの顔)。
ールイスは相変わらずバランスが悪い。けど右の破壊力はすさまじい。一発パンチならボウもラドック(のスマッシュ(この呼び方は「悪用」されてるので好きじゃない)と比肩)も敵わなかったのでは。
ー初回は緊迫した豪打者同士の睨み合い。終了直前、ルイスの打ちおろし右ストレートが炸裂。顎に命中したラドックは踊り子のようにフラフラと崩れ落ちた(タイソン戦のダメージ)。
ー2回はもう一方的。ラドックも懸命にカウンターを狙ってたけどまたルイスのまさに「ジンクス」右ストレートを浴びKO負け。ルイス、地元ロンドンで颯爽新チャンピオンに輝く。
ジャクソン戦:
ーだんだんルイスの体が大きくなってきた。ジャクソンは強打者だけどとにかく身長もリーチも足りず。おまけにルイスの長い右ストレートに脅威され通しでまともに反撃できないままノックアウトされた感が強い。でもルイスはまだまだ危なっかしい構えで下半身がどうもヨロヨロしていて。右以外のパンチが不細工。
ー7回、右を打ち込まれたジャクソンはダウンしてそのままKO負け。ルイスのノックアウト防衛成功。
ブルーノ戦:
ーこの試合はイギリスのいわば「国民英雄同士」の一戦。ユーバンクVSベン以上だったかもしれません。70%がブルーノファン。30%がルイスといったところでしょう。ルイスはやはりカナダに移住したのと。ブルーノは長らく「英雄」まさに「英国紳士」でした。
ー28連続KO無敗のあと、ボーンクラッシャー・スミスにまさかに10回KO負け。そしてウィザスプーン戦。イギリスのグラスゴーだったと記憶してます。あの一戦はイギリスのボクシング史上最大の盛り上がり。屋外特設会場。ブルーノはまだ「ファイター」だった頃。
ー8回ぐらいまで優勢でした。11回、ややガス欠気味のところへウィザスプーン十八番大振りの右連発で倒されてしまった。ブルーノは体が固い。けど、ギクシャク、ガチガチした動きから放つ一発パンチの破壊力はすさまじかった。タイソン戦はよく研究してました。タイソンはルーニーを解雇し。ダマトスタイルから外れた一戦目。初回いきなり足が揃った状態からの大振り右フックを連発(ダマトのナンバーシステムから遺脱)。ジャブがなくなった。足が滑ったところをまた右フックを叩きつけダウンを奪った。とにかく左右力任せにぶんまわす感じ。
ーただ後半バランスが悪い。タイソンは「左フック」が出ないときは調子が悪い(ティルマンを倒したのもその「右ぶん回し」でした)。ロープ際でブルーノに食らった左フックカウンターは効いていました。さらに右フックを狙い打たれ。ダマトスタイルから離れてメチャクチャ戦法。悲しくさびしかった。
ーともあれルイス戦もブルーノはジャブ、ストレートを多様する新しいスタイル。まさにその展開でした。ただこの頃はだんだんボクサーファイター的なスタイルへの移行時期だったかもしれません。むかしのようになんというか「鎧の騎士道」みたいなヒットマッスルにものをいわせて重たい強打をガンガン放つ。から一層オーソドックス。
ールイスもいつものようバランスは良くありませんでした。5回がブルーノのKOチャンス。右のフックがルイスの顎を打ち抜いた。効いてました。すかさずフォローするパンチも強い。ルイスはなんとかクリンチで逃れた。続く7回、ルイスの右が炸裂。ヨロヨロロープに詰まったところに右アッパーの連打。さらに右フックを叩きつけまたアッパー。そこでストップ。いい試合でした。ただ私もブルーノを応援していたので残念だったのも本音。
ーしかしブルーノはマッコールからタイトルを奪取した。3度目の正直、後半はガス欠で最終ラウンドは危なかった。だからタイソンにノックアウトされ雪辱ならずだったけど。潔く引退したのはよかったでしょう。ブルーノもお疲れさまでした☆
マッコール(1):
ー地元イギリスでの試合。マッコールのトレーナーは故ペイジ。補助にスチワート。アメリカの「ジム」は日本とはまったく正反対。選手が「決める権限を持つ」。この試合後、ルイスにスチワートがつき。引退まで変わらず。
ー初回からマッコールは相打ちを狙っていた。すでに出鼻に右ストレートを叩きこむタイミングは合い始めていた。2回、ルイスが無防備に右を放ったところへカウンターが命中。ルイスはフラフラ立ち上がったけどメキシコ人レフェリーはストップしてしまう。ルイスは猛抗議。試合後のインタビューでも「ちゃんと立ち上がりファイティングポーズもとり。続行可能かときかれて「YES」と答えたじゃないか」と泣きそうな顔していた。
ーただあのまま続けてもいずれ倒された気がする。しかし続行させても問題はなかったはず。ここでルイスはぺぺ・コレアと決別。妥当な選択だったろう。マッコール、2回KOでタイトル強奪
(5)、ドナルド・カリー:Should have known better:
マッカラム戦:
ーこの試合については「恨み」と「天災」忘れられず。これはブログ開設当初「カリー」関連で書いたとおり。まだアメリカについたばかり。「スチワートVSヒル」の次がこの試合でした(その次が「ラミレスVSウィティカー」(1)パリでの初戦)。
ー各種コッパ雑用・ごみ捨て・皿洗いばっかの「仕事」にちっとも集中できず(苦笑)。ようやく終わって「さあ、カリーだ」と帰ったらその夜。メイン州ポートランドは「雷・暴風雨」に襲われていた。「電気が消え」おまけにビデオカセットに「おかしな’カス」みたいのがたまってる(あんなのは最初で最後の体験でした)。ミスりました。ニュースで「マッカラムの五回KO勝ち」と知ったときはカリーはすでにハニガンに負けて。さらに2勝がともに「反則勝ち」で勢い湿りだったのでそれほど驚かず(悲しかったですけど)。
アキノ戦:生き残り挑戦者決定戦:
ーアキノ対マクローリー。カリー戦も似たような展開となった。かつてのライバルとの力量、差が現れたと感じた。アキノは静かな立ち上がりから2回後半くらいから猛然と反撃にうつる。マクローリーはジャブでストップできない(カリー戦(大事な決戦で調子は悪かった。ジャブもスピードも鋭さもなし)よりワンツーも速くて切れてたけどアキノの突進力を止めるほどにはならず)。3回に痛烈なダウンを奪われ、終始圧倒されたまま11回にもう一度倒されワンサイドの判定負け(次戦でも無名選手にノックアウト負け。引退しました)。
ーカリーは勝ちに徹した。距離をとりジャブとストレートを多様。しかしアキノはまた2回半分過ぎぐらいから突如開眼のよう。すさまじい圧力と破壊力満点の左右を振りまわして肉薄。カリーはかなりアワ食らったようすでロープからロープに追われながらも懸命にブロックしながら足を使う(カリーの「アウトボクシング」はハニガン戦と同じく「逃げ一辺倒」で危なっかしい。これが「ハーンズ」などとの異なり)。
ーけど、マクローリーとの違いは「ガード」と防御がしっかりしていたことだったろう(クォーティーもいっしょ。決して「ブロック」だけではなく。結構スウェーバックやダッキングもよくみると交えてます)。アキノはだんだんシリすぼんだ。
ーただこの試合は「カウンター」はあまりみられず。とにかく「ガードを固めて」「距離をとった」戦術を貫徹した。7回、左右ストレートの連打をまとめたのが唯一「攻勢・積極」的にでた見せ場だった。試合後のインタビューでも「今日は大事な一戦だから勝ちに行くのは試合前から決まっていた」と笑って答え(横でアキノ(本当に「紳士」「スポーツマン」)も笑顔で聞いていた。かなり顔も腫れてるのに驚いたけど)「グレートな闘いは必要なかったんだ」みたいなこといってました。北米J・ミドル級新王者誕生。
ーアナウンサーが横でマネージャーのアブ氏(フィリップスにもついていました)に「ロッシとトーマスどっちがいい?」(7回KOでロッシが防衛=試合後「さあカリーだろうが誰だろうがやるぞ!誰とでも戦う準備はできた」といきまいてました(笑)と聞くと「やっぱりアメリカ人だからトーマスだろう」。続いてカリーにたずねるとほっと安心したような(アキノに勝って生き残れたような雰囲気と表情だった)感じから「どっちでもいい。関係ないよ」と答えていたドナルドがなつかしい(残念ながらさる「大事件」に巻き込まれてしまった不幸な引退後。後述)。カリーがフルマークに近い12回判定勝ち。ロッシ戦に挑むことになった。
ロッシ戦:
ーまず試合後のインタビューから「今日負けたらもう後がない。こんなに緊張したのははじめてだよ」と美人で背が高く。モデルみたいな黒人の奥さんを横に話してた(離婚して子どもにも会えなくなったのが悲しい)。
ー入場前リチャード・マークスのShould have known better=「知るべきだった」でカリーの経歴・背景紹介がはじまった(ESPNはHBOとはまた一味違う)。兄ブルースが発砲事件で逮捕され、直後に18歳の妹がオートバイに跳ねられ亡くなってしまったこと。マネージャーとの問題でブランク。もう一戦ウエルター級で防衛戦を強いられたこと(すでにJ・ミドル級で体は出来上がっていた=グリーンに2回終了TKO・パエスに6回ストップ勝ち)。試合に集中できなかったのはハニガン戦だけじゃなくマッカラム戦もおなじだったこと(ここはカリーの繊細で神経質な性格も大きく作用してるようにみえました=ここ一番で「勝負強さ」に欠ける。集中力を失う)。
ーロッシはいきあがる。地元イタリアでの試合。屋外特設リングは満員。ただアキノ戦(大差の判定勝ちでタイトル強奪)はとにかく「クリンチするために打つ」式展開に閉口しました(苦笑)。トーマス戦はややましだったけどやっぱり「クリンチ」して「離れ際」に打ち込む。それの繰り返しで「根勝ち」したような試合だった。結構痛烈なKO劇だったから自信を持つのも不思議ではない。
ー初回、後半またロッシのクリンチ離れ際の右フックを食らいカリーは一瞬腰を落とした。心配でした。アナウンサーや解説者もあんまりカリーを肯定的にはいってませんでした。それよりロッシの「八方破れ」戦法にカリー危うしみたいなおしゃべりばかり。
ーただ結論からいってまた「オクタビオ・メイラン」レフェリーのおかしなことばっかりの試合。今だに「史上に残る妙な試合」としてESPN・CLASSICでも出てきます(笑)。
ー2回終盤、ロッシが無防備に前進してきたところにカリーの左フックがカウンターで炸裂。ロッシダウン。ほっとして嬉しかった。以後はほぼワンサイド。4回が特に強烈だった。また力任せにクリンチと突進力にものをいわせてロープ際に押し込んだロッシに左フックが命中。顎が吹き飛ぶような破壊力。続いて右ストレートが顎をかすめ。回り込み左フックからアッパーの連打を叩きこむ。ロッシは膝をついてダウン(大騒ぎのリングサイド。イタリア人がほとんどなか。派手でケバい衣装をまとった黒人のお母さんと奥さんやおばさんたちが大喜びで立ち上がり拍手喝采。目立ちまくってた(笑)。
ーロッシはすっかり調子を狂わされてる。クリンチしようと前進するとカリーは必ず左フックをあわせてくる。八方塞がり。7回、ロッシがまた「クリンチ」しようと腕を広げてがら空きになったところ。カリーの「カウンター」冴えまくってました。右ストレートが炸裂。ロッシは膝を突く。これをメイラン氏は黙殺。解説者たちも猛烈に批判してました。
That was a knock down! the knee hit a mat! The referee he is really confused right now! that's a knock down! ダウンじゃないか!膝がキャンバスについた!あのレフリーはなにやってるんだ(という即席概要「邦訳」)。
途中でまたロッシがクリンチの離れ際に二三加撃したのも「OK!」とファイト続行。注意すらしない。
Look that he hits some during the break! Unreal this fight pretty much out of controlled this fight is pretty much out of control. the referee is not in controlled of this fight 見ろっ!離れ際に何発か打ってる!この試合はコントロールされていない。レフェリーはコントロールしていない。
この人はタイソンVSダグラスだけでなく数ある「世界戦」で似たようなおかしなことばかりやらかした。またカリーの左フックがカウンターになってロッシは膝をつく。これはダウンととった。そして終了間際勇んで突っ込んでくるロッシにまた左フックのダブルが命中。ロッシは前のめりにダウン。ダウンとはとったにせよ。ここでもまた奇怪な処置のメイラン氏 。カリーを突き飛ばす。
Look! he is pushing Curry away(笑) 見たか今の?カリーを突き飛ばしてる。なんてことだ(笑)
今思い出した。これもタイムキーパーは「3~4」なのに「1」から数えてた。本当に「レフェリーライセンス」没収くらいの「ヘボ」としかいいようないです。この人なんなんでしょうね?なんでこんなに「起用」されたのか今持ってして首を傾げざる負えない。ゴメスVSラポルテ戦もこの人(ゴメスの腿だろうが腎臓、尻、腰だろうが打つ「ローブロー」をちっとも注意せず。まあ、これはゴメスの「巧さ」でしょうね。チャチ入れようないようすぐ「上」に返して連打をまとめるので(ピントール戦の「肘」はひどかった。でも本当に「巧い」(「玄人」じゃなきゃ。わからないフォームで打つ)。
ー9回、カリーは明らかにノックアウトを狙って強打をふるいだし前に出る。ロッシはロープからロープに追われるばかり。ただまたロッシのラフで乱暴なクリンチとホールド。カリーが苦しそうな顔をして一瞬レフリーみると。ロッシに「戦え!」とせかす始末・・・まったくもってどうもなりません。アナウンサーも
Well he sais Go head!! you can hit whenever you want!! what a fight・・・(笑)やっちまえ、いつでも打ちたいときに打っていんだぞ。っていってます。なんて試合だ・・・(笑)。
ー10回がはじまるときアブ氏がthis is all or nothing Don!  All or nothing! You have to finish himと強くカリーに命じていた。ゴングが鳴るとロッシはコーナーからでられず(エリオ・ディアス戦に似ていた)。
カリーは手をあげて勝利を誇示。試合中はほとんどしゃべらずセコンド作業に勤めるばっかりのポール・レイエストレーナーもやっと笑顔。みんなほっとした感じだった。カリーの二階級制覇 10回終了KO勝ち。ただ後の「ロッシ」の勇猛果敢な防衛記録の「山」などみると。スターリングに2勝したのといっしょで。カリーはやっぱり偉大でしたね☆ しかし本当に悔やまれるのは「勝負強さ」と「集中力」それのみでしょう。アヤラ
リントン戦:かつての「弟子」との宿命・因縁の試合:
ーこの試合は37歳でのカムバック。リントンは愛弟子だった(ルー二ーとタイソンみたいな感じ)。しかもフォアマンやレナードみたいに「痛んでない」空白があるものじゃない。すべてを使い切っての引退からずいぶんたってのことです。
ーカリーの引退後は一時期ノーウッドを面倒みていてコーナーに姿がみえた。WBA殿堂のパーティーでも鬼塚と写真撮影。元気そうで何より。顎髭を伸ばして黒ぶちめがね。子どもたちとも「いいお父さん」ぶり微笑ましかった。
ーちょうど私がトロントに引っ越した95年頃だった。リング誌で知った。カリーが他二人のボクシング関係者と「麻薬売買・密輸」に加わり逮捕された記事でした。衝撃は大きかった。しかし実はいわゆる「保証人」として何もしらずに「印鑑」をついてしまったようなもの(クエバスもおなじ)。裁判は長い期日を要した。判決は「無罪」となった。でもカリーはこの裁判の弁護士費用などで全財産を失ってしまった。くわえて「名声」も「名誉」も「豪華な屋敷」や「自家用車」といっしょにすべて喪失。社会的にも一度はられたレッテルはどうにもならない。堕ちた天使そのもの。タイソンなどと違い実に真面目で物静か。問題なんか現役時代も起したことは一度もないカリー。かわいそうでなりません。
ー奥さんとも離婚して慰謝料と養育費。今もしょっちゅう「養育費不払い」で拘束され釈放。その繰り返し。悲しい限りです。最近は地域の市民センターで青少年相手のボクシング指導なども始めたようながら(チャコンも似たような境遇(パンチドランカー状態がひどい。ロックリッジにそっくり。一時は「路上生活」「空き缶集め」。しかしダニー・ロペスとある催しで再会した映像は嬉しかったです。チャコンは子どもたちにボクシングを教えて頑張ってる)相変わらず「不払い」=「72時間拘束と社会奉仕活動命令」(暴行傷害事件で逮捕されたバルガスもこの判決・あと「不法侵入・婦女暴行未遂」の故アヤラもはじめはこれですんだ。だから3戦も行えた)。
ーリントンはその一連の事件について「プライベート」な問題で暴言を吐き誹謗中傷したことにカリーが怒り。じゃあひとつリングで戦ってみよう。組まれた一戦でした(果たして「ボクシング」といえるのかどうか)。
ー結果はサウスポーの強打者。リントンのスピードと鋭さにまったく対抗できず。いいところなく5回ストップ負け。トレーナーはエディ・ムスタファがついてました。ときどき往年のしのばせるカウンターのタイミングはさすがでも。パンチの威力がない。まさに「ハエたたき」くらい。
ため息しかでないですね。現代社会の厳しさと不当さってのは。現役中は本当に研究熱心。アマエリート中のエリートながら「プロ」でのスタイルをポール・レイエストレーナー(ノリス戦まで変わらず)と一生懸命鍛錬に励み作り上げた(あの「接近戦」とカウンターもそうです。「退歩」マンガと異なり「本能」だけではあそこまで完成はできない)。「善良」な人だからは無関係に覆い被さる。その典型がカリーみたいなやや気弱な面を持ち。世間知らずの天才だったんでしょう=独語に過ぎず。
(6)、バディ・マクガート:16連勝(12KO)無敗・若き頃が懐かしい:

73勝(48KO)6敗1分け
フランキー・ウォーレン(1・2)戦:無敗対決決定戦
ーまずBuddy(Bud)とは「友だち」のくだけた俗語である。Riddick Big Daddy(Dad・オヤジ(とうちゃん)) Bowe=Samuel=(Sammy・Sam(こう呼ぶ場合は。一番親しい友人や家族ともなりましょう)・私の「英語愛称」Osamu=Sam・単なる「ゴロあわせ」に過ぎず)= Victoria(Vicky Vicki)= Robert(Bob)=Donald(Don Donny)=Thomas(Tommy Tom)こんなところを参考までに。
ーマクガートは若い世代。つまり「トレーナー」(つるっぱげの「デブおやじ」にしかみえず(笑)考えればむかし「現役時代」は懐かしい限り(当時は帽子をかぶって独特の背広と目がね=かっこいいハンサム貴公子でした)。とりわけ現役時代とほとんど変わらず。逆に「老けた」のが貫禄すらもたらした「ブリーランド」(表情に迫力が加わった・眼光もむかしより厳しい)などとは本当に対照的。その分まさにBuddy親しみが持てる(笑)。
ーこの試合はみてません。ウォーレンはフランク・フレッチャーを右にして小型。そんな感じ頑丈さとしぶとさ。そのものでした。たしか傷により引き分け。再戦はワンサイド、壮烈なノックアウト12回でしとめた戴冠戦。
ハワード・デービス戦:
ー後にマクガートはウェルター級、サイモン・ブラウンを出入り激しいアウトボクシングで翻弄。痛烈なダウンを奪った末のワンサイド判定で二階級制覇。ブラウンがあれほど打たれて。顔が腫れあがったのはノリス戦ですらみたことがない。
ーデービスはモントリオール五輪チームの中では常にトップ。レナードなどよりはるかに期待されていたホープ中のホープでした(ロスのビッグス、ブリーランドに近い)。ところがプロでは、ただ一人世界王者になれなかった。
ーこの試合はすでに全盛期を越していた代理挑戦者。ゴングが鳴るやいつものスピードあふれる。レナード、アリ式アウトボクシングでジャブは相変わらず鋭かった。しかしそこにマクガートは右をあわせ。クロスカウンターとなりあっけなく初回でノックアウトしてしまう(夏場、海岸ビーチの観光客用出店の「小型テレビ」でみました)。セミはチャべスに完敗。ロードバック初戦の故チャポも出ていた(こちらも初回、あっというまにKO勝ち)。いっしょにいた故大先輩が、「なんだよ。もう終わったのか」と驚いていたのが思い出される(笑)。
ー28勝(13KO)1敗。これがロサリオに挑戦したときのデービスの戦績。ブリーランドと似ていた。ウエートトレーニングをして階級を上げることをしなかった。試合数も少ない。敵地でライト級王者サウスポーのジム・ワットに大差の判定負け。これも分岐点だったんでしょう(ちなみに五輪中にお母さんが病死。それとデビュー後のマネージメント問題で集中できなかったそう(ロサリオ戦前のESPN紹介インタビューでそう答えていたけど。カリーに似ている。ここ「一番」の「勝負強さ」に欠けたのかも)。
ーロサリオ戦はいい試合だった(2-1・最終ラウンドに倒されなければ勝っていた試合)。アメリカだったらデービスに軍配があがってもおかしくない。ただロサリオはデービスの長いストレートをほとんどかいくぐり。当てさせなかったのは全盛期、カリブの天才パンチャーそのもの(まだ21歳でした)。後にデービスは40歳再起(これも「レナード」の悪影響なんでしょうか?)「ブルドック」のよな顔と体型で再起。ローゼンブラッドにいいところなく2回ノックアウトで敗れました(さびしかった)。
メルドリック・テーラー戦:まさに「超特急」・カマチョみたいな「クリンチ」なし:
ーひとこと。懐かしい。20歳でした。アメリカの田舎町、のどかな「天の川」の下。家で老大将と
いっしょにみました。はじめの紹介でデービスをノックアウトしたのに驚き。けれどテーラーのはある意味「玄人」にしかわからないだろう(苦笑)。
ーあのスピードと切れはすさまじい。出てきた試合は私も「見えなかった」(笑)。まさに閃光一発。左フック大振り。ボディーに叩き込んで(破壊力ありましたよ)悶絶させた。その大将も「???」(把握できず)「なあ~んだこりゃ?」でした(^_^
ーそれくらいこの試合はチャべス戦よりはるかに速かったです。マクガートがまったくついていけなかった。初回にデービス戦を彷彿。マクガートの右がカウンターで当たる。結構モロに命中してて。効いていた。でもそれだけ。あとはワンサイド。マクガートの右目は腫れてほとんどふさがっていた。フルマークでした。テーラー新王者20歳(ブリーランドの次にチャンピオン(一番はホリーフィールド)。
ーそれでも私が思うに「五輪」(17歳・フェザー級)この頃の方がスピードありました(プロ入り後は階級アップ・それでも速かったけど)。
ーマクガードもスピードあったし。一発の破壊力ならマクガードでした。
ウィティカー初戦:
ー接戦でした。マクガートのパンチも結構当たっていた。2-1でウィティカー。終始マクガートは前に出てウィティカーをロープに詰めていた。ウィティカーのカウンターはあんまり有効でなかったし。手数が少なかった。12回はもしかしたらダウンを奪えたようにもみえる。かなり追い込んでました。ウィティカーもウルタド戦(2回倒された=初回(このときはまだ笑っていた)6回(焦燥感でいっぱい。苦笑い)といっしょ。余裕がなかった。
ーモントリオールでみてました。まだ「新婚」だったっス(バツイチ)。デラホーヤとトリニダード以外では一番パンチ当てたんじゃないでしょうか。
ウィティカー再戦:
ーとくに中盤からはワンサイドでした。ウィティカーの大差判定勝ち(メイウェザーVSカスティーヨ(2)・バレラVSモラレス(2)に似ていた。初戦と異なりパンチ自体が余り打てなかった(メイウェザーは徹底的にあの「L字ガード」(手が出せなくなる・カスティーヨは打てなかった)で防ぎ圧倒。モラレスはストレート攻撃でバレラの射程外からどんどんまとめた。バレラのパンチはほとんど当たらなかった)(感想としては積極的になったのがかえってよかったようにみえる。その分、打たれる危険は増えた。でもこの試合は真っ向から対した。長い射程からどんどんアッパーやフック。ストレートをボディでまた遠距離から左アッパーボディー。完敗。よく研究もしたんでしょう。マクガートのパンチはまったく当たらず。完璧にシャットアウト。手数も少なかった(中盤から目の腫れがひどくほとんど塞がった)。