boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

リカルド・ロペス・22度防衛(19KO)・アマ50勝無敗・40連勝(31KO)=タバナス・ロッキー・リン戦追加

ロペスの特質性と特殊なところ。


1、これだけのキャリアがありながら「鼻が潰れていない」こと。あれだけの防御勘を持つレナードにしろハーンズにしろ鼻はみんなつぶれています。顔面が痛んでいないこと。
2、試合が終わった日まで節制する。
3、ストロー級を10年以上キープして連続防衛を果たした。
こういったところでしょう。
当てさせない・打たれるのを極度に嫌う
ロペスは相手の印象について聞かれてもまず一般的なことしかいわない。平野にしろロッキー・リンにしろだった。ただ
「大橋秀行」についてはいつも話す。「一発の破壊力はすごかった。ガブリエル・ベルナルと並んで最強のパンチだった」。おそらくベルナル(スパーリングパートナー時代)と大橋ぐらいにしか打たれたことのない証拠だとおもう。だから非常に嬉しい☆
大橋戦:
ー初回残り30秒、大橋のクロスカウンター炸裂。何度も戻してスローで見た。あれだけ豪快にロペスの顎を打ち抜いたのはアルバレス(1)の二回までお目にかからず。大橋は「ぐらっとして表情も変わったけどそのパンチは二度と当たらなかった」と語っていました。
ー大橋いわく「よける動作が非常にはやい。だからまったく当たらない。拳を痛めなかったのはあの試合だけ」。天才同士の高度な攻防は歴史に残る名勝負として刻まれた。
ーこの試合当時のロペスは上体の動きはなく。ガードを半身に高く上げ、固い。絶対相手のパンチが届く距離には入らないアウトレンジ戦法(これは終始かわらず。ただ後年はべリンシュテイントレーナーの傘下に移り。攻撃に幅がうまれ上体を小刻みに非常によくふるようになる)。
ー二回も大橋が押していた。ロペスは長いジャブを多用しながら慎重に旋回し、絶対射程内に踏み込んでは来ない。大橋の悔やまれる傾向。単発で一発狙い。だんだんロペスの手数が増してくる。
ー3~4回と、ロペスは相変わらず大橋を軸にまわりワンツーから大きな左フックから右アッパーのコンビネーションを再三放つ。すべてヘッドスリップで交わし、ガードで防いでるとはいえロペスはどんどん調子がでてきた。解説者のガッツ氏が同門の先輩ボクサーながら。客観視を忘れ「第三者」の立場を放棄してマイクに向かって「大橋!手を出せ!」と叫ぶのは非常に問題だと今さらながら感じる。
ー5回、また遠い距離からの左ストレートからワンツーが炸裂。大橋最初のダウン。効いていた。立ち上がってロープに詰められる。起死回生のカウンターを狙い左フックを打つがそこでロペスは冷静に対処。右のフェイントから強烈な左フックが命中。大橋ダウン。ストップとなってしまう。しかし大橋自ら語るとおり「ロペスが20回も防衛しているからずっと’前’チャンピオンでいられる」といっていた。順当勝ちとなってしまえばそのとおり。
ーただ逆にノックアウトするチャンスも資質も十分あった試合とこの一戦も何回もみました(笑)。ちなみに大橋(アマ43勝(24KO)3敗・インターハイ準優勝・ロス五輪強化選手)も兄弟ボクサーです。兄克行は元日本ランカー(弟ほどの才能と素質はなかった)。
平野公夫戦:
ー平野の地元福島での一戦。ロペスはあまり調子はよくなかった。当時のワタナベ・ジムは平野、吉野裕行そして大和武士が看板選手。ボクマガのジム紹介の写真が懐かしい。
ーこの試合、平野は残念ながら何もできなかった。試合後、快勝にも関わらずロペスはインタビューに対して言葉少なに「・・・大橋の方が強かった・・・」そのくらいしか語らず。
ーそれにしても今までのメキシカンの誰とも似ていないこちらも斬新なスタイルだったロペス。ずっと一定して繰りだされる左ジャブ。ワンツーからボディーブロー。豪快にふる左右フックからアッパー、さらにワンツー。すべて鋭くまた破壊力満点なのに驚き啞然としてしまったのも記憶にあたらしい。平野を翻弄しながらも万が一の危険は絶対に犯さない。完封の末7回KO。ダウンは強烈で平野の顔はみるも無残に腫れあがっていた。またこの頃は、後年の柔軟なサウスポー対策。つまり頭をふりながら右ストレートを豪快に叩き込み左フックからさらに右フックボディーへ繋いだりはなかった。左ジャブから入る非常にオーソドックスな戦い方もなつかしい。
李戦:
ー韓国の会場は暖房設備がない。控え室は冷え込んでいた。ロペスはウォーミングアップがうまくいかなった様子。棒のように突っ立った半身のスタイルで、ずっと足を使って左で距離を測る展開が続く。クリンチの際、李は明らかに意図的な「ラビット・パンチ」(後頭部を叩く)を乱発。ロペスがお得意の「ポンポン」と肩を叩いて戒めるゼスチャーが印象的だった(これは大橋も笑いながら触れていたところ)。
ー李はストロー級新設によるWBA決定戦で井岡に12回ノックアウトで敗れた選手。もう峠は越えていて覇気が感じられず。
ーロペスは後半戦まで一貫して「体を温める」に費やしたように回顧する。だんだん例の振りは大きいながらスピードと切れがあるからワイルドというより「豪快」そのものの左右フックも目立ってくる。
ーKOチャンスは最終回に訪れた。左フックのダブルから連打。右が命中し李はダウン(レフリーはスリップと判断)。明らかにダメージがあった。ロペスはノックアウトを狙って猛然とラッシュをかける(李はクリンチで逃げるのが精一杯)。試合終了のゴング。大差の判定で2度目の防衛に成功。
あらためて不思議に思うけど、なぜメキシコの選手はあんまり好きじゃないのか。早熟の天才で結構な大口たたき「おしゃべり屋」(特にカマチョ、ゴメスやロサリオなど)が多いMucho Machisumo(プエルトリコ(アメリカの保護領(ハワイやグアムといっしょ独立国ではない、自主的な’一州’に過ぎず)一種の宗教である)の方がなぜか贔屓なんですよね☆
故プリティー・ボーイ・ルーカス:
ーロペスの数少ない判定防衛のひとつ。フィリピンの功打者、確か「リング渦」で故人になってしまったはず。これといってパワーもなければテクニックが優れているわけでもない(後述のマニー・メルチョーなども同類)。しかし強豪であり頑丈な選手。地元メキシコでの防衛戦。大差の判定勝ちだったとはいえしとめきれず。ルーカスは繰りかえし前にでて打ち返していた(ほとんど命中弾はなかった)。
ーまだロペスも若々しい未熟さもみせていた頃の試合。結構ルーカスの絶え間ない逆襲に弱気な表情もみせていたのがよみがえる。
ロッキー・リン(元アマエリート・台湾からの輸入ボクサー・15連勝無敗(4KO):
ーリンが試合後、事態を把握しはじめ涙を流していたのが痛々しい。調子は悪くなかったはず。動きにスピードがあり上体もよく動かしていた。ただロペスが強すぎただけでしょう(ビラモアの挑戦に関して木村会長が「WBCならいつでも挑戦できるが。ロペスは強過ぎる」)。ロペス快心の2回KOで防衛回数を更新。
ー初回、リンはてきぱきした足さばきでいつものよう半身に構え。左で距離を測りながら旋回するロペスを追った(いまさらながら逆に「追わせる」展開にはできなかったのかな。ただリンはそういうタイプではない)。もう少し、結果論ながら突進とともに手数がほしかった。
ー2回に入ると、初回でおそらくリンのボクシング見切ったのだろう。パンチが届く射程外から大きな左フックが炸裂。リンはガクッとし大きく泳いだ。それでも気合で踏みとどまり、なんとか回復を待とうとしているところへまた左フック。これで棒立ちとなったところへさらにもう一発。左フックが命中しリンはロープ外に半身を出す形で横転。すぐストップ。戦慄のKO防衛。
ーロペスは顔色ひとつ変えずまた。ニコリともせずにインタビューに応じた。リンの印象を聞かれてもいいとも悪いともいわず。大橋戦の後とはまるでちがう。王者の風格を漂わせていた。それにしてもリンに勝ってほしかったのはほかのアジア選手たちといっしょ(特にタバナス、ビラモア)。リングサイドを泣きながら降りる姿は真の勝負の世界。ボクシングの厳しさを物語っていた。
呉戦:
ーサウスポーの呉は同階級金光善(ソウル五輪金・プロ・チキータ・ゴンザレス戦(11回に倒され12回KOされるまでリードしていた)カルバハルに挑戦(7回左フック一発でノックアウトされるまでガードを固めて前進をとめず接近戦に持ち込み強打を打ち込んでいた)アマのスターボクサーだった。アマ時代、カルバハル(ソウル五輪銀)に二度ダウンを与え判定勝ちしている。
PS:こうやって書いていると無性にまた「はじめの退歩」氏が腹だたしい。こうした実在のボクサーとまったく関係ないところでゴチャゴチャやっている。ロペスだスマッシュだと(今もそうなのか?)。
ーとにかく「流血」がすごかった。9回ストップで防衛。ロペスは返り血で真っ赤。後半はそれが固まって両者ともひどい有様になっていた。これがホンマモンの「ボクシング」「拳闘い」であります。
ー呉はひるまず、勇敢によく攻めていた。スマートなサウスポースタイルから右ジャブに左ストレート。ロペスはいつもとおり慎重。ずっと旋回しながら左をフェイント気味に放ち、強弱をつけて遠い距離からストレートを放つ。とにかくロペスのあらゆる類でいろんな角度から飛んでくる「ボディーブロー」の破壊力に引き込まれたのも回想する。
ーしかし東洋の選手が、無敵のロペス相手に物怖じせずがんばるのは心地よかった。それにしてもまさに「その純白に赤き血を朱に染まった」チャンピオンと挑戦者・・・すさまじい戦士たちの軌跡を鑑みれば、またまた突起物麻酔注射の「退歩」氏さん。どういうこっちゃねん?ですよ(苦笑)。誰ひとり「サウスポー」そして「流血」したのはみたことない記憶があるけど・・・(-_-;
古強頑固なアヤラより☆また再開しますね☆
ハビエル・バルガス戦(+ゴチャゴチャ脱線込み):
ー同国人、まさに岩石男のように頑丈な強打のサウスポー。ロペスはすでにドン・キング傘下に移籍。ベリンシュテイン氏のコーチを受けていた。こうして書いているとサウスポー(特に軽量級ほど多い)との防衛戦の回数に呆気に取られてしまう。しかも「世界中のランカー」が凌ぎを削って研究に研究を重ねての成果をぶつけてくる連続防衛記録。
ーロペスは試合が終わった日(とりわけメキシカンは大酒のみ・宴会好きが少なからず)すら祝賀会・「大饗宴」(「退歩氏」関連の’架空ボクサー’たちは?「ロッキー」(1)の地獄耳悪徳プロモーター意地悪なやくざもが小バカにして吐いた捨て台詞から(未来のかみさん「エイドリアン女史」(フォード・コッポラの妹)との初デートに臨むバルボア氏へ)「おう、動物園いきな」(スタローン氏が激怒する場面・ついでに「フリッカージャブ」で携帯強奪も提案・まったくもって嫌味だけで「一冊」可能な気配充満)に加わらない。
ー適当に受け答えし、食べたらすぐホテルの部屋に戻って就寝に入る。体を休養させる。だからこそ10年以上もおなじウエートを維持でき(しかも最軽量の階級)王座に君臨が可能になった。鉄壁心の証。もうひとこと今思いついた自前の捨て台詞「おう、「センター・スポーツ」いきな」(でも卑しくも「ジム経営」しとるんなら
行ったことぐらいはあるよね?)
ーバルガス戦に戻ろう。来日経験あり。日本のワールドチャレンジャースカウト(第二弾・メインは三谷大和VSノリー・ジョッキージム(ちなみにタイ選手は「名前」だけが「本名」(しかもしょっちゅう「リングネーム」は変わる。「苗字」は時には「リポビタンD」であり「ギャラクシー」(カオコー・カオサイ)(Galaxy=後援スポンサー・会社名「銀河」のこと)、シスボーベー(タノムサク(タルンサクから晩年は「カオヤイ」)のセミで二人ともロペスに敗れたマニー・メルチョーに判定負け。
ーどうも脱線誘惑に負けて集中力不足のカナダ、リッチモンド・ヒルでした(おまけにカナダ人たる「同胞」「同国人」改竄「スマッシュ」ラドックはこの瞬間すら、おそらく’近所’にいるのでね)。
ーロペスは足を使い距離を保ちながら。突っ立った半身に高く上げたガードによるブロックだけが防御方法だったのが一転。上体を激しくときには大きく輪を描くように(しかも大橋氏が指摘するとおり動きが「速い」)とまた小刻みになったりと幅が広がった。サウスポー対策、ぱっと距離をつめ閃光のようなスピードで右ストレートから左右ボディーを乱打しアッパー、またぱっと射程外に去って旋回・・・バルガスは強引に前にでる迫力とパンチ力がまったく生きず8回KO負け。もうロペスに「弱点」(サウスポーは得意ではない)はなくなった感が強まった。これらも夢のまた夢。ずいぶん前の話になってしまいました(4~5年前、久しぶりに写真をみた。大分禿げ上がり、若干肥えた。髪は薄くなっていたけど元気そうで貫禄ある姿(現役時代にはみせたこともない「温厚」ないいお父さん姿嬉しかったです(「プライベート」を守り、家族(まだ小さい息子さんとお嬢さん)も非常に大事にする紳士)。人間としても鏡でしょう。
タバナス戦:(フィリピンの「稲妻小僧):
ーロペスは拳の負傷で約一年のブランク。WOWOWの総集編で小泉氏が「どんどん前にでろ。といっても行かない。それだけプレッシャーがあったのだろう」と語っていました。タバナスはハードパンチャーで切れ味鋭いまさに「稲妻」にふさわしいパンチを打つ。私もタバナスの試合は結構見た。日本でのデビュー戦となったピューマ・金平(メキシコ・協栄ジムの輸入ボクサー)には6回TKO負け(もともとピューマは二階級上の選手)。
ータバナスにしては消極的で手数も少なかった。ロペスはほんとうに慎重な選手。拳の治り具合からすべての動きや勘が戻るのを調べるかのようにずっと旋回。遠くから少しづつ力を強める。いつも以上に長い距離からの「アウトレンジ」に徹し。あれではタバナスが前進をためらう気持ちもわかる気がする。
ータバナスは調子はよかった。ときどき打つパンチは速くそして切れがあった。ただ単発で連打につなげられない。どんどんロペスはブランクの錆を落とすかのように強弱をつけてワンツーからアッパーを命中させる。安全運転、大差の判定で完勝。では満足せず最終回、一気に猛攻に転じるあたり「戦うチャンピオン」の誇りと甘えの一片すらない風格に痺れてしまった記憶も新しい(けれどタバナスに勝ってほしかったのが本音)。12回ノックアウトで防衛。見事だった。
ビラモア戦:(タイソンVSブルーノ(2)のセミ・29勝(26KO)1敗):
ータイソンの試合(TVKO=有料)をみるまでこのカードが組まれていることすら知らなかった。だからもっぱらこっちが楽しみに移りかわった(これも何回見返したかわからない名勝負=「玄人受け」)。
ーフィリピンセブ島出身のアラ・ビラモア(木村(後述するロペスに最終回仕留められたアンディ・タバナス(大塚)とともに新日本木村ジム所属のときもあり)は不運な天才ボクサーだった。井岡や大橋と死闘を演じたタイの「ナパ」をサウスポー対決(本名(名前・「苗字」ではない)「キャットワンチャイ」=「会社名」です)で2回で豪快に沈めた試合も思い出される。
ーおまけに初挑戦だったタイのラタナポン(兄弟ボクサーラタナチャイ(後にラスベガスで、豪打の元スター・ダニー・ロメロを空回りさせ判定勝ちの殊勲)に7回KO負け(実は「計量器」(体重計)がおかしかった。ラタナポン(通算19度防衛(15KO)は前日軽量(いまだに反対・むかしは当日試合の朝)の時点で1キロ以上オーバーウエイト・試合当日は2~3キロ。明らかに一階級上の体格だった。しかも強打のサウスポー、すさまじいハードパンチャー相手。ビラモアはよくがんばった。けど2回に強烈な左を浴びせられてからガタガタになってしまう。3回に最初のダウンを奪われ7回ストップ負け(「応援してくれた大統領はじめファンに申し訳ない」と泣き崩れていたのが痛ましかった)。
ーラスベガスのしかもスーパーファイトのセミ。MGMは満員。小泉氏がコーナーについて浜田氏「真剣ですね」。高柳氏「まあマネージャーといってもいっしょにロードワークもし」浜田氏「だから本当に一生懸命ですよね。ひとりの選手を育てたいという気持ちがほんとうに良く伝わってきますよね」。
ー8回開始直後、右ストレートから軽く放った左アッパー。あんなパンチは日本人では絶対打てない(「チャンピオンPV」’架空’早見氏は?浜田氏「あの距離から左アッパー打てるんですからね。ビラモアの不注意でもなんでもないんですよ」葛西氏「いやすごいですね。ただ勉強にならないですね。打てないですからねああいうパンチは。いやすごいですね」。
ー試合後、WOWOW放送席に戻ってきた小泉氏が悔しそうに語っていたようにビラモアはいざ蓋を開けてみるともうひとつスピードも切れもなかった。それでも小泉氏の作戦通り、左ストレートのボディー打ちをずっと狙い忠実に実行。盛んにダブルトリプルで放っていた。6回後半、左ストレートを命中させ連打。ロペスは鼻血を出す(めずらしい)。
ーロペスのパンチは左をおもいきり伸ばした(さらにリーチも長く、射程外遠い距離から繰り出してくる)ところから左フック、右アッパーが飛んでくる。いやはや・・・圧巻でしたけど悲しかった。
サンチェス戦(24勝(18KO)1敗)・王座統一・ロペスのベストファイト:
ーサンチェスの試合は何度もみていた。小柄ながらパンチがありよくまとまったボクシングをする。連勝街道を突き進みKOの山を築いていた。1敗した試合はみていない(贅沢ながら「無敗対決」で実現していたらなお良好)。
ーロペスは磐石の風格。もはや敵なし。遅すぎたタイトル統一。初回からよくサンチェスはひるまず前に出ていた。ただパンチはまったく当たらない。ロペスは凄みを増した。表情も以前よりたくましくなり「ザ・グレイテスト」そのものの雰囲気。
ーいつもどおり遠距離からのあらゆるパンチが飛んでくる。サンチェスのガードは固いし、上体もよく動かしていた。それでもロペスの強打は倍の長さと鋭さがある。とりわけこの試合はすさまじかった。豪快なスイングが閃光のようにしかも破壊力たるや(この試合もよくみた)。
ー2回、最初のダウン。手数が多い。特に左右のアッパー連打が印象的だ。ボディーブローもしっかり組み込むのも忘れない。このスタイルに完成されたな、と感じたのももう10何年前となれば私も老けました(苦笑)。ロペスもいわゆる「剃りあがりハゲ」それが一層外見に威容を含ませていた。
ーおそらくサンチェスのパンチは一発もヒットしなかったのではないか。まさに完璧、完封の滅多打ち勝利。4回にダウンを追加、続く五回。ロープ際に吹っ飛ばすようなダウンでフィニッシュ。まさかアルバレスにあんなに苦戦するなど想像もつかないFinitoぶりにあらためて感慨深い。
アルバレス戦(1):WBA王者との無敗対決(24連勝(16KO)・タイトル統一戦:
ーこの試合についても知らなかった。チャべスとゴンザレスも「メキシカン対決」(しかも両者とも全盛期を越えての生き残り戦=12回引き分け(1-0でチャべス)だからあんまり興味もわかず(実際激しい打撃戦だったにせよ。凡戦だったのでは?)。ニカラグア(1979年のサンディ二スタ社会主義政権誕生後全財産没収・マイアミに亡命中だった故アルゲリョにあこがれてボクサーになった選手)のアルバレスは破壊力もあり技術面でも優れた強敵。日本で大橋を破りタイトル奪取後10度の防衛で安定王者だったチャナ(双子兄弟ボクサー・弟も日本人と対戦(名前忘れた・勝利)・世界王者・チャナは大分たってからタイトル奪回(初防衛戦で新井田に議論紛糾の判定でタイトル喪失)を敵地で破っての王座奪取(タイで勝つのはたいしたもの)。
ー久しぶりの地元メキシコでの試合。さらにあの大観衆(おそらくスタジアムには7~8万入っていただろう)。ちょうど娘が小さかった頃のこと。遊んだり、いろいろ世話をしながらで試合に集中できず(苦笑)。
ー2回、アルバレスのクロスカウンターで吹っ飛ばされるようにダウン(信じられなかった)。一進一退の攻防大苦戦まさに統一戦にふさわしい好ファイトとなる。ロペスは目じりも切り流血。3回には普通は試合開始、初回ゴングだけの十字架に接吻(神に祈りを捧げる)を「どうしたらいいんだ」という感じで何度も繰りかえしていたのが印象的だった。
ーロペスはそんなに調子は悪くみえなかった。ただアルバレスが自信満々再三右クロスを狙い、物怖じせず強打を叩き込んでくる。ロペスはなんとなく一回転普段より遅れているような気がした。不用意にアルバレスのパンチを浴びていた。すさまじい打撃戦となる。このままだとアルバレスが押し切りそうな気配が蔓延してきた頃ロペスの出血がひどくなった。
ーこのとき、なんとも不可解な形でレフェリーが割ってはいる。負傷判定となる。1-0(アルバレス)のロペスには分の悪い引き分け。やっぱり無敵の英雄、しかもこれだけ節制を心がけ研究熱心なロペスでも終わりの日は来るんだな。さびしい気持ちになった。
ーメインのチャべスVSゴンザレスはどうみてもチャべスの勝ちにしかみえなかったけど。両者とも調子はもうひとつ(というより「峠を越えた」元スター選手の生き残り戦といった雰囲気だった・ゴンザレスの精悍な若武者「東京三太」の頃を知るのもにとっては別人のよう。パンチは往年の切れや鋭さもなく。後にジューにいいところなく。一方的に乱打されながら10回KOで敗れる布石ともなった一戦だった)
アルバレス(2)再戦:
ーまずWOWOWのスタジオにロペスが現れたのはびっくりした。小泉氏があんなにスペイン語ができるのにも驚いた(笑)。セミではバレラが辰吉とラスベガスで熱戦(7回完膚亡きまで叩きのめしストップ勝ちは見事だった)を演じたカルドスを豪快に2回で粉砕。健在振りを示していたのも懐かしい(ロペスは本当に口数が少なく。相変わらず寡黙で謙虚)。
ーこうして振り返っていると、名だたるメキシコの拳豪たち(放蕩で大酒飲みだったオリバレスや寡黙ながら酒は大好きなチャべス、ラミレスやピントールなどなど)とは異なりまったく違うタイプながらクエバスと例外的に贔屓の選手かもしれない(ほとんど故サンチェスやチャべスなどと並んで「アンチ」(ゴメスやラポルテ、ロサリオあるいはロジャー・メイウェザーなど私の好みが次々軍門に下る)なところがメキシコファイターが苦手なところと結論)。
ーアルバレスはスタジオのロペスも同調していたよう。明らかに「故意的・意図的」なウエイトオーバーだったように思える(「タイトル」よりロペスを打ち破ることのみに集中)。それにしてもあらためてロペスの強さに感動してしまった。一戦目より全然パワーも覇気も上だった。
ーでもあれだけ打たれてもアルバレスはビクともしない。盛んに相打ち狙いでガンガンパンチを出してきた。ロペスは鼻血を出し目尻からの流血の痛ましく全盛期では考えられないくらい打たれ顔も無残に腫れあがっていた。
ーそれでも随所随所にカウンターを叩き込み。いつものあらゆる角度からあらゆる種類のパンチが多様に飛んでくるスタイルは微動だにせず。判定は妥当だったように考える(2-1でロペス)。雪辱なる。アルバレスは一戦目に続いて大むくれだったけど(笑)。
グリグスビー戦・二階級制覇:
ーこの選手は往年のソウル五輪総出だったスーパーファイト(レナードVSハーンズ、デュラン(3)やホリーフィールドVSダグラスなど)の前座。カルバハル戦(4回判定負け)を大スクリーンでみたのを思い出した。スマートな黒人選手でカルバハルに決定打を許さず。スピードがあるストレートパンチャーだった。
ーその後、ずっと引退。ブランク後、カムバックして王座奪取。ロペスがもっとも苦手とするタイプ。ロペスより長い距離からストレートを放ってくる。しかもスピードがあり足も使う。ロペスを軸に逆に旋回しながら遠い射程外から打ち込んでくる右ストレートを再三浴びて出血。アルバレス戦で峠を越えてしまったロペスの晩年である。
ー結果を先にいえば、12回判定勝ち。4~5回辺りから、ロペスはぴたっとパンチを食わなくなった。さすがでした。アルバレスとの2戦以来、ちょっと雑なボクシングになっていた感強し。往年の慎重な「アウトレンジ戦法」から強引に相手のパンチが届く距離に入ってしまう(WOWOW放送でも浜田氏が繰りかえし指摘していた)。
ーまた、小泉氏が兼ねてからロペス攻略に想定していたそのものがグリグスビーのスタイルだったように回顧する。ロペスより長い距離とスピードを保ち、ロペスを前に出させざる負えない形に持ち込む。
ーアルバレス戦((1)では2回、右クロスカウンターが炸裂しダウン。その後も一進一退。目を切り出血(2)はウエイトオーバーのバスケスが相打ち狙いでがんがん強いパンチを放ってくるのがよく命中していた。鼻血をだし、瞼がふさがり腫れていたロペス)以降のこのグリグスビー戦まででそれまでのキャリア全部より多く打たれた気がする。
ラタナポン戦:(バルガスVSトリニダードのセミ):
ーちょうどクリスマス。元かみさんの会社パーティー。競馬場内の会場。あちこちに設置された大型テレビでちょこちょこ見ながらだったのを思い出す。同僚女性のご主人たち。ボクシング好きなイギリス人博士(出身大学の大先輩である)やアメリカ育ちの韓国二世。かつていろいろWOWOW放送も雑多に交えた「ハメド」から「韓国人ボクサー列伝」や「イギリス拳豪特集」を作っては贈っていたのも懐かしいかぎり。
ーその韓国系の友だちがロペスとラタナポンをみて盛んに「すごい選手だな」ってびっくりしていたのもよみがえる。
ー現実問題として、ラタナポンとはIBFとの統一戦でみたかった。あの当時であれば、サウスポー加えて戦慄の豪打者のラタナポンの勝機も十分考えられたはず。
ーロペスは一休み。むかしのスタイルを取り戻していた。また「射程外・遠方距離」からの「アウトレンジ」千術。見事なもの。ラタナポンも開始からよく攻めていた。ただ往年の破壊力とスピードは失せていたように感じる。
ーロペスはことごとくパンチを空転させては再三右ストレートを打ち込む。ロープにつめて左右アッパーからボディーブロー。ラタナポンが逆襲にでるやさっと離れる。3回、滅多打ちのところで確かスチール氏の「早いストップ」でした(でも妥当だった)(笑)。
また再開☆アヤラ

フェリックス・トリニダード・3冠王・39連勝(32KO)・元No・1・43勝(34KO)3敗(ゴチャゴチャ補足文つき☆)

PS:ほかのもふくめ「戦績」は若干食い違っています(それを調べると時間がかかるのでご了承を)☆
みなさん こんにちは
トリニダードですが、はじめに出てきた頃は一番の贔屓だったんです。ところが対抗王者のエスパーニャ、クォーティーが現れ興味の中心はいつしかそっちに方向転換してしまった(苦笑)。
タイトル防衛の意義について:
むかしは大の贔屓だった「レナード」「多階級制覇」の悪影響について、小泉氏が著作で書いていたのを思い出します。まったく「師匠」に同意。よくない傾向だと思う。「網膜剥離」で引退し再起戦は9回TKO勝ち(ウェルター級世界ランカーケビン・ハワード)ながら4回にダウンを奪われ大苦戦でした。9回にしとめたときのタイミングと連打は往年を彷彿させたいしたものでした。しかし「ハグラーは大き過ぎる」としてまた引退してしまった。以降、再起戦も行わずに「世界1位」にランクされハグラーも「大金」稼ぎが確約される世紀の一戦に傾いてしまう(「60億円ファイト」といわれていたハーンズとの再戦は横に置かれてしまった=そこでハーンズはバークレーにまさかの4回KO負けでタイトル喪失=これで「全盛期」は終わってしまいました)。
ー周知のとおり勝利したレナードはあっさりタイトルを返上して引退。ときどきカムバックしては一戦(ドニー・ラロン(L・ヘビー級王者)次はハーンズとの再戦、ラストファイトはノリスといったおかしな例示をボクシング界に残してしまった。
トリニダードはIBF王座をずっと防衛し続けた(12度(11KO))。ランカーたちが凌ぎを削り目差す頂上としての「タイトル」はこうするべきが本来なのでは?といまでも確信します。
モーリス・ブロッカー戦(2回KO勝ち・タイトル奪取)と初防衛戦(ガルシア):
ーすごいプエルトリコの選手が出てきたと雑誌で読んだ。若干20歳の童顔選手。しかもベニテスほどのテクニックはないけど一発の強打がある。楽しみにしてビデオをみたのが懐かしい。
ー実際驚いてしまった。後年よりもっと古来のプエルトリコスタイルに感じた(なんとなく不安定げな上体の動きから突如豪打が爆発する。ガジェハスやバスケスに似ていた)。
ー初回からバッタバッタ倒すいきのよさにしびれてしまう。タイトル強奪、ブロッカー戦のダイジェストに続き。ガルシアはメルドリック・テーラー戦もみた(善戦12回判定負け)。長身のメキシカンでいい選手だった。ティトはこの上位ランカー常連を圧倒。切れ味抜群の鋭角な左フックからの連打はすごい。あっさり2回でしとめてしまった。ガルシアは何もできず。これまでのプエルトカンの誰とも似ていない独自の才能とスタイルだなと何度も戻して再生したのも思い出す。
スティーブンス戦:(見ていない):
ースティーブンスは強豪だった。しかし「運」に恵まれず。マルケス戦はスチールレフェリーの視界のちょうど「死角」に入って「パンチ」(実は「頭」)がみえなかったのでKO負けにされてしまう。カンパスに挑戦した試合はデラホーヤが解説についていた(カンパスの3回KO勝ちながら結構打たれた)。「彼は非常にすばらしい人間だ。けれどもファンはデラホーヤ対カンパスをみたいとおもう」としきりにその温厚で飾り気のない性格を強調していたのがよみがえる。
ー世界初挑戦だったトリニダード戦(10回KO勝ち)。戦況を読むとホプキンス戦(初黒星KO負け)をぬきすれば、ティトが一番苦戦したのではないか?トリニダードはカンパスやカーにもダウンさせられた。ただダメージが残るダウンではない。ただスティーブンスにはかなり追いつめられたよう。
ー忽然とあらわれた神童パンチャーも「結構前途多難かもしれないな」と不安になったのも記憶にあたらしい。
カマチョ戦:
ーそれにしても故カマチョはいつからおきまり「クリンチ戦法」と「判定勝負」に傾いてしまったのか。いまさらながら回顧する。バズーカ・リモンを祖国サンファンでまさに「超特急」連打で5回に粉砕。王者になった頃は闘志不足の後年など予想もつかなかった。ラミレス戦辺りから「安全運転」の兆候がみえはじめ、こちらもとっくに故人になってしまったロサリオ戦以降、お得意化。
ートリニダードと対したときは峠を越えた「元スター」に過ぎず。トリニダードというよりカマチョいつもの「クリンチ戦法」にいらだった記憶しかない(WOWOW放送では浜田氏がトリニダードは「クリンチされたときに休んでますよね」としきりに繰りかえしていた)。
ーただ倒されないためだけのボクシング。トリニダード、大差の判定勝ちで2度目の防衛。カマチョには今さらながらがっかり。
無敗対決・カンパス戦(56連勝(51KO):
ーSHOWTIME(すなわちドン・キング傘下、タイソンもむろん。あとはハーンズやレナードの試合)はアメリカにいた頃から全然放送がなかった(地方放送は「骨董品展示会」などにすりかえられた)。おまけにおカネをどう払ってみれるかすら不明。
ーカンパスとの一戦(結果を知らなかったのがせめてもの救い)もずいぶん後に見た。カンパスの試合はロジャー・ターナー(12回判定勝ち)戦をみていた。騒がれる「チャべス2世」というほどのパンチ力と鋭いステップインは感じられなかったにせよ強敵なのは間違いない。もちろんトリニダードを応援していた。
ーそれにしても厄介な相手だった初回、2回は距離を詰められトリニダードのパンチは有効に生きない。そこへ短い左フックが炸裂。ガクっとしりもちをつく(リーチもそれほど長くないカンパスだけどいかにも重そうな強打)。とりわけボディブローを執拗に取り混ぜる連打は印象深かった(ターナー戦はあんまり真面目にみていなかったのもよみがえる)。
ーYori Boy(白い肌の男)なる愛称。ナバホア州というメキシコ先住民地区で他のインディオたちにそう呼ばれていたカンパス。確かに彼らと比べれば「白人」。
ーとにかくフックアッパーの連打からストレート。それに必ずボディーブローが組み込まれている。テレビの画面にかじりついてみていた(最近ボクシングを見ていてこうした新鮮さと興奮はあまりなくなっている)。
ー3回からトリニダードが調子をあげてきた。鋭い左フックは切れがあるだけでなく破壊力もすさまじい。たちまちカンパスは口の中を切り、鼻血も流し始めた。まさに呆気にとられるような瞬発力に感嘆。
ー4回、相変わらずパワー抜群の左フックからアッパーそして右へ繋ぐ。カンパスは劣勢になりながらもしぶとく抵抗。反撃にでて一進一退。そこでトリニダードの連打が爆発。一気にロープに詰めて顎が大きく跳ね上がったところでストップ(香川氏いわく「例のスチールレフェリーのはやいストップ))。それにしてもすごい選手が現れたものだと圧巻でした。25連勝(20KO)。
無敗対決・カー戦(28勝(22KO):
ーオーバ・カーはすでにクロンクを離れていた。往年では膝を負傷したトニー・タッカーの試合が強引に「NC」に持っていかれたよう。それらが作用していたとは必ずしもいえない。しかしブランブル戦は誰がみても「負け」であった。
ー以来なんとなくかすんだ存在になっていた。さすが故スチワート門下はえぬき。元アマエリートからプロ入りした天才パンチャーらしくスタイルは実によくまとまっている。ただひとつ抜きでるところがなかったように思えた。
ー2回、右ストレートが命中してトリニダードはしりもちをつく。あまりダメージがなかったのはカンパス戦と似ていた。それに「回復力」は本当にはやい。数秒もあれば足がしっかりしてくる。緊迫する好試合だった。けどだんだんトリニダードの鋭いフック、アッパーに圧倒され目も腫れてきた。
ーそれでも懸命に打ち返していたカーだったが6回にダウンを奪い返され、7回のフィニッシュは強烈だった。左フックから右を浴びせられダウン。立ち上がったところでストップ。
ートリニダードの快勝。またスーパースターへの駒を一歩すすめた感が強い。今さらながらこうやって「防衛」を重ねていくのが本来の「世界ボクシング」の主流たらんことを祈るばかり。
ターナー戦:
ーカンパスとの一戦はこっちのターナーの方が目立っていた。なにかをしながら横目にみていただけ。凡戦ではない。激しい打ち合いだったけどカンパスは評判ほどの選手じゃないな。そんな印象ばかり残った試合。
ースピードがあって切れもある長身選手。意外にリーチは短いトリニダードがどう対処するか。見ものだったけど、トリニダートと構えるとなんとも雑いファイターにみえてしょうがなかった。それだけティトは成熟してだんだん「危なっかしさ」が減少していたように回顧する。
ーそれでもターナーは鋭い。でも当たらない。二回の左フックは圧巻だった。ああした「切れ味」と角度はほかのプエルトリカンには見えなかった斬新さも実感した。それに威圧感がどんどん強まって眼光するどく。「童顔の暗殺者」にどんどん成長していて楽しみに感じたのも懐かしい。とにかくバランスがいいしよくまとまっている。ガードも固いし頭を小刻みに振るのを絶対忘れない。いいスタイルでした。でもこの頃からなぜか「贔屓」選手からは外れてしまう。
バーンズ戦:
ー順序は前後しますが、思い出したのから書いてます。よろしく☆ドン・キング傘下から一時期離れHBO放送。ジミー・レノンJRではまくマイケル・バッファーの紹介がなんか真新しい。バーンズはカンパスに挑戦した試合をみていた。3回KO負けだったけど、あの試合はカンパスのしつこい連打とボディーブローが本当に嫌なスタイルだな。そればっかり。
ートリニダードはウィティカーとの一戦を目差す。またまた一段と凄みを増した感じで強くなっていた。一戦一戦着実に進歩している。表情は険しいながら自信にあふれて安定してきた。プレシャーもどんどんきつくなり、また眼光も鋭くなるばかり。迫ってくるような威容にバーンズは何もできない。あえなく凌駕される。徐々に追いつめ一発一発をしっかり当てる。その連打の結末の「ボディーブロー」は誠に有効。4回完膚亡きまで叩きのめしKO勝ち。
ーウィティカーがメインで元王者のロドリゲスとのサウスポー対決。マクガート(2)あたりから攻撃的になった。マクガート戦でも目立っていた長い左のボディーブロー。マクガートは顔面を腫らし(1)とは打って変わってワンサイドの大差判定負け。この試合でもロドリゲスは太刀打ちでず。ウィティカーがテクニックとパワーすべて上回っていい左対決だった。とかくこの試合もワンツーからアッパー。あとはしきりに打つ、左右ボディーブローが印象的だった。6回KO勝ち。しかしまたトリニダードはドン・キング傘下に戻り白紙になったのは残念だった。ここで実現していればもっとスーパーファイトになった気がする。
ーまたクォーティーと対戦する可能性も増えたので楽しみだった。私はトリニダード対クォーティーを一番わくわく思い描いていたのも記憶に残っている。真正面正統派小細工なしの一戦になりそうで、方やアフリカ「鉄壁ブロック」からバズーカジャブ連打。もう一方はカリブの天才パンチャー。柔軟性とパンチの鋭さと威力。あのガードをなんかトリニダードが粉砕しそうな気もしたけど、意外にクォーティーの右ストレートをもろに食らってダウンしそうな感じもあり。
ー実現せず残念な限り。
ピネダ戦:
ー私がカナダでみれたということはもう一戦HBOだったことでしょう。ピネダはJ・ウェルター級時代無敗(29連勝(24KO))でジューに挑んだ。初回右フックのカウンターでダウンさせていながらつど4回倒し返され11回ストップ負け。こういう長身の頑丈そうな選手ほど案外気が弱い。
ートリニダードのサウスポー対策をじっくり見てみた。見事だったと思う(カマチョは「クリンチ」ばかりでそんなのに気を配るヒマすらなかった)右をまっすぐ当ててすぐ左フックを返す。この返しが爆発的で鋭い。この繰り返しだったように回想しまう。ピネダは何もできなかった。図体はでかいのに、ヘビに睨まれたカエルみたい。
ーバーンズ戦と展開は似ていた。じっくりちゃんと当てる。それに集中。だんだん追いつめ連打の挙句のまた。フィニッシュは右の「ボディーブロー」。みぞおちをえぐるように命中しダウン。カウントアウト。もうウェルター級には相手がいない。ただ一階級上のテリー・ノリスが標準になったのがわくわくしたものだ。
ーその頃のノリスは強引過ぎて乱打戦に巻き込まれKOされたブラウン戦に学んだよう。レナードを破った当時のボクサーファイター。目にもとまらぬ強烈な連打を叩き込んではさっと離れる。出入りの激しいもとの「テリブル・テリー」スタイルに戻っていた。ーこれまた実現する前にムリングスにノックアウトされておじゃんになってしまったのは無念の思いですね(苦笑)。スーパーファイトはなかなか実現しないもの。でも「実現」するのもあるからボクシングの魅力はつきない。
ウォータース戦:ノンタイトル・J・ミドル級転向第一戦:
ーウォータースは白人といっても実に頑強な豪州ボクサー(兄もみんな世界ランカー)。好きだった故ワンギラが沈められた試合が鮮明に瞼の裏に残っている(もうすっかり峠を越えトップランクとの契約を打ち切られていた・22勝(19KO)5敗・この一戦後にノックアウト負けで亡くなってしまった)。
ーはじまってみるとあっという間に初回KO勝ち。呆気にとられてしまう。ゴングが鳴ってしばらくしたら左フックが命中しこれが効いた。ガクガクロープに下がったウォータースを左右フックでつるべうち。豪快に倒してしまう。10カウント。見事な勝利。
ー今さらながらノリスとの二階級制覇決戦前に、エスパーニャやクォーティーとやってほしかったです。
ボバト戦:(衰えたりとはいえ元二階級制覇ロジャー・メイウェザーを2回右一発で沈めた中堅選手):
ーこれも確か「スチールレフェリーの早いストップ」(あるいは故ハルファーン氏?)だったのではなかったか。初回から圧倒(だたし繰り返すよう。ブロッカーやガルシアをバタバタ倒し。柔軟な力をぬいたところから爆発しカンパスに再三左フックから右を叩きこんでいた頃より。「一発一発」をしっかり当てながら攻めるスタイルに進歩していたと思う)連打炸裂。3回ストップ勝ち。
ー次にでてきたノリスはまた例の「真正面パンチャースタイル」に(「退歩?」)戻っていた。サウスポーのロドリゲスに強引な連打を浴びせる(これも結構「早め」のストップだったはず(ロドリゲスはぶーすか文句たらたらだった)。5回TKO勝ち。破壊力はすさまじかったにせよ)。WOWOW放送で浜田氏がしきりに心配していたのも記憶にあたらしい(「正面正面から行ってますからね。ほんとうに心配ですね」=そのとおり。次戦ではムリングス(目立たず地味な選手ながら技術面でも優れ底力があなどれない。手ごわい選手でした。ノリスにしてみれば一番相性が悪い選手)にまさかのKO負けでトリニダードとの「スーパーファイト」は白紙になってしまったのも残念極まりない。

ウィティカー戦:四階級を制した元王者(ロス五輪金)・遅すぎた「決戦」:
ー忘れてました。この試合はトリニダードのサウスポー対策が一層完備されていたのに驚くとともに。熟練の名王者にはじぬいいボクシングをしたと思います。
ーウィティカーも一般にいわれるほど衰えていたとは感じられなかった。また調子はよく手数も多かったしなにより以前より「攻撃的」になっていた。「アンタッチャブル」は健在でよくトリニダードのパンチに対応し、カウンターを放っていた。とりわけ左ストレートからアッパーが見事でした。またボディへの長いアッパーもよくみえられたように回顧する。ただとかく「防御面」ばかり注目されるウィティカーだけど、一発パンチは想像以上にあると考える(ライト級時代はもっと倒していた・階級を上げるにしたがって常に7~8分目の力に押さえていたように回顧する)。
ートリニダードは右から左フック。二回、その右がちょうど足が揃ったとはいえまっすぐあたりウィティカはしりもちをつく。いつもの苦笑いをうかべていた。それほどダメージはなかったけど、だんだん追いつめられる。山場は7~8回頃だったと記憶している。ウィティカーに疲れがみえはじめ、苦しそうな表情を浮かべていた。またトリニダードは一発一発着実に当てる。それから連打につなげるのが実に有効(チャンピオンになった当時より磐石の風格を漂わせていた)。
ー11回はKO寸前、これまたいつものロープ際での相手のトランクス(ベルトライン)より頭が下がるウィービング(反則です)で懸命に凌ぎながらもダウン。もう余裕はまったくなかった。トリニダードが後続打を放つのに翻弄されっぱなし。よくノックアウト負けせずに最終ラウンドのゴングを聞いたと思う。文句ない判定勝ち。
ーおもえばウィティカーがラミレスに初黒星(ウィティカーが勝ったと思った)を喫したパリでの一戦。アメリカでみた。タイマー録画で楽しみに帰ってみたものだった。当て巧さにうならされた(ラミレスにはその後2連勝・リング誌の「The Sweet Revenge」の題名がなつかしい)。ウィティカーは同僚親友のテーラーほど目立つスピードはない。ただ「的中率」がいい。とくにあのホーゲンを完封15回大差の判定だ破った試合は見事だった(ダウンを奪う)。ホーゲンは手ごわい相手(ジミー・ポールからタイトルを奪い。当時アメリカで戦っていたデンマークの強打者ゲルト・ボー・ヤコブセン(28連勝(17KO)無敗)を8回ノックアウト・続けて元王者ブンブン・マンシー二も8回KO)後にカマチョに初黒星をつけた。肝っ玉度胸満点性格。ボクシングはまとまったいいスタイル)それを難なく破ってしまうところにあらためてうなずかされた天才もなつかしい(最後にみたのは6~7年前だろうか。リングサイドの席で髪を生やしてなんかおしゃれな格好していました)。元気そうでなによりです。
デラホーヤ戦:無敗対決・ウェルター級統一戦・大凡戦(-_-;+番外ボクシング一般論追加:
ーまた結論から。デラホーヤは誠に忠実で真面目な選手だといまさらながら感心します。ミゲル・カントのトレーナーとして14度の防衛に貢献した老リベロトレーナーの「逃げ切り」指示に従いノックアウトを逃してしまったゴンザレスとの統一戦(これに怒り解雇してしまった)。
ーまたトリニダード戦もいっしょ(元エミール・グリフィスのトレーナーであくまで「アドバイザー」に過ぎなかった大御所グランシー氏の指示。これにも従いまた「逃げ切り」(こういう「指示」(しかも「スーパーファイト」(勝ちゃいい式=「プロ」(お客さんあってのもの)をやらかす人は感心しない)に転じて最後の3回ポイントを失い負けてしまった(また怒ったデラホーヤは解雇する)。
ートリニダードに関しては調子は絶好調(悪かったときはついぞお目にかからず)。前半は緊迫感もあったけど、正直「こんなに差があったのか?」とデラホーヤの強さと巧さに衝撃を受けたのが遠いむかしの話ながらわきでてきた。
ーやっぱり「五輪金」のアマキャリアと積み上げてきた強敵との戦いはダテではないと思う(むろんタイトルをずっと防衛してきたトリニダードも同様である。けれども「スーパーファイト」はなし=ウィティカーはすでに「王者」でもなかったし下り坂)。
ー途中で無性に悲しくなったのも記憶に新しい。またあの独特の「停滞現象」(おかしなタメが生まれて爆発できない)をはじめて拝んだのもこの試合だった。「世紀の一戦」にふさわしいデラホーヤ対クォーティー(夜中にビデオでみた。むろん結果を確かめず絶対「情報統制?」して目にせず耳にせずを徹底(これぞ「マニア」の真髄?(笑)戦の興奮あたらしかったから余計にがっかりしてしまう(別にトリニダードにというより、デラホーヤの「戦法」)。
ーおそらく一発も有効打は当たってないと今だに信じる(一方トリニダードの右目はジャブで塞がり、中盤は電光石火。ゴールデンボーイお得意の連打がまとめ打ちされていた)。クォーティーはあの連打に対抗してちっともスピード負けすることはなかったから余計に対照的で首をかしげたのも思い出す。
ー採点をしていたわけではない。ただ「逃げ切り3回」を差し引いたにしてもトリニダードの「勝ち」とは到底考えられず(しかし「勝ちに徹する」のはよくない。というのを刻んだ有意義な一戦だったと確信)。トリニダードの3-0の判定勝ち。デラホーヤの連勝は31(24KO)でストップ。
ー試合後のインタビューではスペイン語で健闘を讃えあっていたのがまず嬉しかった。そしてデラホーヤは冷静に「いや、正直にいわせてください。ぼくの勝ちです」からはじめアナウンサーに「でも勝つために十分な努力をしなかったのでは?」と聞かれ「すべて完璧に行ったとおもった」と苦笑いしながら強調していた(久しぶりに当時の「映像」トリニダードや往年の90s(私の現代ボクシング最後の時代)鮮やかによみがえりました(笑)。
*番外(1)最近はせいぜいゴロフキン、新しいところではクロフォード(スイッチヒッターのスタイルは見事・さらに「オマハ」(ネブラスカ州)は個人的にもつながりがあるゆかりの地です)対ガンボアぐらいでしょうか(いずれ、これも詳しく参考にあげ検証したいけど。故バレロやこのガンボア或いはメイジュニア氏などどうして「DV」(家庭内暴力)に走ってしまうのか・・・そのうちやりましょう(けれどもわたしもベンじゃないですけど「線香花火」ムラっけ動じがたいむずかしい人間。熱くなってる間に(昨日・今日が典型)取りくまないとまた「沈黙」してしまう可能性も大(苦笑)。ともあれ、ボクシングはすばらしい。けれど最近のはもう「ボクシング」に感じられない(いかかがでしょう?)。余計にむかしのように、常時一貫して私をひきつけず遠のくと長いを強いる傾向いがめず(もはや「有名無実」化したような「世界タイトル」の価値低落・階級と得たいのしれない団体乱立・または異なる「グローブ」メーカーでやらしたりと・・・グチはキリがありません(苦笑)。
*番外(2)在りし日をみてみましょう。例えば「トランクス」に限っても「対照色」が原則とされていた(だから名勝負でも典型例だと1、レナードVSハーンズ(1)=(両者「白」で非常にみずらくめざわり)2、サラテVSサモラ(両者「赤」)3、アリVSフレージャー(2)=(アリはレナードの(赤線)どうようエバーラスト黒のラインが入っているけど(1,3)に比べればやっぱりみずらい=だからあんまり見ない(苦笑)。今日のボクシングはそんな次元ではないハチャメチャぶり、古強頑固ものの「寝言」「白昼夢」ぐらいに聞き流してくださいませ(^_-☆
リード戦(14連勝(7KO)無敗)・二階級制覇:
ーまずリードから。アトランタ五輪アメリカ唯一の金メダル。トリニダードがファイトマネー約5億円。リードが3億万。スーパーファイト。
ーデビュー戦をみた。アマ時代はあまり覚えていない(メイジュニアやジュダー、バルガスと同僚)。なんと切れがいいんだろう。それでした。それに無駄がない。まとまっている。右一発の破壊力もすごい。ただ凡戦も結構演じる。ムラがあった(左ジャブが出ていないと大抵判定勝負になる)。
ートリニダード戦は双方、絶好調だった。いい試合になる。体もやはりリードの方が大きいように感じた。トリニダードは相変わらず上体を細かく動かし絶対止まった標的にならない。ただリードのパンチが鋭い。ジャブもよく出ていた三回がはじめの山場。大きなリードの右スイングがトリニダードの顎を横から打ち抜いた。ガクガク足をよろめかせ効いていた。続いてワンツーが炸裂。トリニダードダウン。ここでまさに浜田氏の「いまあ~ガード下げて格好つけてるヒマあ~ないですよ」のとおりトリニダードはあっという間に回復してしまった。
ーでも4回終了直前、再びリードの左フックがカウンターになった。見事なパンチ。そして五回トリニダードが上から下に返すボディーブローの強烈さたるや。すさまじい。連発で放つ。また左フックから左のボディーへの二連打。リードの動きは単調で読まれてきている。
ー7回、まさにロサリオがカマチョに命中させた左フックにそっくり。瞬時に鋭角なパンチが顎を大きく傾かせるほどの威力。リードがぐらつきダウン。これで決まりましたね。あとはトリニダードが押すばっかり。
ー10回、また左フックのボディーが横から突き刺さるように炸裂。一瞬おいてがっくり膝を突いたリード。立ち上がったらまた猛連打。もう一度倒した。
ー12回、ノックアウトを狙って最後の攻勢。リードはよくがんばった。大差の判定で二階級制覇。しかしいい試合でした。こういうトリニダードと真正面で戦える正統派クォーティーやエスパーニャとの一戦がみたかった。エスパーニャのあの長くて速い左をどうやってかいくぐったか?また八つ裂きにするような距離のあるアッパー連打をどうやってかわして打ち込んだか。そんなことを連想していたのも懐かしいです。また、この試合もさんざん何度もみました(笑)。
チャム戦:
ーこの試合はまず、入場シーンのかっこよさに感服してしまった。これほど「闘士」そのもの野性味あふれる表情をみたことない気がした(あとで時間あったらアップします☆)。一方アフリカのセネガル出身。「精悍な野獣」そのものの外見。チャムは33勝(30KO)1敗の強打者。でも解説者が「トリニダードがウィティカーと戦っているときは(フランス人の名前)デラホーヤと戦ってるときチャムは(フランス人)リードのときは(またフランス人)」要するに「対戦者」の質について力説していた。
ー試合がはじまるやトリニダードの左アッパーからフックのコンビネーションが命中。さらに今度は逆フックからアッパーがチャムの固いガードを突き破りこすりあげるように炸裂。おもわずチャムは横に向くほどの強烈さ。続いて重さすさまじい連打が実に鋭角にあらゆる角度から繰り出されことごとく当たる。的中率のよさにまた脱帽だった。場所はマジソンスクエアーガーデン。後にラストファイトで敗れるジョーンズと決定的に違うところ。浜田氏が語っていたことがよみがえる。「お客さんが出てほしいときそのとおりに行くのがトリニダード」「行かないのがジョーンズ」まさにそのとおりだろう。プエルトリカンは大騒ぎ。これほどスター性がある観衆向けの選手はタイソンともまた別質だった気がする。
ー2回、チャムは猛反撃にうつる。すごい突進力。やっぱりボクサーはこれじゃなければいけないとうなずいたのも記憶に新しい。トリニダードはひるんだように後退。矢継ぎ早に強打を振り回してロープからロープに追い込むすさまじさだった。
ーでも3回のフィニッシュは見事。しかし痛々しい。タフなチャムだけど左目はもうふさがり、ふたつ拳ぐらいの大さに瘤は腫れあがっていた。そこへまた刃物のような左アッパーがこすりあげられる。チャムは横を向いてしまった。ストップ。こうやって書いているとやっぱりトリニダード、ホントに強かったですね。それになにより「華」がありました。
ジョッピー戦・無敗対決三階級制覇:
ートリニダードがすっかり大きくなった。なめらかな筋肉だけどミドル級のたくましさ。一方ジョッピーが試合前語っていた言葉が感慨深い。癌でやせ衰えてしまった竹原を盛んに評して「あんな強い相手をノックアウトしてタイトルを獲ったんだ。トリニダードは竹原みたいな大きい相手と戦ったこともないだろう」。
ーやっぱりカナダで日本人としてああいうことを聞けば嬉しい限りでした。ジョッピーは強敵。すでに7度防衛(5KO)の安定王者。デュランがすでに50歳を越えていたとはいえ3回までつるべ打ち。スピードにまったく対抗できず。滅多打ちにされてストップされたのはびっくりした。
ーリングサイドには著名人がたくさんつめかけていた。初回、ジョッピーも調子よかった。パンチに切れがある。しばらくするとトリニダードの大きな左フックが命中。間髪いれずに右ストレート。一気に連打に持ち込み後ろに吹っ飛ばした。ニューヨークのプエルトリカンたちがわれんばかりの歓声。
ーその後もトリニダードが圧倒するばかり。やや小康状態となった5回に再び大爆発。前にでてきたジョッピーに右ストレートがカウンターとなった。ガクガクなって人形が折れるみたいな痛烈なダウン。また猛連打でフィニッシュ。まさかホプキンスに負けるとは思わなかったけど。ホプキンスはデラホーヤの戦法をよく研究したと考えました。ああしたストレート攻撃で間合いをとられると意外に何もできない。小回りが利かない。しかもホプキンスはずっとミドル級ですでに王座統一。L・ヘビーに上がろうというデラホーヤより体格が一回り大きかった。
ホプキンス戦:
ー結論からいってトリニダードは絶好調だった。ただ元荒くれ前科もの「エクスキューショナー」年齢もずっと上であるホプキンスの準備、研究とキャリア(老獪さ)に負けたような試合だと考える。
ーポプキンスは地味な選手。それにあんまり器用ではないと思うがどうであろう?若い頃は、それでもときに一発の破壊力のすさまじさをみせていたときもある。ただ特に元王者のサウスポーの功打者ジョン・デビッド・ジャクソン(輪島がリトルには敵わなかったと予想されたよう。残念ながらおそらく竹原はジャクソンには勝てなかったとおもう(初回か2回で轟沈させらた気がしてならない)を3回に沈めた試合もガチャガチャとしていて噛みあっていなかった。
ートリニダードはまさにデラホーヤ戦と似たような展開にひっぱりこまれた。ほんとうにああやって強くて速いストレートでじっくり距離をとられてしまうと何もできない。信じられないくらいおとなくしなってしまい打開策が見だせないままずるずると回を重ねるだけ。
ーもうちょっとデラホーヤ戦(あれはどうみても「負け」としか考えられません)から学ぶべきだったように思うがこちらもどうであろう?
ーライト戦もふくめキャリアで全然輝かなかった数少ない試合となってしまった。12回のノックアウトは強烈だった。一発の不意打ちで倒れる。あっという間に回復。そういういつものダウンとはわけが違った。打たれた末に喫した痛恨の初黒星へのダウンそのもの。余力は一切残存せず。12回TKO負け。初黒星。
マヨルガ戦:
ーこちらもまず結論から。たしかに強敵で大苦戦だった。しかしトリニダードには組しやすいタイプ。バンバン速くて鋭いしかも重いパンチを繰り出してくる。一面、そういう展開だとトリニダードはいつも「爆発」できる。そんな試合だった(ティトが一番輝ける絶好の相手)。
ーそれにしてもマヨルガは強い。真っ赤に染めている髪にも度肝を抜かれた(いつもと異なり余裕はなく、緊張している雰囲気)。先にリング入りしてリング上でロープに手をかけ、見下すように眺める(肝っ玉ただならぬ「役者」。そのひとこと)でもひとたび試合前、顔合わせるやあの独特。まさに「人を食った」ような表情。頭にきたトリニダードの眼光もすごかった。思いっきりグローブを叩きつけるようにあわせて開始ゴング。
ー確かに初回は膝がガクガクしていてパンチが全然でない。やっぱ2年のブランクは大きい感いがめず。しかも再起戦でこの破天荒極まりない危険な相手。なんかまずい、と思いきや中盤に左フックがかすめる。マヨルガの挑発は裏目にでた(ノーガードで打たせたからトリニダードに当たる感触とリズムをよみがえらせてしまう)。左フックの三、四連打。すっかり調子に乗ったティト。
ー総立ちの観客と応援に答えすさまじい強打の連発。最後の大きな左アッパーから炸裂させた小さい左フックと右ストレートは効いていた。ゴング。すっかり復調、回復の早さをまた示した。
ー打たれ強さと鉄の顎、頑丈さはラポルテなみ(一般に強調されるほど一発の破壊力があったとは思えない。このタフさが賞賛すべき。ただラポルテはこれほど滅多打ちにされたこともない。また生涯ノックアウト負けもダウンすらなかった)。
ーあの試合後(試合前の記者会見もおなじく)、タバコをカメラにむかって「プカー」とやらかすは大好きだった。けどマヨルガは引退後が心配。おそらく現時点ですでに、パンチドランカーに近いのでは?フォレストとの二戦(再戦でまた「ノーガード」でフォレストに打たせていた。フォレストのベストパンチ・右ストレートを何発もまともに浴びてから猛然と反撃にうつる。たいした度胸と根性だ)デラホーヤ(にも打たれた)、モズリー(にノックアウトされたときは強烈。しばらく起き上がれなかった)そしてこのティト戦。
ー2~3回とマヨルガは反撃に移った。これまた感服。3回に奪ったダウンはそれほどのダメージはないトリニダードのいつもの形。だったにせよ、一進一退。あんなに興奮して画面にかじりついたのも久しぶりだ(回想していると「映像」が脳裏に鮮明によみがえる)。
ー双方「プロの鏡」。「華」のある選手たち。トリニダードはどんどん全盛期の調子を取り戻した。特に5回終了間際の連打はものすごかった。左右雨あられの乱打ぶり(新たな感じがした。むかしよりすごみを増したような感)。それでもほんとうにしぶといし簡単には諦めないのがマヨルガ。再三間髪いれずに打ち返す。どのパンチも強烈だった。
ー8回はまさに力尽きた。アッパーに右をつなげられダウン。よくあそこまで立っていられたもの。2度目のダウンは左フックのボディーブロー。血が混じった胃液をしたたらせながらもまだ立ち上がる。連打で左フックが命中。一瞬、がまんしてもうだめだ、といった形で横を向いて崩れ落ちた。見事な試合。まさにマッチョ中のマッチョ。トリニダード最後の輝き。8回KO勝ち。次は何も「ライト」を選ばなくてもよかったのでは?
(苦笑)。マッチメーキングにも問題があったと今さらながら懐古する。自信もあったんでしょう。スーパースターの宿命。これこそボクサー。それしかないでしょうね☆
ライト戦:
ーなんか嫌な予感してました。もちろんテレビでライブにはみれなかった(モズリーVSライト(1)もいっしょ)。ライトが大差の判定勝ちで完封するような展開しか双方とも想像できず。そしてそのとおりになってしまうのがライトです(苦笑)。しかし往年の「微妙な判定」(ほとんど負けにされる)が公平になった点は評価できると感じる(まあ、モズリーにせよトリニダードにせよ「勝ち」になどつけようのない「フルマーク」に近い)(再び苦笑)。
ーみてみると右ジャブ一本でトリニダードは何もできなかった。トリニダードがライトを粉砕するとしたらほかにどんな方法があったかな?と見終わってから思案にくれたのも覚えている。ライトがガードしているとき構わずどんどん打てなかったかな?2~3回くらいに二三発。フックからアッパーを打った。しかしこれがティトの弱点なのか。妙な「タメ」みたいのがあって爆発しない。
ーだからクォーティーならもっと叩けるだろうと予想したらこれまたそのとおりだった。クォーティーは固いグブロックの上を打たせながら負けずに打ち返していた。
ーライトの右ジャブから左ストレートが長いからトリニダードはサウスポー対策で得意の「右から左フック」が全然でない。ああやって「距離」を一度とられると妙に慎重になって(円滑に突破口が開けない。沈黙してしまう)しまってそのままズルズルいくのはデラホーヤ戦やポプキンスもおなじだったように感じる。
ージョーンズ戦はもっと打っていていい試合だった。それにしてもライトのあのやりにくさは相当なものでした。デラホーヤやジョーンズだってなんだか際どい判定(議論をよぶ)に持ち込まれたような気がしてならない。
ジョーンズ戦:
あのままホプキンスに勝ち夢のスーパースター最高峰同士の無敗対決(グリフィス(1)はジョーンズのKO勝ちと考えます)になっていたらな。いまさらながら残念極まりない。
ージョーンズもすでにターナーにノックアウトされていた。下り坂。あの「地方路線主義」、安全運転に戦いながらヘビー級なんぞムリしてやった意味がよくわかりません。それが本人の望むところだったんでしょうけど「相手」にもよるはず。ジョン・ルイス(ツアーには初回一発で轟沈させらた。勝ったととはいえ、ホリーフィールドはもう過去の選手の頃)は中堅に過ぎない。
ーおまけにレナードと似ている。急激な減量でからだがひからびてしぼんでしまったよう。いびつな体型でL・ヘビー級におりてきた。そこでターナーみたいな相性が悪い相手に当たってしまう。
ートリニダードもぷっくら「やわらかい肉」に覆われ、ふくらんだかの如く。妙な体にみえた。でも両者とも調子はよかったとおもう。ジョーンズは得意のスピードがあり切れのある鋭い連打を放ち。あの飛び込むように打ち上げる左アッパーも健在だった。トリニダードも勇敢によくパンチをとめなかった。コーナーに誘い込み挑発するジョーンズに真正面から豪快に打っていって何発か命中させていた。
ーダウンは7回、と11回。両方、強いパンチで倒れたもの。往年の回復力も健在だったトリニダード。12回判定負け。ジョーンズももうひと働き全盛期にして欲しかった。バスケットへの情熱に加え、ライバルのマクラレンの不幸もかなり影響下みたいでした。
アヤラ

ボクサーと家庭内暴力について(DV ・Domestic Violence)

みなさん こんばんは、
なんかまた息切れしそうな気配。ですので是非、その前に取りくんでおきたい。
レナードの場合:
ーメリーランド州の地方都市近郊でうまれた。母親によると、静かで口数も少ない少年だったらしい。レナードはボクシングをはじめた中学生時代の最初のトレーナー。その男はジムにくる少年レナードに必ず性的虐待を加えていたという(「オラル・セックス」)。
ーレナードはモントリオール五輪の決勝後、引退を発表(ほんとうにやめるつもりだった)。ただ五輪中をはばかって伝えたなかった事実があった。特待生だった大学の級友で当時のガールフレンドだった。前妻ファニタ嬢が妊娠はしていた。
ーここでかなり悩んだそうだ。ただ選択の余地はなく、プロモーターと契約をむすびプロデビュー(その頃で約800万円のファイトマネー)。男児を出産(レイ・ジュニア)。
ーハグラー戦の後、前妻はレナードの家庭内暴力についてさる雑誌記者に暴露。離婚訴訟を起す。彼女によれば酒を飲んだときまた、麻薬(コカイン)使用時はよく暴力をふるったという。
ー記者会見がひらかれる。レナードはすべて認めた。同時にリハビリ施設で治療が開始される。悲しかったです。その後、20歳以上も年下の女性と再婚。2年前のわがカナダトロント近郊、スポーツイベントに迎賓としてきていた。もう暴力をふるっていないことを祈るしかない。
デラホーヤの場合:
ー彼が「暴力」をふるったとはいわれていない(時間があれば結婚生活について調べてみます)。ただ「アルコール依存」で引退後、リハビリ施設に入院したことだけは事実である。
ーデラホーヤは「リングに上がる前、恐怖を消すために飲んでいた」と認めた。続けます アヤラ
目次:メイウェザー、ガッティ、故バレロ、ガンボアなどなど・・・さびしいかぎり。

All over the world・common ground=国際式ボクシング・アメリカの思い出(チャべス・エスピノサ・パッキャオ)

みなさん 毎度であります。
ボクシングは地球上万国共通:
ーおそらくこのブログを開設して以来の傾向でみなさんには十分伝わったとおもいます。私は実に「ムラ」のある人間(だからこそ「プエルトリカン」が好きなのかも(笑)・「天才」でも「大口たたき」(日本時代や若い頃はそうでした(再び苦笑)ではありませんけど)。
ー例えば以前紹介した「北朝鮮」以外の社会主義国、「ベトナム」(1987年・故グエン・バン・リン書記長(ベトナム版・ペレストロイカ(ドイモイ(刷新)導入)すら「プロ」は存在します(アマでは「アジア大会」などで活躍)。
ーさらに「中華人民共和国」は周知のよう、北京五輪金メダルの選手もプロ入り後無敗?(でしたよね?)の快進撃(おもに「マカオ」(99年にポルトガルから返還)を主戦場にしている)を続けどんどん「世界規模」に発展しています。
アメリカ旅行とボクシングについて:
ー8月に一週間以前、18歳から20歳までを過した懐かしの街メイン州ポートランドに行ってきました。ジョーイ・ガマチェ(ルーイストン出身=アリがリストンとの再戦を初回右クロスカウンターの一発で制したゆかりの街)や古くはハグラー(そこから東海岸沿いに車で二時間南下・ボストンの稲妻)比較的新しくはナザロフであります(ガマチェを2回、豪快に三度沈める完璧なKO防衛)。
ー今回は中南米出身(グアテマラ・エルサルバドル)の多くの方と知り合いました。またアフリカ、ザンビアからの好青年もいた(古いファンなら「懐かしい」とよみがえるかも・唯一知っている著名ボクサーL・ヘビー級世界ランカーのロッテ・ムアレ(20連勝(15KO)無敗で往年の打たせて打つ’ミスター・エキサイト’と呼ばれた故マシュー・サアド(来日・リングスの田村に初回フォール負け)に挑戦(4回KO負け)・続いてもうひとりすでにマイケル・スピンクス(15回判定負け・8回、若きマイケルの「ジンクス」右ストレートが炸裂・すさまじいダウンでした)に負けていたエディ・ムスタファとの生き残り戦・4回KO負け(右で顎を打ち抜かれ骨折・再起不能で引退)のことを話したらやっぱ知ってました(ほっこり☆)
ーうれしそうに「Google」で調べてみて。今、「女性ボクシング」が盛んだから」(まだ果たせず)と表情が輝いていた。
ー中南米軍団には「チャべス」(ジュニアも)モラレス、バレラそれにキューバ、ガンボアやカサマヨールなどなど。おまけに怪人タバコをぷかぷかやらかす「リカルド・マヨルガ」みんなそれぞれのニックネームでジミー・レノンJR式に紹介してバカ騒ぎした(笑)。
ーこうして共通の土壌として国際的友好の「華」となるものボクシングの魅力でしょう。
フィリピン・エスピノサとパッキャオ:
ーこの間、パッキャオのフライ級時代。後楽園ホール「寺尾新」戦を考えていた(9回TKO勝ち)。長身ながらさえない中堅程度にしか見えなかった時代です。元アマのスター選手、ユーリに雪辱しタイトル強奪のチャチャイ戦もまさにノックアウトの瞬間までたいして目立たなかった(10回KO勝ち)。
ー方や、エスピノサは早くから注目されていた。フィリピン選手の特徴。黒人たちとはまた異なる。「瞬発力」(しかも豪快)だと思う。古くはハワイを主戦場にしていたビラフロア(柴田を再戦で初回ノックアウトで葬った・上原を二回で粉砕)またローランド・ナバレッテ(ミンダナオ島出身・ボザ・エドワーズ(ウガンダ・元アマスター)を5回豪快に沈めた(ひとたび爆発するや破壊力満点のものすごい集中連打)。
ー川島郭志からタイトルを奪った兄弟ボクサーのひとりジェリー・ぺニャロサ(タイトル喪失後、タイでのノンタイトル・元王者の山口を初回ストップ)など結構ないい選手ぞろいです。
ーエスピノサは全盛期を棒にふっためん少なからずで残念(フィリピンの経済力では一階級上の新しいタイトル戦は組めず)。バンタムでは「対脂肪率」まさに「4~5%」になるほど大きかった選手です。カオコーを不思議な初回KOに破り戴冠(あの試合はほんとうに今さらながらどのパンチが効いたのか定かでなし。でもカオコーは「アワ」を吹いてロープ際に深々と沈んだ)。初防衛戦はあのタノムサクを3回、矢のようなワンツーを命中させ吹き飛ばすダウン。15回判定勝ちで初防衛(タノムサクは常に一番強かった相手「エスピノサだ」といってました)。ハンサムな黒人、ハーリー・スニードをスピードとパワーで圧倒し7回TKOで2度目の防衛。
ータイトル喪失のコントレラス戦は2回に先制のダウンを奪う。続いてまた「瞬時・大爆発」でもう一度。そこでスタミナがつきてしまう。5回逆転ノックアウト負け。それからマネージメントやプロモーターの問題もあり、せいぜいメキシコでゴンザレスと戦った程度が目立った試合(初回、打ち下ろしの右ストレート一発で若きゴンザレスをダウン寸前に追い込みながら。2回KO負け)。
ー後に再び敵地(しかも地元)で痛烈なお返し。マーカンテレフェリーをして「世紀のノックアウト」といわしめたほど強烈な右連打で沈めた試合の痛烈な「瞬発力」「爆発力」を語れば伝わるかもしれません。無敗のサウスポースピードスターだったケビン・ケリー(42連勝(28KO))をダウン応酬の激闘の末、10回TKOで颯爽新チャンピオンに輝いたコブリータ・ゴンザレス(ムラがある選手・2度目の防衛戦でメディナに判定負け・41勝(33KO)3敗)は結局このダメージから回復できず中堅ファイターとして終わってしまった(後にライト級でスティーブ・ジョンストン(坂本選手に判定勝ちで防衛)戦は往年の元気はありませんでした・10回大差の判定負け)。
ー最後の見せ場は小泉氏から離れ「ルイシト・エスピノサ」に戻ったアメリカでの試合。ジュニア・ジョーンズを壮烈な逆転KOで破り健在を誇示したケネディ・マッキニーのラストファイト(試合前、完全になめていました)。初回にまた「大爆発」。マッキニーに猛連打を浴びせ先制のダウンを奪う。二回、大きな右のスイングを命中させ思わず横を向かせてしまう。後続のつるべ打ちでKO防衛。ちょっと日本のファンには遠くなってしまったのが残念でした。マッキニーは試合後完敗を認め「ただ左フックを振り回すだけのワイルドな選手にしかみえなかった。あんなにすごい右を持っていたとは驚いた」が感想でした。
パッキャオに続く:
次はパッキャオ・また再開しますね・アヤラ

一般ブログからの転用=好対照の2人イタリア系・スタローン氏とロバート・デニーロについての毒舌・Sylvester Gardenzio Stallone&Robert De Niro

PS:別の一般ブログから転用しました。興味のある方はどうぞ☆ アヤラ
2016/09/12 00:08
シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone, 1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家。身長178cm。1970年代から1990年代のアクション映画を代表するスター。60歳を超えた現在でも、鍛え上げた肉体で激しいアクションをこなす映画俳優である。左利き。
ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.、1943年8月17日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督。アカデミー助演男優賞を受賞した『ゴッドファーザー PART II』、アカデミー主演男優賞を受賞した『レイジング・ブル』、および『タクシードライバー』をはじめとするマーティン・スコセッシ監督の一連の作品への出演で知られる。身長177cm。撮影の前に徹底した役作りを行うことで有名。また、『グッド・シェパード』などの作品で映画監督も務めている。
「役者・プロ」としての幅インチキ「マッチョ」ヲタ男とホンマモンしかやらない「真骨頂」俳優比較:
この二人は実に好対照を示している。ずいぶん前に書いた短編ルポがあった(むろん行方不明)。それにちなんでここでは、一般情報を掲載した。それを参考にしながら新たな検証を進めてみたいとおもう。
はじめに:
以前からこのデマカセ「マッチョ氏」についてはさんざんこきおろしてきた。北米の一般常識として特に「黒人」や「中東」あるいは「南アジア」(インド・パキスタンまたはバングラディッシュなど)の方々と友人になったとする(目撃してきた実例多数)。むろん「映画」などほとんど見ない人もいるので一概にはいえないのは断っておく。あくまで「一般論」に過ぎない。
ー好みの映画などを聞かれて「ロッキー」「ランボー」だの「オーバーザトップ」とやったらその時点で嘲笑されるのは避けられないはずだ。また表情が険しくなり「関係」そのものが深くならないのは間違いなかろう。これは何も「人種」がどうこうはあまり関係しない。「普通の教養」を持つ方なら白人だろうが欧州系だろうが今でいう「引かれ」るのはやむをえない。
ー方や、「デニーロ」といって嫌な顔をする人はまずいない。冒頭、ひとつの象徴的な事実をあげるので参考にしてほしい。
スタローン氏=かっこいい役もしくは「善人」しかやらない。おまけに「でっかい「黒人」を白人がぶっとばしたり」(「ロッキー」シリーズ)「特殊部隊・傭兵」「アジアのアフガン(アフガニスタン人などはなから眼中にない)で「ソ連軍」をやっつける大殺戮の狂宴」(「ランボー」シリーズ)または「コブラ」(単車にまたがりライフル銃をぶっぱなす、腕利き刑事)などなど一般常識を遺脱する傾向いがめず。(こっちもデニーロだと勘違い・スタローン氏でした)ブラアン・デ・パルマ監督(映画「キャリー」(ホラー・いじめらた超能力少女・血まみれ)「スカーフェイス」(アル・パチーノ主演)「カリトーの道」(同じく)などが代表的)だったらしい(知らなかった)。ともあれほぼ全ヒット映画が’自前’(要するに原作・脚本・監督・主演すべてひとり)でまかなっているということだ。
デニーロ=どんな役でもこなす。古くはフォード・コッポラ(映画「ゴッドファーザー」(2)ボスの若い頃回想・助演男優賞)後はマーティン・スコセッシ監督(映画「タクシードライバー」(ベトナム戦争からの海兵隊帰還兵)=この作品は個人的にはあまり好きではない)「キング・オブ・コメディ」(ほぼ「異常者」のストーカーコメディアンヲタ役)「グッド・フェローズ」(アイルランド系、粗暴なマフィア幹部役「カジノ」(ユダヤ系アメリカ人の「競馬屋」(コーチ屋)からマフィアがらみの「カジノ」ボス)「ケープフィアー」(元貧困文盲の婦女暴行犯)などなどあげる)。あとは「ザ・ファン」(ウェズリー・スナイプス主演・デニーロは元少年野球で情緒不安定な野球ヲタ・ストーカー役)ぱっと思いついたのをあげてみただけに過ぎない。その他、出演・主演などなど数え切れません。
好対照な実例:
スタローン氏=
「ロッキー」のお粗末さ舞台裏についてはあえて重複の必要もあるまい。もともと原作にいたった経路はフォアマンをまさかのKOで破り王座に返り咲いたアリの初防衛戦が起源となっている。
ーアリが初防衛戦に選んだ相手は床屋が本業のチャック・ウェップナー(後に「ロッキー」原作実在人物として注目された。だからアリ(高額のカネにつられてきた)同様、来日。我らが燃える闘魂アントニオ・猪木氏と「異種格闘技」戦にいたる(6回猪木氏十八番「逆エビかため」でギブアップ負け)という中年ボクサーであった。とっくに峠を越え禿げ上がった頭でボテボテに太り半引退の選手(全盛期のキャリアで強敵とたいしたのは「ビッグベアー」(大熊)と呼ばれた前王者(21歳の若きアリがまさかのノックアウトでタイトルを奪った相手。再戦でも初回一発のクロスカウンターで沈めた)ソニー・リストン(享年38歳・自宅で変死・麻薬過剰摂取ともマフィアに殺されたともいわれている)ぐらいである(すさまじい流血打撃戦(リストンのラスト・ファイト。豪腕健在で終始強打を叩き込まれ両目上から出血。頑丈さにものをいわせなかなか倒れなかっただけ・10回KO負け)
ーなめくさって楽チンな相手として選んだこのロートル白人が蓋をあけてみればもう一歩で倒すところまでアリを追いつめる。おごり高ぶるスーパースターを大苦戦させたこの健闘ぶりに痺れてしまったスタローン氏がたどりついたのが「ロッキー」だそうな。
ーしかし実情はいささかどころかかなりの「誇張」「改竄」による「自分風」(当時のスタローン氏はただの「肥満体」(まだまだ「ボテボテ」だった「ロッキー」(1)当時より肥えていた=「ステロイド」使用はまだ一般的ではなかった時代)’あこがれ’要素にねじまげた内容である。
ー興味のある方はYoutubeでアリ対ウェップナーを直接みてみるのをお薦めする。アリは確かにあまり調子はよくなかった(今とちがって「30歳」は若くない。「5年」のブランクは結局、克服できず)。ただし「大苦戦」などさせていない。最終15回まで一方的に打ちまくられ血みどろ。パンチはまったく当たらず(スピードと切れがちがう)顔は二倍ぐらいに腫れあがっていた。リストン戦といっしょ。「タフ」だからなかなか倒れなかっただけ(最終回3度のダウンを奪われてストップ負け)。困ったことに「ランボー」などとおなくじ「フィクション」とはいっていない(そこも「いわしの頭」式、いいかげんな人格を反映している)。
デニーロ=
はじめてのアカデミー主演男優賞を獲得した映画「レイジング・ブル」(マーティン・スコセッシ監督(おなじくイタリア系アメリカ人)はそういうニックネームをつけられたジェイク・ラモッタというイタリア系元ミドル級王者の実話である。
ーこの原作の人物は映画をみればわかるとおり一種の「変人」であった。だから「評価」は高かったにせよ「興行」的にはそれほど芳しくなかった(あまりに陰惨でやりきれない内容である。また暗黒街、放蕩と暴力もからむ)しかし「ドキュメンタリー」(事実)に近い)。
ーここが決定的差違。デニーロは撮影に備え毎日ロードワーク10キロ。ジムワークに半年を費やし、合計「200ラウンド」のスパーリング(後に「ボーイズ・ライフ」でデカプリオ氏を虐待する田舎オヤジ役。「ボクシング」を教える場面を思いだしていただきたい。正規に、習ってもおらずパンチの打ち方すらしらないスタローン氏と比べてみてください。本当の「ボクサー」そのものである)。しかも鼻が魔女のようにでかかった本人をまねて「整形」までするこだわり(監督とは無関係に自己の意思)。
ーさらに驚くべきことは引退後のシーン撮影のためわざわざ「肥る」ことまでこなす(その後「ワンスアポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(ニューヨークのユダヤ系チンピラ組織を描いた映画)出演のため急激に「減量」したため老けてしまった)。
ーこれだけでもう伝わったと思いますがどうでしょう?空手王者のソ連アマ世界チャンピオン役俳優の「手加減」パンチをボディに一発食らっただけで「救急車」全治一ヶ月の入院男「キン肉マン」スタローン氏・・・。
ー「ケープ・フィアー」(1991)での’筋肉’は全部鍛え上げたもの。「ステロイド」や「プロテイン」など一切使用せず。また数作(「タクシー・ドライバー」「キング・オブ・コメディ」)で共演している黒人女優は別れた元奥さんである。
ーただしデビュー当時の「バンク・ザ・ドラム」(プロ野球選手)は猛特訓を積んだとはいえ。努力の甲斐なく、’野球’はむずかしい(苦笑)。「プロ」レベルには達せず(しかし「あんちょこ」ばっかりで高慢なスタローン氏(特におなじ「イタリア系」)と比べれば評価できるだろう)。「ヒート」(アル・パチーノ(おなじくイタリア系・ニューヨーク貧民街育ち・「舞台俳優」と「作品を選ぶ」傾向が強く「映画」出演はデニーロほど多くない)とはじめて「面と向かって」(ゴッド・ファーザー(2)ではオヤジの若い頃「回想」シーン担当だったので一緒には現れない)共演。パチーノは刑事役・デニーロは知能犯役。
ー方や特に「黒人」たちの憎悪と軽蔑の的となってるデマカセ「マッチョ」俳優兼監督業(アメリカ時代もカナダでも「別の映画」の予告編で「ロッキー」なり「ランボー」が出てくれば冷笑と時には、激しい「ブーイング」が巻き起こる)。
ー今、思い出した。ちょうどモントリオール時代。ハンガリー系の友人家族の自宅に夕食に招かれ、アメリカ黒人たちも同席していた。そのとき、テレビで「ロッキー」(3あたり?)がやってた。そのハンガリー系友人が「Beat a meat」ととかいってバカにしていた。てっきり私は「ロッキー」(1)=(肉工場勤務)スタローン氏がぶらさげてある牛肉を素手で乱打する場面を思い出しててっきり勘違い。黒人のひとりが意味を説明してくれると、要は「マ*かき行為」のことだと知り参ってしまったのも懐かしい(それに「ボクサー」(世界ランカー?)は「肉」なんか殴りません。「生卵」(10個?)飲み干す。それも「ロードワーク前」(あれ特に「ウルトラクイズ」罰ゲーム(故ジョー・フレージャー(元東京五輪金・アリのライバル)とのスパー前に飲まされる)などで使われていたので「ランボー」どうよう。特に「日本」でまた余計な「誤解」を生んでしまった)と似たような「浅はか」発想に過ぎないでしょう。
ーもうひとりは以上のような「役者魂」・・・(-_-; 
また思い出したらつけくわえます。ありがとうございました☆サム

スタローン氏のキャリア(ウィキ):
極貧生活からのスタートスタローンが初主演した映画は1970年のポルノ映画 The Party at Kitty and Stud's(子猫と種馬のパーティ)である。当時は極度の困窮生活で、出演はやむにやまれぬ事情だったとスタローンは述べている[6][注 2]。同じく1970年には No Place to Hide(隠れ場無し)というコメディ映画に主演した[注 3]。1971年にはオフ・ブロードウェイの小劇場で Score というアダルト劇の舞台に立っている。このようにポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ちた[要検証 – ノート]。1974年に出演した『ブルックリンの青春』(The Lords Of Flatbush)での演技が何人かの評論家の目にとまり、スタローンは妻と愛犬を伴ってハリウッドへ移った[4]。1975年には『デス・レース2000年』に準主役として出演した。『ロッキー』の半年前である。ロッキーでの大ヒット1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって映画会社に売り込む。脚本が気に入った映画会社は一線級スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞、結局主張は認められた。この作品こそ『ロッキー』である。もっとも無名俳優の主演作品のため低予算のB級扱いとなり、わずかな上映館でのスタートとなった。しかし徐々に大評判を呼ぶことになり、世界的規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)、遂には同年のアカデミー作品賞を受賞する。映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの「アメリカン・ドリーム」を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績が評価された。ランボーでの再ヒットその後『パラダイス・アレイ』で監督業にも進出。しかし、様々なジャンルに挑戦し続けるが『ロッキー』シリーズ以外は興行的に成功することがほとんどない状態が続く。1982年の『ランボー』でようやくロッキー・バルボア以外の役をヒットさせることに成功。以降ランボーはロッキーと並ぶスタローンの代表作となった。その後は『クリフハンガー』など、常に鍛え上げた肉体を駆使した作品でアメリカを代表するアクション俳優となる。2006年、シリーズ16年ぶりの新作となる『ロッキー・ザ・ファイナル』 が公開され、2008年には、20年ぶりの新作となる『ランボー/最後の戦場』が公開された。ステロイド疑惑2007年の2月に『ロッキー・ザ・ファイナル』の宣伝でオーストラリアを訪れた際、シドニー空港にて、手荷物の中にオーストラリアでは禁止されているステロイドが発見され、起訴された。5月15日に行われた審理では代理人が起訴事実を認めたが、スタローンは出廷をしなかった。21日、2500ドルの罰金を科す判決が下った。本人は当初『持ち込んだのは成長ホルモンだけだ』と弁明していたが、やがてはステロイド剤の所持を認めるに至った。しかし、後日になると『あれはテストステロンだ。ステロイドではない』と再度弁明を行った[7]。近年の活動2010年9月に訪日し、大相撲秋場所を観戦。その際九重親方に映画出演のオファーを行い話題を呼んだ。また、同年9月28日放送分のNTV系列『魔女たちの22時』や、『おしゃれイズム』にもゲスト出演している。2010年12月7日、一連の『ロッキー』シリーズのボクシング映画製作などが評価され、国際ボクシング殿堂顕彰者に選出された[8]。2015年に公開された映画『クリード チャンプを継ぐ男』で再度ロッキー・バルボアを演じ、その演技が批評家から絶賛され[9][10][11]、2016年の第73回ゴールデングローブ賞では自身初の助演男優賞を受賞した。
 役者として駆け出しの頃は、同様に無名フィルムメーカーであったブライアン・デ・パルマ監督とコンビを組んでいた。

デニーロのキャリア(ウィキ):
1972年に公開された『ゴッドファーザー』でソニーやマイケル役のオーディションを受けたが落選。しかし、監督のフランシス・フォード・コッポラはデ・ニーロの演技力を高く評価し、続編の『PART II』では若きドン・ヴィト・コルレオーネの役を割り当てた。デ・ニーロは、この役を演じるためにわざわざシチリアまで赴いてイタリア語を完璧にマスターした後、マーロン・ブランドのしゃがれ声を真似るために必死の練習をしたという。その演技は評判となりアカデミー助演男優賞を受賞した。1973年には長らくコンビを組むことになるマーティン・スコセッシ監督の『ミーン・ストリート』に出演。これ以降、『タクシードライバー』(1976年)、 『ニューヨーク・ニューヨーク』 (1977年)、『レイジング・ブル』 (1980年)、『キング・オブ・コメディ』 (1983年)、『グッドフェローズ』(1990年)、『ケープ・フィアー』(1991年)、『カジノ』 (1995年)といった同監督の作品に主演した。2012年にはイギリスのTotal Film誌の発表した「映画史に残る監督と俳優のコラボレーション50組」にて第1位に選ばれた[6]。現在企画中のスコセッシ監督作『The Irishman』にて9度目のコンビを組むことが予定されている[7]。2013年公開の主演作『マラヴィータ』ではスコセッシは製作総指揮を担当した。アカデミー主演男優賞を受賞した『レイジング・ブル』では体を鍛え上げボクサー役を演じた後、老いた主人公を演じるために体重を20キロ増やした。また、『アンタッチャブル』(1987年)においてはアル・カポネを演じるために頭髪を抜いている。このようなデ・ニーロ流の徹底した役作りはデニーロ・アプローチと呼ばれるようになり、彼の代名詞となった。出世作である『ゴッドファーザー PART II』をはじめ、『タクシードライバー』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『アンタッチャブル』、『グッドフェローズ』、『カジノ』など犯罪映画に多く出演してきたが、1980年代半ばからはコメディ映画などでも成功を収め、近年は『ミート・ザ・ペアレンツ』や『アナライズ・ユー』でコミカルな役柄を演じるなど幅広い演技力を見せている。1988年には、ジェーン・ローゼンタール(Jane Rosenthal)と共同で、プロダクション「トライベッカ (トライベッカフィルムセンター)」を設立。初監督となった1993年の『ブロンクス物語/愛につつまれた街』など、監督や製作としても活躍している。2013年には『世界にひとつのプレイブック』で11年振りにアカデミー助演男優賞にノミネートされ、60歳を超えてもなお精力的に活動を続けている。また、養女であるドレナ・デ・ニーロとは『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』(1997年)以降、何度か共演している。