boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

All over the world・common ground=国際式ボクシング・アメリカの思い出(チャべス・エスピノサ・パッキャオ)

みなさん 毎度であります。
ボクシングは地球上万国共通:
ーおそらくこのブログを開設して以来の傾向でみなさんには十分伝わったとおもいます。私は実に「ムラ」のある人間(だからこそ「プエルトリカン」が好きなのかも(笑)・「天才」でも「大口たたき」(日本時代や若い頃はそうでした(再び苦笑)ではありませんけど)。
ー例えば以前紹介した「北朝鮮」以外の社会主義国、「ベトナム」(1987年・故グエン・バン・リン書記長(ベトナム版・ペレストロイカ(ドイモイ(刷新)導入)すら「プロ」は存在します(アマでは「アジア大会」などで活躍)。
ーさらに「中華人民共和国」は周知のよう、北京五輪金メダルの選手もプロ入り後無敗?(でしたよね?)の快進撃(おもに「マカオ」(99年にポルトガルから返還)を主戦場にしている)を続けどんどん「世界規模」に発展しています。
アメリカ旅行とボクシングについて:
ー8月に一週間以前、18歳から20歳までを過した懐かしの街メイン州ポートランドに行ってきました。ジョーイ・ガマチェ(ルーイストン出身=アリがリストンとの再戦を初回右クロスカウンターの一発で制したゆかりの街)や古くはハグラー(そこから東海岸沿いに車で二時間南下・ボストンの稲妻)比較的新しくはナザロフであります(ガマチェを2回、豪快に三度沈める完璧なKO防衛)。
ー今回は中南米出身(グアテマラ・エルサルバドル)の多くの方と知り合いました。またアフリカ、ザンビアからの好青年もいた(古いファンなら「懐かしい」とよみがえるかも・唯一知っている著名ボクサーL・ヘビー級世界ランカーのロッテ・ムアレ(20連勝(15KO)無敗で往年の打たせて打つ’ミスター・エキサイト’と呼ばれた故マシュー・サアド(来日・リングスの田村に初回フォール負け)に挑戦(4回KO負け)・続いてもうひとりすでにマイケル・スピンクス(15回判定負け・8回、若きマイケルの「ジンクス」右ストレートが炸裂・すさまじいダウンでした)に負けていたエディ・ムスタファとの生き残り戦・4回KO負け(右で顎を打ち抜かれ骨折・再起不能で引退)のことを話したらやっぱ知ってました(ほっこり☆)
ーうれしそうに「Google」で調べてみて。今、「女性ボクシング」が盛んだから」(まだ果たせず)と表情が輝いていた。
ー中南米軍団には「チャべス」(ジュニアも)モラレス、バレラそれにキューバ、ガンボアやカサマヨールなどなど。おまけに怪人タバコをぷかぷかやらかす「リカルド・マヨルガ」みんなそれぞれのニックネームでジミー・レノンJR式に紹介してバカ騒ぎした(笑)。
ーこうして共通の土壌として国際的友好の「華」となるものボクシングの魅力でしょう。
フィリピン・エスピノサとパッキャオ:
ーこの間、パッキャオのフライ級時代。後楽園ホール「寺尾新」戦を考えていた(9回TKO勝ち)。長身ながらさえない中堅程度にしか見えなかった時代です。元アマのスター選手、ユーリに雪辱しタイトル強奪のチャチャイ戦もまさにノックアウトの瞬間までたいして目立たなかった(10回KO勝ち)。
ー方や、エスピノサは早くから注目されていた。フィリピン選手の特徴。黒人たちとはまた異なる。「瞬発力」(しかも豪快)だと思う。古くはハワイを主戦場にしていたビラフロア(柴田を再戦で初回ノックアウトで葬った・上原を二回で粉砕)またローランド・ナバレッテ(ミンダナオ島出身・ボザ・エドワーズ(ウガンダ・元アマスター)を5回豪快に沈めた(ひとたび爆発するや破壊力満点のものすごい集中連打)。
ー川島郭志からタイトルを奪った兄弟ボクサーのひとりジェリー・ぺニャロサ(タイトル喪失後、タイでのノンタイトル・元王者の山口を初回ストップ)など結構ないい選手ぞろいです。
ーエスピノサは全盛期を棒にふっためん少なからずで残念(フィリピンの経済力では一階級上の新しいタイトル戦は組めず)。バンタムでは「対脂肪率」まさに「4~5%」になるほど大きかった選手です。カオコーを不思議な初回KOに破り戴冠(あの試合はほんとうに今さらながらどのパンチが効いたのか定かでなし。でもカオコーは「アワ」を吹いてロープ際に深々と沈んだ)。初防衛戦はあのタノムサクを3回、矢のようなワンツーを命中させ吹き飛ばすダウン。15回判定勝ちで初防衛(タノムサクは常に一番強かった相手「エスピノサだ」といってました)。ハンサムな黒人、ハーリー・スニードをスピードとパワーで圧倒し7回TKOで2度目の防衛。
ータイトル喪失のコントレラス戦は2回に先制のダウンを奪う。続いてまた「瞬時・大爆発」でもう一度。そこでスタミナがつきてしまう。5回逆転ノックアウト負け。それからマネージメントやプロモーターの問題もあり、せいぜいメキシコでゴンザレスと戦った程度が目立った試合(初回、打ち下ろしの右ストレート一発で若きゴンザレスをダウン寸前に追い込みながら。2回KO負け)。
ー後に再び敵地(しかも地元)で痛烈なお返し。マーカンテレフェリーをして「世紀のノックアウト」といわしめたほど強烈な右連打で沈めた試合の痛烈な「瞬発力」「爆発力」を語れば伝わるかもしれません。無敗のサウスポースピードスターだったケビン・ケリー(42連勝(28KO))をダウン応酬の激闘の末、10回TKOで颯爽新チャンピオンに輝いたコブリータ・ゴンザレス(ムラがある選手・2度目の防衛戦でメディナに判定負け・41勝(33KO)3敗)は結局このダメージから回復できず中堅ファイターとして終わってしまった(後にライト級でスティーブ・ジョンストン(坂本選手に判定勝ちで防衛)戦は往年の元気はありませんでした・10回大差の判定負け)。
ー最後の見せ場は小泉氏から離れ「ルイシト・エスピノサ」に戻ったアメリカでの試合。ジュニア・ジョーンズを壮烈な逆転KOで破り健在を誇示したケネディ・マッキニーのラストファイト(試合前、完全になめていました)。初回にまた「大爆発」。マッキニーに猛連打を浴びせ先制のダウンを奪う。二回、大きな右のスイングを命中させ思わず横を向かせてしまう。後続のつるべ打ちでKO防衛。ちょっと日本のファンには遠くなってしまったのが残念でした。マッキニーは試合後完敗を認め「ただ左フックを振り回すだけのワイルドな選手にしかみえなかった。あんなにすごい右を持っていたとは驚いた」が感想でした。
パッキャオに続く:
次はパッキャオ・また再開しますね・アヤラ