boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

ボクサーと家庭内暴力について(DV ・Domestic Violence)

みなさん こんばんは、
なんかまた息切れしそうな気配。ですので是非、その前に取りくんでおきたい。
レナードの場合:
ーメリーランド州の地方都市近郊でうまれた。母親によると、静かで口数も少ない少年だったらしい。レナードはボクシングをはじめた中学生時代の最初のトレーナー。その男はジムにくる少年レナードに必ず性的虐待を加えていたという(「オラル・セックス」)。
ーレナードはモントリオール五輪の決勝後、引退を発表(ほんとうにやめるつもりだった)。ただ五輪中をはばかって伝えたなかった事実があった。特待生だった大学の級友で当時のガールフレンドだった。前妻ファニタ嬢が妊娠はしていた。
ーここでかなり悩んだそうだ。ただ選択の余地はなく、プロモーターと契約をむすびプロデビュー(その頃で約800万円のファイトマネー)。男児を出産(レイ・ジュニア)。
ーハグラー戦の後、前妻はレナードの家庭内暴力についてさる雑誌記者に暴露。離婚訴訟を起す。彼女によれば酒を飲んだときまた、麻薬(コカイン)使用時はよく暴力をふるったという。
ー記者会見がひらかれる。レナードはすべて認めた。同時にリハビリ施設で治療が開始される。悲しかったです。その後、20歳以上も年下の女性と再婚。2年前のわがカナダトロント近郊、スポーツイベントに迎賓としてきていた。もう暴力をふるっていないことを祈るしかない。
デラホーヤの場合:
ー彼が「暴力」をふるったとはいわれていない(時間があれば結婚生活について調べてみます)。ただ「アルコール依存」で引退後、リハビリ施設に入院したことだけは事実である。
ーデラホーヤは「リングに上がる前、恐怖を消すために飲んでいた」と認めた。続けます アヤラ
目次:メイウェザー、ガッティ、故バレロ、ガンボアなどなど・・・さびしいかぎり。