boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

Julian 'The Hawk'Jackson・「荒鷹」戦慄の豪打者・29連勝(27KO)無敗=55勝(49KO)6敗・St. Thomas・US・Virgin Islands+ネグロン及びベイビー・ジョーンズ(ラストファイト)戦追加

Julian Jackson (born September 12, 1960) is a former professional boxer from Saint Thomas, U.S. Virgin Islands who held the WBA light middleweight title, and the WBC middleweight title twice. Known as "The Hawk", Jackson is regarded by many as one of the hardest punchers in boxing history, pound for pound, and was ranked number 25 by The Ring magazine in a 2003 list of "100 Greatest Punchers".[1]
みなさん こんばんは、
ベンとマクラレンの記事がトップというのは本当にうれしい☆私の部屋は(副職は自己流ながら「画家」「グラフィックデザイナー」であります)各種専門他、「体の一部」=「拳闘」関連一色(なのは「おっさん」化してもいっしょ(笑)。毎日クォーティーからマクラレン、チャポなどを独自編集した「大版ポスター」に囲まれてるかび臭い地下室(苦笑)。
今回は題名、衝撃の初お目見えの一戦からはじめます↓
マッカラム戦:無敗対決26勝(23KO):
ーまず「文句じじい」から。「トランクス」は「対照色」であるべき。この一戦も「金・黄色」でみずらい。おまけに差別・偏見ではなく純粋に「ボクシング」の観点から。二人とも黒人ボクサーだからよけに不手際。せっかくの「スーパーファイト」が台無しになる。どうでしょう?
ーともあれ、ジャクソンははじめてみた。ゴングと同時に突進。そこへマッカラムの左フックがカウンターとなる。ほんとうに天晴れとしかいいようがない。マッカラムのナポレスを彷彿させる「柔軟性」(バターのように滑らか)。
ージャクソンはお構えなしにどんどん攻めまくる。豪快な左右フックをまとめ打ち。マッカラムはほとんど当てさせず。しきりに気負いこむジャクソンの出鼻に左フックのカウンターを浴びせ。ロープに詰めたら左右ボディーを叩き上にかえす。すばらしい。元アマ世界選手権制覇のジャマイカ人(後にアメリカに移住)マッカラムはすでにカルレ、マニオンなどを破りクロンクに一時期属していた。この当時は故ダン・デュバ傘下、ルー・デュバがコーナーにいた。
ージャクソンの迫力と豪腕に呆気にとられながら。二回、また左フックが炸裂。ジャクソンはガクガクと崩れ、しりもちをつくようにダウン。効いていた。立ち上がったらすぐロープに詰めてつるべ打ち。ジャクソンは防御勘はとぼしいにせよ。ガードは結構固い選手。空いているところ盲点、盲点を突くマッカラム。派手さはないけど、とりわけ「Body Snatcher」の異名そのもの。必ずあらゆる角度からのボディーブローを多用してから上にかえす。
ージャクソンまたダウン。立ち上がったところ滅多打ち。左右フックが顎を打ち抜き無防備。手が出なくなったところでストップ。マッカラムの快勝。2回KO防衛。ジャクソン初黒星。猛烈に抗議していたけど。あのまま続けても危険なだけだったろう。ただジャクソンが振り回すパンチの破壊力に痺れてしまった。
Pro career[edit]
Jackson turned professional in February 1981 and had many of his early fights in Puerto Rico, where he lived for a short period of time, and gained a shot at WBA light middleweight champion Mike McCallum in August 1986. Jackson hurt the champion on a couple occasions in the first round, but McCallum came storming back with a barrage that forced the referee to stop matters in the second round. After McCallum moved up to middleweight,
白仁鉄戦:
ー小泉師匠の「ボクシングにとりつかれた男」(氏直筆の「魂」(2)は「闘」というサインが私の実名といっしょに刻まれてます)によれば。この試合は一度流れた。白は「一升酒」らしい無類の酒好き。もともとJ・ミドルはきつくなっていた。キャンプ中に姿をくらまし。すごい体重で帰ってくることも珍しからずだったそう。「すみません。どうしても酒が飲みたくて」というところ。白はアメリカでのショーン・マニオン戦(マッカラムとの決定戦で負けた選手)で連勝ストップ(30連続KO・10回判定負け=往年のUHF「謎の」ボクシングチャンネルでみた)。ただテクニックに優れなにより「当てる巧さ」(的中率)に驚かされた記憶も新しい。
ージャクソンとの決定戦は、紆余曲折し結局当初の日程どおりラスベガスで行われる決定となる。延期の報以来、一気に体重が増えていた白は大急ぎで減量。なんとか軽量はパスしたものの。それで力尽きていたらしい。
ーアメリカでみました。むろん白を応援していた。ゴングが鳴る。ジャクソンが後ろに下がったり足を使ったりはこの一戦が最初で最後だったのでは?しかもサウスポーにスイッチしたりして慎重な立ち上がり。プレッシャーをかけてくる白を旋回しながら「捨てパンチ」で様子をみる(こんなジャクソンは今さらながらみたことない)。
ー試合後(3回KO勝ち・初戴冠)ジャクソンは「きつい試合だった」といっていた。それにしても残念。いつもの白、お得意の「当てる巧さ」や強弱をつけた強打の乱舞もみられず。いいところなかった。2回にジャクソンの豪腕が火をふいた。痛烈な左フックを浴びせ白は吹っ飛ぶようにダウン。立ち上がったところにいつものジャクソン「荒鷹」よろしい重々しいパンチが猛威をふるう。
ーまたロープ際で横倒しに倒される。ストップ。ジャクソン、見事な3回ノックアウトで初の王座に。複雑な気持ちながら。健闘を讃えあう両者。二人とも紳士。ジャクソンはインタビューでも笑顔で謙虚に語る選手。欲をいえば、後にハッチングス(9回、ものすごいKO劇)やオベル(11回こちらも白の当てる巧さ、強弱の連打が圧巻のノックアウト)戦ぐらいの調子でジャクソンとアメリカで再戦してほしかった。また再開しますね☆アヤラ
Jackson got his second shot at the now-vacant WBA title in November 1987 against Korean In-Chul Baek, winning in three rounds. Baek would go on to win the WBA super-middleweight title a year later. Jackson made three defenses of his crown, against former IBF title-holder Buster Drayton (TKO 3), Francisco DeJesus (KO 8), and future three-time champion Terry Norris (TKO 2). All these defenses were won with a single knockout punch.
Jackson then vacated his crown, moved up to 160 lb (73 kg), and was matched against Herol 'Bomber' Graham for the vacant WBC middleweight title. Due to Jackon's retina damage which had required surgery, the British Boxing Board of Control didn't allow him to box in the UK, so the bout was held at Torrequebrada Hotel & Casino, Benalmádena, Andalucía, Spain on 24 November 1990.Graham was putting on his typical savvy performance against Jackson: countering, slipping, and dancing out of the way. After being consistently beaten to the punch for three and a half rounds, Jackson unleashed one of the great right hands of boxing. Unconscious before he hit the canvas, Graham was revived only after five alarming minutes.Defenses against Dennis Milton (KO 1), Ismael Negron (KO 1), and Ron Collins (TKO 5) ended quickly, but Thomas Tate would make Jackson work longer and harder in their August 1992 encounter – Julian had to go to the scorecards for the first time in a title bout in winning a 12-round unanimous decision, scoring a knockdown along the way. At this point Jackson was in the middle of the pound-for-pound rankings.

ドレイトン戦:
ードレイトンはフレディ・ペンデルトン(元ライト級王者)とタイプは異なるにせよ、似たような背景の選手。負けが込んだ中堅選手からクリント・ジャクソン(モントリオール五輪銅・サウスポーの強打者・36勝33KO3敗?)を3回ノックアウトして突如開眼(この試合も往年の「UHF」’謎の’チャンネルでみた)。
ーとにかくパワーヒッター同士の強打戦。一歩も引かない破壊力の総決算。3回ジャクソンの左右フック(一発一発力をこめて叩きこむ「重々しい」パンチ)からの左フックが炸裂。ドレイトンは一瞬おいてちょうどベンがワトソンにKOされたとき。よろしくフワッと浮かぶように無重力になり後頭部から横転。立ち上がれなかった。ジャクソン改心の3回見事なノックアウト防衛。
ードレイトンはプエルトリコのサウスポー巧打者カルロス・サントスに15回判定勝ちでIBF王座についた。ヒルトンに15回判定負けで王座喪失。たしかにもう下り坂だったにせよ。豪打は健在。しかもスイッチヒッター(故デュアン・トーマス(傷のTKOとはいえ強豪を破った)、故デビー・ムーア(11回、すさまじいノックアウト防衛・いい試合でした)。
ージャクソンとは本当に一発一発交互に放ち当てあう。まさしく「パンチ力」の対決の様相。2回ぐらいからだんだんジャクソンの方が優勢になる(一発パンチはジャクソンの方がはるかに勝っていた)。ジャクソンのパンチは切れ、スピードというよりとにかく力強さは圧巻。あらためて当時のミドル級、層の厚さを痛感した試合でした。
This would lead to his showdown in May 1993 with another big hitter, Gerald McClellan. This time the challenger prevailed, flooring Jackson twice in the fifth round. The second knockdown prompted the referee to stop the fight, after Jackson made it to his feet yet remained unsteady. Jackson had another shot at the title in May 1994 in a rematch with McClellan. Jackson was hurt and put under heavy pressure by McClellan very early into the first round, and was dropped by a left hook to the body after 65 seconds. The referee counted Jackson out as he rose to his feet. After McClellan vacated the title to move up to super-middleweight, Jackson would have a second but brief reign as WBC middleweight champion, beating the previously undefeated European champion Agostino Cardamone in March 1995. Jackon had a shaky end to the first round, during which he was hurt and put under pressure until the bell by Cardamone, who wasn't considered a hard puncher. In round two however, Jackson again showed his punching power by suddenly dropping Cardamone heavily with a short right hand. Cardamone managed to make it to his feet but remained badly shaken, forcing the referee to stop the fight. Jackson lost the title in his first defense against Quincy Taylor in August of that year by a sixth-round stoppage in a fight where Jackson looked a shadow of his former self. Jackson would have four more low-key victories, before ending his career with losses to Verno Phillips and Anthony Jones, both in nine rounds, in 1998
グラハム戦:ミドル級王者決定戦・二階級制覇:
ーちょうど私がアメリカについたばかりの頃。往年の「リング誌」予想されるタイトル戦の論評コーナーがあった。とりわけミドル級は「戦国時代」の様相を示していた。レナードが統一タイトルを手にしたのに呆気なく返上。
ーそこでは「オラジデVSロルダン」(2-1でオラジデ=もし本当にやっていたらロルダンがノックアウトしていただろう)そして「グラハムVSバークレー」(3-1でグラハム=これはどうだったか。バークレーが変幻自在に空振りさせられたと思えないこともない)。グラハム(29連勝(15KO)無敗・ハメドの先駆者)はカランベイにまさかの10回判定負けで退いた。終わってみれば「一番」期待されてた選手はことごとく脱落。ボクシングの「仮想対決」はむずかしい。
ージャマイカ系イギリス人のサウスポーグラハムは一発の破壊力はない。しかしよくおもしろい姿勢でおもしろい角度からいろんなパンチを繰り出してくる(ハメドより、ふつうのボクシングだったけど)。
ー4回までジャクソンはいいように打ちまくられていた。手数もだしようがない。そこへ起死回生の豪腕右フック一発。カウンターとなってグラハムは仰向けに横転。そのまま10カウント。見事な二階級制覇。新たなジャクソン時代の到来。
ミルトン戦:
ー私はカナダ人です。それはおいてもアメリカ当時から「リングのマイケル・ジャクソン」と呼ばれたオラジデ(連勝中23勝(17KO)無敗)が大好きだった。ハンサムな貴公子(ナイジェリア二世・バンクーバー育ち・今「邦人女性行方不明」で有名になったところ)でニューヨークを拠点に一時はタイソンといっしょ。ヒルトン兄弟やハムショ(スパーはすごかった)とともにカス・ダマトのキャットスキルジムで練習していた。
ーテート(2-1でオラジデ有利の賭け率・蓋をあけてみればテートのワンサイド。2度ダウンを奪われ大差の15回判定負け)そしてバークレー(ダウン応酬の生き残り戦。5回TKOで敗れた)戦以降、もう峠は越えていた。ミルトンとのノンタイトル戦。10回までリードされていながら終了直前にオラジデ得意の左フックがカウンターとなってゴング後にノックアウト(勝ちは認められず・10回判定負け)。
ーミルトンは若きマクラレンにも10回判定勝ち。しかしジャクソンにかかれば初回でぶっ倒されてしまう。ゴング後、しばらくしてからジャクソンの叩きつけるような右フックがテンプルに炸裂。一気にふらついたところにまた右フックが顎をぶちぬき。仰向けに横転したミルトン。10カウント。ジャクソンの快勝。初回ノックアウト防衛。全盛期でした。ジャクソンの出身地バージン諸島は独特の「宗教」を持つ(ブランブルは同僚)。往年の「ルービック・キューブ」色みたな帽子をかぶり蛇を首に巻いていたりと興味信心である。
ーあの、ノックアウト勝利のあと。膝をつき腕を天にあげ神に祝福と感謝の祈りをささげる(タイソンも一時期やっていたがあれは「黒人回教団」(イスラム教の分派)。根底にあるものは異なる。
ネグロン戦:WOWOW城戸真亜子女史ゲスト:
ーこの試合は両方でみた。特に芸術家の城戸女史がすばらしいデザインの作品をスタジオにプレゼントしてゲスト。だからジャクソン、本領発揮して欲しいな。願っていたらそれに答えてくれた(笑)。
ー一番わかりやすいのが「ノックアウト」それも「初回」で倒すほど一般の人に印象と衝撃を与えるのもないだろう。
ー初回ゴング、いつもとおりガンガン重たいパンチを振り回す。左フック、顎に一閃。グシャッと潰れるようにダウン。そのまま10カウント。城戸女史が呆気にとられていたのが微笑ましかったものだ。
ー浜田氏がいう「全部倒そうとするパンチ」まさしく。↑の白戦はその面でも貴重な一戦だったとあらためて思う(しかも東洋の選手)。
Life after boxing[edit]
Julian Jackson joined the ministry, living in St. Thomas, Virgin Islands. He continued his involvement in the local boxing field as a trainer and coach. He has two sons who are also top-ranked boxers. Julius Jackson, a former Olympian, is currently professionally fighting at super middleweight with a record of 19–1 (14 KOs) as of 8 March 2016. Julius previously held the WBC–USNBC Title and the WBA Fedebol title. John Jackson, also a former Olympian, fights professionally at light middleweight with a record of 20–2–0 (15 KOs) as of 8 March 2016, and was ranked 2nd by the WBC at light middleweight (8 March 2016).
トーマス・テート戦:倒せず・連続KO15でストップ:
ーテートの兄はフランクだ。それにしても本当に「兄弟ボクサー」の多さに今さらながら驚いてしまう(これは世界中どこでもおなじ)。
ー兄ほどの才能もなければ、パワーとスピードもない。ただジャクソンにとっては一番苦手とするタイプ。ストレートパンチャーで足も速い。あと、やはりジャクソンはミドル級では小さいのかもしれない。パンチは当たっているけど追いきれなかった。あと、この試合辺りからやや衰えが出たのかな?この試合の後、負傷のため一年のブランク。そしてマクラレンとの二戦を迎える。
ー全然スタイルはちがうにせよ。ちょうど連続KO防衛を9でストップされたクエバスを思いだした(ランディー・シールズを終始ロープに詰めながらも回り込まれ。応戦されKOを逃した)。
カダモーン戦:最後のタイトル奪回:無敗のイタリア人をノックアウト:
ーこの試合がジャクソンのキャリア、最後の輝きとなった。マクラレンに完敗。再戦でも初回KOで負けたジャクソン。試合後のインタビューでは「ミドル級では小さすぎる。3回食事をきちんととり、量を増やしてもまだ足りない。だからJ・ミドル級に戻ることにする」こう公言していた。
ー試合は、ジャクソンはもう峠を越えていた。初回からサウスポーの挑戦者に射程外からストレートを放たれ追いきれない。翻弄されていた2回、ジャクソンが一瞬の隙をついて軽く振った右フックがもろに顎に当たり。ダウン。そのまま立てず。呆気ない終わり方でふたたびチャンピオンへ。ただ次のテーラー戦はいわゆる浜田氏がいうところの「ドスン」パンチに過ぎず。ドスンドスン当たっても全然効かない。
ーそれが最後の三連敗。バーノ・フィリップス戦と、元J・ウェルター級のベイビー・ジョーンズ戦(ラストファイト)まで繋がるさびしい最後だった。
クインシー・テーラー戦:
ー忘れもしないタイソンの復帰戦のセミ(マクニーリー戦)。試合前の記者会見で元ライバルマクラレンのことを盛んに訴えていたのが嬉しかった「彼のことを忘れないでください」。これこそ「拳友」の手本といえるだろう。
ーただ、もうジャクソンのパンチは威力がなかった。サウスポーのテーラーは実力派。うまいしパワーもある。いいところなく打たれ。もともとよくない防御に加え。「ドスン」パンチそのもの。派手な音はでるけどむかしの破壊力はなく。当たってもあんまり効果がなかった。
ーテーラーは案外長期王者になるかな。思いつつ初防衛戦で自分より手足が長くて背が高いホームズにいいところなく完敗。KOで王座陥落はこれまた。ボクシングの厳しさなんでしょう。テーラー6回TKOで戴冠。
フィリップス戦:
ーロッシ(この選手は「打たれて」クリンチというより「打つために」クリンチ)に負けて王座転落後。長らくブランク。再起を目差した元J・ミドル級王者ルペ・アキノのロードバックに起用された若きフィリップス。アキノの強打は健在だった。前の試合では衰えたりとはいえ故デビー・ムーアを9回ノックアウトで破っている。
ー中盤まで一発の破壊力で勝るアキノの力強さばかり目立っていた。ただフィリップスは見かけより頑丈。それにしぶとく打ち返し形勢逆転。ノックアウトでアキノを破る金星。
ージャクソンはもう引退間近の元王者。面影はなかった。テーラー戦と感じはいっしょ。激しい打ち合いでパンチも当たっているのに威力がない。一方、フィリップスの強打はがら空き防御のジャクソンにしこたま命中。むかしのジャクソンだったらあれだけ打ち込めば倒せたはず。
ーむかしカリーのときも書いたけど。晩年の元スターたちは(レナードもにたようなもの)「パンチ」が効かなくなる。そんなところでしょうか。
ベイビー・ジョーンズ(ラスト・ファイト):
ージョーンズというのもしぶとく息が長かった選手。スイッチ・ヒッター、J・ウェルター級のクロンク時代は遠い昔。決定戦はロサリオ相手に優勢で試合を進めながら、6回一発の右クロスカウンターで引っくり返された試一戦も懐かしい。その後、ウィティカーに判定で敗れた(クロンクを離れる)。
ーJ・ミドル級ではカンパスにいいところなく2回で倒された。ジャクソン戦はみたような覚えもあるけど。あまり覚えていないのが本当のところ。ただ、ジャクソンに昔日の面影なし。ちょうどレナード対カマチョを彷彿させた余計な一戦だっただろう。
ーファイターは常にくすぶりよくこうした一戦を加える傾向いかんともしがたく。まさかむかしのKOパンチャーだとは信じられないくらいパンチが効かない。ジョーンズはがら空きの防御を突いて変幻自在にスイッチして打ちまくっていた記憶がある。
ーフィリップス戦につづいて6回。倒されそのままストップされてしまう。お疲れ様でした。ひとこといいたかった。