boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

追悼モハメッド・アリ お疲れさまでした

またまたです。参考までに。


アヤラ

ボクシング、これは毎日の「10%」を占める。

ただここは「同人誌」ページではないので、マニア(ヲタ)的なことは書かないよう気をつけます。

活動家として:

モハメド・アリ(本名カシアス・クレイ・ケンタッキー州ルーイビル出身)。ボクサーである以上に「活動家」であり「社会運動」の闘士。「公民権運動」(キング牧師やマルコムX、ジェシー・ジャクソン師も)。

「人種差別」と戦った生涯は、他の著名人たちと似たようなもの。世界中に支持者がいる。マンデラ氏やズズ主教または、マイケル・ジャクソンやプリンスなどとも思いあうところはあったでしょう。みんな「迫害」と「貧困」にさらされた(ただアリは中上流階級の出身。恵まれた家庭環境・坊ちゃん型)。

決定的な「アメリカ」との対決は、「ベトナム人を殺さなきゃいけない理由がない」と宣言。徴兵拒否からはじまった。有罪判決・禁固刑(牢獄入りこそまぬがれけど、ボクシングはできなくなった。25歳から30歳まで、油ののりきった全盛期。


宗教「黒人回教団」(教祖イライジャ・モハマド、78年死去・マルコムXもここ)、破門された(マルコムXは、その後暗殺された)あとはボクシングに専念)入信の記者会見。「カシアス・クレイ」という名前は奴隷主がつけた名前とした。


イスラム教に改宗(キリスト教から)。名前を「モハマド・アリ」に変更。


彼は「黒人たちのため」「アフリカのため」「南アフリカの黒人たちのため」「人種差

別・偏見の被害者たち」「貧しく保護もないこどもたち」


「寄付」を惜しまず、「ホラ吹きクレイ」のおしゃべりはあくまで表向き・宣伝。真の表情は厳しく、あまり多くを語らなかった。


ボクサーとして:

天才。一つの「型」を作った(多くの黒人ボクサーが模擬した。日本では辰吉選手など)。「蝶のように舞い鉢のように刺す」。スピードを重視し、ストレート攻撃を中心にどんどん手を出す。速くて強い。得意としたコンボはワンツー(左右で前のめった相手に下からこすりあげるような閃光、左フックのダブルさらに連打)ガードを下げて足を駆使する。「デカイ奴の殴り合い」的色合いが強かった「大男階級」、アリが革新の清風を吹き込んだ。

19歳でローマ五輪(1960年)ライト・ヘビー級金メダル・アマで200戦・21歳で王座に就き39歳のラスト・ファイトまで通算59戦54勝(37KO)5敗・デビュー以来31連勝(26KO)・第一期(25歳まで・9度防衛(5KO)・第二期(30歳から10度防衛(3KO)通算19度(日本最高具志堅12度)。

ただマンデラ氏(27年間の刑務所生活)・マザー・テレサ・「ヒロヒト」氏・・・

(~_~;などともに「長寿」で人生は悪くなかったと考えます。

生涯稼いだお金は今になおして「200憶円」くらい(の50憶円が手取り)。大いにしゃべったし大いに遊んだ。ただ練習はまじめにこなし、ロードワークも欠かさない。

アリほど防御感がよく(紙一重で見切り、上体を動かし目でよけるタイプ)まれな神童。戦った相手たちのレベル。超世界一ばかり。パンチの強烈さたるや、すさまじい一級品ばかり。かなり打たれたし、顔も腫れた。「パーキンソン」を発病しても何ら不思議はない(また本人も覚悟してのこと・ちなみによけかた。「ブロック」「ガード」パンチを弾き返す防御報方がもう一つ)。

この辺でしょうか。

70~80歳まで生きら幸せだったと思います。いつも気を必要以上に引かれてしまうのはボクシングだけに限らず。不幸な病死、若い命悲劇的な死、生き残ったけど障害者などなど。

番外編・G-man from イリノイ州フリーポートからデトロイト:

すでに亡くなったデトロイトを本拠地とする「クロンク・ジム」の師匠黒人元アマチュア王者。トレーナーやマネージャーとして活躍。2012年、68歳で病死。数多くのスター選手を生み、世界中飛びまわった。

アリ戦法とは違う型で黒人の長所を最大限有効活用。長い手足。強くて速い左ジャブ、ストレート。相手の射程外からどんどん叩き込む。アリ型と決定的に異なる相違点。執拗にボディ攻撃をまじえる。連打にも必ず組み込む。これは本当に有効で強烈。だいたい長身の戦慄パンチャーが多い。初回、2回で倒す短期決戦型。その中に一人、

さるミドル級(72キロ)無敵王者がいた。アマでキングスカップ・ゴールデングローブ王者・プロ31勝(29KO)2敗。

初回ノックアウト勝ち20回。14連続KO勝ち中。三度の防衛をすべて初回で片づけ。その悪夢のイギリス・ロンドン。敵地の一階級上チャンプ。初回30秒でとらえ、リング外に叩きだした。


ここで問題が起き、地元の声援により立ち直られ猛反攻を食らう。8回もう一度倒しながらも10回。逆転KO負け。1994年・それがラスト・ファイト。


コーナーで座り込んでしまい、意識を失い担架で運び出された。救急車。脳内出血。手術成功・でも脳漿の半分は死滅し、自分の名前すら覚えていない(完全に視力を失い車椅子・聴力80%喪失)。残っているのは生来のユーモアだけ(看病・介護する姉の言葉)。2011年、試合後初の渡英。ライバルと再会(姉に告げられて**、You almost killed me(冗談っぽく・・・tell him not to sorry・・・もちろん本人は覚えていない。姉から伝えられただけ)。涙を流した。


そのままロンドンで、功労を讃える記念イベントに出席。車椅子の姿が痛ましかったけど、「同人誌」にどんどん突きすすんでるので歯止めを(^_^;



アリは偉大な人生をまっとうした。「人種差別」断じて許せない。「人類平等」。


またまたありがとうございました。