boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

幻のスーパーファイト・マクラレンVSジョーンズ

アマ時代の2人:


マクラレンがゴールデングローブ大会で判定勝ちしてます。ちょうどプライヤーがハーンズに故フォレストがモズリーに(プロの直接対決でも2連勝)。


ちょうどジャクソンをノックアウトして戴冠した当時、精悍なマクラレンと笑顔のジョーンズが握手してる写真があります。


ジョーンズはホプキンスとの接戦(強打者同士の警戒しあい。後半はホプキンスの猛攻にたじたじあった)で株を落としていた頃。


でも総括してみると「アマ時代」はそれほど当てにならないだろう。五輪では楽勝したフランチェスコ・ダミアニに金メダルのビッグスはいいとこなく5回ストップ負け。W・ゴメスをミュンヘン五輪予選で初回で沈めたD・ホームズ。プロでは初回、二回と強烈な右ストレートがゴメスを打ち抜いた。自信過剰なのか。スタイルが雑になり、よくパンチを食う突貫ファイターに変貌していたゴメス。


しかし終わってみれば8度倒された完敗。タイソンに二連勝したティルマン(ただこれはあまり参考にならない。さらにタイソンはダマトスタイルを離れ。ティルマンはJ・ヘビー級からの水増し。バート・クーパー、ホリーフィールド、アマ時代には楽勝したウィリー・デウィットにも負けて噛ませ化していた当時)。それでも初回、ホリーフィールドを何度かたじろがせた同じ右ストレートのカウンターをタイソンはもろに浴びていたが・・・。ダマト時代なら考えられないさえない試合。バランスも悪くジャブも出ない。頭も振らずに右をふりまわしたのがたまたま当たっただけ。一発パンチの威力だけでねじ伏せた一戦。


例によって脱線しました(苦笑)。


私がよくみる一戦にソウル五輪準決勝のボウ対故ミロシニチェンコ。初回ダウンを奪ったけど、2回からボウが攻勢に転じダウンを奪い返して判定勝ち。


日本ではユーリたちより一足おくれてデビュー。けれどもヤコブレフなんかよりよっぽどプロ向きだった(大物食いで鳴ったロス・ピュリティーにもミロシ二・アレキサンダー名で楽勝している(一方ヤコブレフはその後ルイス戦まで17連勝(16KO)を記録するライオネル・バトラーに一方的判定で敗れて底をみせてしまった)。


マクラレン(まだプロ入り後からそれほどたってない時期)とハーンズの親善スパーリングを見た。


おなじジムの兄弟弟子でもずいぶんスタイルが違うな。とびっくりしたもんだった。


マクラレンは左ガードを特有のフリッカージャブ用に下げない。まっすぐ力強いストレートを放つ。


ハーンズのような足腰のひ弱さ、バランスを崩すといったこともない。どっしり構えたパンチャーだった。



筋書き通りなら・・・:


やっぱりスチワートと仲たがいしたのが大きい。これはクロンク生えぬきのG-manはともかく、デラホーヤやハメド、オリバー・マッコールなどからもでた文句。


あんまり時間を割いてくれないわりにはマネージャー・トレーナーの取り分が多すぎる。


たしかにスチワートはフレディ・ローチと並んでいそがし過ぎる売れっ子トレーナー。ルイス、チャべス、ジャーメイン・テーラーやクリチコ・・・。


スチワートはそうした不平不満に対して「


「トミーがそれで満足してたんだから、問題ないはず」。


マクラレンの事故12年後の特集番組。スチワートが病死する少し前。


「ジェラルドと私は分かれた。彼はマネージャーやトレーナーがいなくても生きのこれると確信したからだ・・・この話はもういい。誰でもある人生の一幕だ・・・彼は自信過剰になっておかしくなってしまった・・・」


とインタビューをとりやめて去ろうとまでした。


ベン戦は掛け率「13対5」。さらなるビッグファイト、スター対決への単なる通過点程度に考えていたマクラレン。


ベンは強打者だったが一階級上げてから往年の突貫パワーがおとなしくなっていた。ユーバンクに負けてから転級後は、5勝(1KO)。23連続KO無敗でワトソンのタフネスを打ち破れず初黒星。あの頃は右フックを立て続けにふりまわして、ガンガン初回から猪突猛進。


一応防衛は重ねていたがバランスがよくなり、パンチも性格になった。一面凄みが失せ戦績は40勝(32KO)2敗1分け。対するG-manは32勝(29KO)2敗 3度の防衛をすべて初回KOで片づけ。14連続ノックアウト勝利中。


案の定、初回わずか30秒でベンをとらえリング外に叩きだした。しかし敵地ロンドン。衰えたウガンダ出身のムガビと異なり地元の英雄「暗黒の破壊者」相手。


スチワートがいれば、初回KOを逃した後もベンの逆襲にたじろぎ。そのままズルズルと臨機応変の転換もできないまま回を重ね。あの惨劇へ・・・。


スチワートは「彼は本質的に一人だった。全部自分で決め己で選択していた。ただそれは彼がきめたことだ・・・もし私がいっしょにいたらおそらく悲劇は起こらなかっただろう」。


悲しく辛そうな表情で語っていたスチワートが忘れられない。


もしジョーンズ戦が実現したら:


あの時点ならG-manの方が有利だった気がする。ジョーンズは間合いに入れないうちに速戦即決の強打をまともに浴びた可能性も高い。仮に例の豪快なおおぶりスウィングを放ったところで、マクラレンはみかけ以上にタフだった。


ジョーンズが勝つ展開は思い浮かばない。あくまでスチワートがコーナーにいたらの仮定となるが。


マクラレンが帰国して自宅に戻った時。まっさきにお見舞いに行ったのが故フレージャーと、往年の白人ホープクーニーだったのに驚いた。そんな一面もある男だったとは。


姉の話では、ジョーンズはじめクロンクの元同僚たちハーンズ、モーラーなども献金に励み。「治療」「介護」の資金はそれでまかなえていると感謝していた。


ただ「病人」のお世話だけ足りるだけなのは心にとどめるべきかもしれん。


あ~あ、マクラレン、俺はじめアンチだったんですよ。強過ぎて。好みのムガビやジャクソンがどんどん薙ぎなおされて。


みたかったですねジョーンズとの対決。


また書きます アヤラ