boxingmaniaayalaのブログ

ボクシングマニア・悪童アヤラのページ

下の参照がわかる方にお勧め。

The G-man from Freeport Ilinois USA

Kronk Gold G.M 31W29KO3L His last fight at London in England/1995 He was 27.

速戦即決の「初回KO」男、G-man、We won't forget you☆忘れないぞ!!

ボクシングマンガについての毒舌・改訂版

おそらく「森川」氏の場合「カマトト」なんでしょう。知ってるけどあくまで娯楽「マンガ」の趣味分野読み物ですので。アヤラ
イチイチ「娯楽・フィクション」「趣味マンガ」にナンクセをつければ。これまた2~3冊の本になってしまうのは「歴史小説」といっしょ。
ーそれに「文句じじい」のイチャモン類をやらかす気は毛頭ないのをはじめに☆
影響力が一番大きい二つに絞って今回は、

追加:アメリカからも時間あればまた☆8月2日午前12過ぎ。わたしの「ボクシングキャリア?」=’ナンチャッテ’ていどでしょう(苦笑)。結論から。(13歳・アマ日本2戦2敗(2RSC)。スタミナ切れでわざとたおれた。会長には見破られて。無言。怒気だけで拳王の「オーラ」まさしく。明治人の元格闘家(当然面識はあった「大山倍達」の「真髄」大和魂の日本人版みたいな偉人であった)。後述する亡き「先輩」(地元だし偶然渋谷とか新宿や電車の中であった。唯一私を覚えていてくれた人。アメリカ:18歳。ジムに住み込むドミニカ系(21歳・キックと兼用)とメキシコ系(20歳・アマボクサー)。二人とも二世。やさしい韓国格闘技オールマイティー(崔氏・もたずねる・空手からキック・テコンドー・マーシャルアーツ・ボクシング・なんでも)輪島氏は友人だといっていた。親友だという柳済斗氏」そのときは「英語全然わからず」わたし(18歳)・韓国式(いずれ詳しい比較を)を伝授された。仕事がいそがしくてまだ「いいかげん」さが残ってた時代。たまにしかいかず。でも「スパー」「試合」にはでれた。結果:=アマ2戦2敗(2KO負け)・ナザロフが地元スターガマチェを2回KO防衛とおんなじ会場内)=(~_~; つまり私は「1勝」すらしていない(苦笑)結論:ちなみに、いまのわたしなら「11歳」「18歳」の若き自分なぞ。わずか「5秒」。一発でノックアウトできる。平和祈願☆
れわれ世代であれば
「あしたのジョー」「がんばれ元気」「タフネス大地」「リングにかけろ」
そんなとこでしょうか?あと
、「翔んだカップル」(2作)「映画」で鶴見慎吾(ボクサー)・薬師丸ひろ子共演・・・もありましたが、いつのまにか熱血ボクシングマンガに・・・(この作者が一番「ふつうのボクサー」を描いていて。真実に近かったとおもいました)。後に参照する拳も鋼鉄なみの「一歩」選手などと違って拳の負傷のため世界ランク入りまでしていながら。再起不能引退に追い込まれサラリーマンに戻る。おまけに美人の恋人にもふられる(感動的な話でした)。今はなんといっても「はじめの一歩」となりましょう。
影響力が一番大きい何作かに絞って今回は、
1「あしたのジョー」
ークロスカウンター。ジョーのは「相打ち」(肉を切らせて骨をたつ)で「4倍の威力」とか。ウルフ金串の「ダブルクロス」だと8倍。「トリプルクロス」だと「12倍」・・・。
ーこんなことはありません(原作はちばてつやじゃなく、「ホラ吹き」「誇張」「でっちあげ」でしられる高森朝雄(梶原一騎)でございます(かなりちば氏ともめたとか)。
「巨人の星」(「愛と誠」マンガ)は梶原氏の原作そのもの「ジョー」はちば氏独特のユーモアがもりたくさんークロスカウンター。相手のパンチをかわして、打たせずに当てるからこそ「必殺」のカウンター。「クロス」に限らずどんなカウンターでもある。「ボディブロー」のカウンターも。
ー両手ぶらりで打たせて打つ。おそらく3~4戦でジョーはパンチドランカー間違いなしでしょう。「打たせないで打つ」これが鉄則なんです。打たれればハードパンチの一発屋。強敵であればあるほど痛んでしまう。
ー「10階だて」くらいの新築近代化「白木ジム」はさておき。「日本ボクシング協会」もおんなじような巨大ビル。記者団が入り口に常駐。
ー「100%」梶原氏のでっちあげ。妄想です。水道橋後楽園ホールの側。オンボロビルの通路の一角にある「ほったて小屋」が「協会・コミッション」であります(あるいは変わってるかも・ただ梶原氏のような「おおがかり」はうそっぱち。
ーさらに「原作」では、ジョーは死なずに廃人となり「白木葉子」(ジョーにコクった)の豪邸でゆったり隠遁生活を過ごす設定に・・・ちばが猛反対。「燃えカスなんか残ってない」世界戦を終えて。「燃えたよ。まっしろに燃え尽きた。まっしろな灰に」になった(しかも重症「パンチドランカー」・まさに「死」を覚悟して挑んだ打ちつ打たつ。双方何度もダウンしあう大激戦)といいながら生きてるのはおかしい。梶原もしょうがなく妥協したとか。
ー「東洋チャンピン」や「世界戦」を控えたランカーが試合目前に。「スパーリング」(ホセやカーロス、金はいっぱいやっとるのに・ジョーだけ)をほとんどしないのもありえません。だいたい「100R」が最低平均。
ーあと、あんなにゲロが出るほど試合前に食って飲んでたら、すぐ腹が痛くなって動けなくなる。ボディーを攻められたらイチコロ。 こんなとこでしょうか。
2、「はじめの一歩」
ージャブだけだろうと左右両方だろうと「葉っぱ」をあんなにつかんだりは「タイソン」や「デラホーヤ」「西岡」でもムリ。
ー普通のスポーツ用品店に「ボクシングシューズ」なんて売ってない(どころか関連は何ひとつありません。グローブはおろか、バンデージもマウスピースも(売ってるのは渋谷の「センタースポーツ」だけ・でも今は「通販」もあるから多少は違うかな)。しかも「宮田」くんがパンチャータイプの一歩に合った「ファイター用のシューズ」を選んでくれる(そんなシューズも特注でもしなければ存在せずです)。
ーあんなに一日中練習して、何回も「ロードワーク」になぞ奔走したらオーバーワーク(練習不足とおなじ悪影響がでる)。だいたい一日の練習は多くて「3時間」少なくて「1時間半」くらいが平均。走るのも日本選手は90年代ごろまでは「30キロ」「20キロ」(浜田、具志堅、大橋、平仲、竹原、畑山、井岡・・・みんなそんぐらい)。
ーアメリカ、例えばタイソンは「5・6キロ」。他の名王者もだいたい「4~6キロ」で切り上げます。
ーカウンターに勝る「カウンター」ってのでアゴがぐしゃぐしゃにぶっつぶれる。これも実行は不可能。仮にそんな感じであたったところで、急所だったらふらつく、ダウンする。そんなくらいでしょう。
ーキャンプでシャドーボクシングを「5セット」(そもそもそういう形でやることなどありません)=1R3分(休憩1分)=25ラウンドもやる選手など(また指導者が許可)ありえません。それに「キャンプ」とはあんなわきあいあいしたものじゃない。ボクサーは仲間がいても「孤独」「一人の戦いなんです」。
ー拳を骨折(ひび)したのを試合前に知っていて「麻酔薬」でやらかすなどムチャクチャ。「拳が潰れた」(とくに一歩選手のような「豪打者」なら余計に危ない。再起不能になる確率も高いはず)。
このくらいでしょうか。単なる「参照」と解説に過ぎません。
「ファイトマネー」について:
ーよくチャンピオンになったら一生遊んで・・・と尋ねられるがありえません。
しょうがないことながらよく誤解されているので参考までに。
1、4回戦なら手取り「4~5万」・日本王者ならよくて「30~50万」・東洋王者(それより低い場合すらある)・世界王者(階級と相手は誰か?どこでやったか?全部異なります)。「世界王者」でも軽量級ならよほど何回も防衛しなればお金はもうからない(下に詳細)2、アメリカの例(ヘビー級)・タイソン対ホリーフィールド第二戦・前者手取り「20億円」後者「30億円」。前座に出る軽量級王者たちはだいたい「500万から2千万」くらい。タイソンが稼いだ「手取り」はおそらく「200億円」くらいだとおもいます(それを全部使い切って「借金」に負われてるのも信じがたく悲しいですが=今でもドサまわりのような「観覧試合」(Exhibition)にでて小銭稼ぎに忙しい。残念な限り)。ホリーフィールドもほぼ同額くらい(こちらも離婚や養育費でもめてるとはいえ。敬遠なカトリック教徒の氏。たんまりお金は残ってるのは間違いないでしょう)。PS:ルイス対タイソンはルイス約「40億円」タイソンも「35億」でした3、「世界チャンピン」になっても「防衛」を重ねないとおカネは儲かりません。特に日本選手(特に日本・主要三団体(WBA・WBC)しか認めず。
IBF(84年から)に移った選手は「ライセンス」が降りず「破門」同然となった)・日本は現在はIBFも含め「4」(WBO)も認可(一気に増えた・よく知りません)=かなり落ちます=1998・WBAから分離)は残念ながら「防衛」をあまりできない(前王者側に握られる面倒なマッチメーキングの権利。指名挑戦者やゴチャゴチャを片付けた。3~4回くらい目からようやくまとまったカネが入ってくる(それでも軽量級・しかも「日本開催」ですので。例えば具志堅選手は5度防衛まで。風呂なしアパートで「とんかつ屋」バイト。辰吉選手も初戴冠後、「サウナ」でバイト)。それでも多くて手取りにすれば初防衛戦で「100万円」6度目で「4~500万」?これは一概にいえませんので(あまりにも専門的過ぎます)PS:追加=たとえば輪島功一氏など当時の「J・ミドル級」(今とちがって小さかった日本人男。重量級は「戦艦」と「装甲艇」。だから当然「ファイトマネー」もけたがちがう。軽量級でも強豪と戦い防衛しているのではわけがちがう=もっともうかる)。輪島相手は相手も元五輪銀だの銅だの強豪ばっかり。そこで「6度防衛」(3KO)して合計三度世界王者になった。具志堅氏も出演してたバラエティー。輪島氏は「何億円かかしてはふみたおされた・・・」(両者、ほんとうの元世界での「戦士」たち。人がいいんですよ(特に沖縄・北海道だから)みんな素朴で寡黙(特に現役時代は)。引退するとほんとうに人間がかわる(体型だけでなく)。再び「命がけ」(スパーリングだとて)。フリチン・ザ’ロッキー’・シルベスター氏や小林ザ’助教授候補?’(福岡大学兼東京大学なの?)よしのり「大先生」とかにわかるかなあ~。ここでまた「マンガ」解説を入れますね☆
(2)、ジョー(週刊少年「マガジン」連載):
ー少年院で力石が暴走’豚’たちをぶんなぐって蹴ちらし。ジョーの脱走を阻止するところ(その前豚小屋で殴ったジョーのパンチはちっとも効かず。他のに笑われていた)。あとの「牛」とおなじく。「タイソン」や「フォアマン」がベストパンチを当ててもおそらくびくともしないでしょう。「がんばれ元気」の天才関拳児氏・無敗無敵全勝(全KO勝ち)・20度以上防衛?(全部KO)同じく元気も全勝(全KO勝ち)
ーヒグマを脳天一発パンチで「くま殺し」(それをかついで山からおりてくる)も関拳児無敵王者だとはいえ)
ムリな相談(熊殺し極真ウイリーでも「殺せ」はしなかった)。特に「ヒグマ」はボクサーの必殺パンチどころか。子ずれの母親熊だったなら。銃の連発でもそうは簡単に死なない。繰り返し襲い掛かってくる。狩人側全滅も少なくありません)。
ー明日のため第一「ジャブ」。もあんな面倒な能書きに立脚。理論的にもおかしい打ち型はしない。右ストレートもそう。元新人王13連続KO無敗の記録をもつ力石との第一戦。おそらくあれだけでジョーは再起不能。もしくはダメージが残り、打たれもろくなって。大成はムリだったでしょう。また「クロスカウンター」の最適チャンスを狙うために「打ちまくられ」「倒されマクラ」なきゃいかんことなど一切ありません。無関係。あんなのが一発当たった(しかもロープの反動を利用=反則です)て「共倒れ」にはならん(しかも「30分、いや一日たっても」立ち上がらない。のはジョーだけ(苦笑)。おそらく力石をちょっとふらつかせる、か、うまくいってせいぜいしりもちをつかせる程度だったはず)。ーこれは梶原氏得意の「いいかげん」「誇張」「無知」ながら。時に例に出す、「実在の」ボクサーたちのことも間違いがおおい(ろくに調べていないのは明らか)。梶原氏の格闘技・最強自己系列でいくと。1、極真空手 2、キックボクサー・マーシャルアーツ(アメリカ。空手とキックをまぜたもの)3、他の空手 4、柔道 5、プロレスラー(猪木・馬場(笑)6、にやっと「ボクサー」(>_<; そんなに弱くねえよ・・・。
ー力石のムチャクチャ減量。タイトルすら賭かっていないジョーとの対決のためにあんな無謀極まりない(「一戦」(それも下積みの「8回戦」時代に)のために「死」「命」まで賭ける必要もないでしょう。いかにあの時代とはいえ。もしどうしても強行したいなら、’ウェート調整’なりいくらでもあったはず(これは一歩もいっしょ。個人的「約束」のためにときには「拳が潰れる」危険を犯してまで。ほとんど独断で、方針を転換(ありえません)。ボクサーが目指すもの。ふつうは「高校友情ど根性物語」あるいは「大学生サークル」合コン延長式、女のとりあい酒飲み一騎打ち(タイマンの延長?)。ではなく「世界チャンピン」。なハズ。
それに全体として「ボディーブロー」が軽視され正しく描かれてない。
はじめの一歩(2):
ーまず、一巻で「高村」選手がいじめっこたちから一歩を救う場面。あんなすれ違いざまに5~6人もいる。相手たちの学生服「ボタン」をぜんぶかすめとる「旋風機かおのれらは」。これも「タイソン」「パッキャオ」「辰吉」でも実行不可能。たとえばよく他のもふくめて「ハエ」をつかんだりパンチで吹っ飛ばしたりがあります。「がんばれ元気」(週刊「サンデー」連載)など(むこうみずな素人考えの典型。ボクシングの練習に「葉っぱ」「ボタン」「ハエ」*などまったく関係しません)。これまた「趣味」の読み物ですので森川氏の。彼はボクシングに詳しく。ときどき解説ゲストにも呼ばれている。だからどうなんでしょう?「カマトト」しょせん「商売第一」。娯楽フィクション「マンガ」ですから。別にイチャモンつける気は毛頭ありやせんやあ~旦那あ~(^_-☆*日本「蝿」=特に「敏捷」さ北米のに3倍の「日本」(こっちは虫すら動きは緩慢であります(苦笑)バエ相手にはできもしない相談(「つかまえる」ことはできるかもしれませんが。タイソンだとてせいぜい日本に来たとき「鳩」をつかまえて「反射神経の鋭さを示した」(91年。二回目の来日*巻末脚注1初黒星ボクシングマガジン)程度。
ー「一歩選手」はタイソンスタイルがすべて基本になっている(これは描かれています)。しかし「ウィービング」*(頭を振る)の練習を公園の「鉄棒」でやる必要などありません(逆に頭をあてて負傷したらもともこもない)。ふだんは大抵「ヒモ」か「細い縄」をはって「ジム」でやるもの。特にタイソンの場合、あの動き(通常のウィービング)に加え。「ハノ字」型といわれる左右への頭の振りと半々(そっちも描いてほしかったです。一読者としては)。さらに「ダマト・タイソン」時代なら一番(ナンバーシステム)の鉄則。「左ジャブ」「左ストレート」から入る。これもまったく無視されてる*巻末脚注2
ーまた高村選手が「試合前のウエート調整でシャワーを浴びられなくなる。「乾ききった体が水分を吸収してしまうから」もほとんど無関係といっていいでしょう。誰でも「汗」を流さなくてはいけません。それに水分を吸収するといった症状はあらわれない(一応医学関係ですので)。
ーロードワークはジムでの「練習中」。勝手に何度も飛び出して行って。走るものではない(タイソンは4時起床。5・6キロ走るのが日課だった。日本の歴代王者みんなそう日本選手は約3倍も毎日走った(20~30キロ)。毎朝。全回出した歴代チャンプたち以外。渡嘉敷、辰吉、薬師寺、飯田、戸川・西岡などなどみんな。「選手の自主管理」もっとも重要なこと。「早朝」仕事に行く前にみんな走る。これまた「ジム」(われわれの頃は「道場」に近かった)あんなに「シモネタ」まんさいでニコニコ、爆笑なぞありえない。あんまり選手同士で「冗談」はおろか。おしゃべり(しかも練習中)など論外。話などもあまりしない(練習後の一斉掃除が終わってからせいぜい)。
*しょせん、殴り合いです。血もながれ顔や口もきる(脳に打撃も加わる)。「健康」「ダイエット」のためにやるのは「ボクセサイズ」みたいな「趣味」だけ。あと「ヘッドギアー」についても大きな誤解。あれは別に「パンチの威力」を軽減させる(多少は違うのカモしれんけど)用じゃない。切ったり・バッティングの「怪我」「傷」から顔面を守るもの同じく「マウスピース」=口の中を切る=ためじゃありません「舌を噛まないよう」)こんなんしてたところで。一発まともに食らっただけで口の中なんかすぐ切れる(もう一発で「両方」から鼻血・呼吸が苦しくなる)。ぼくなんか逃げ回ってると会長の逆鱗にふれ。ヘッドギアーをとられたりもよくあった(苦笑)=その当時は「六オンス」や「10オンス」でスパーリング(今はだいたい「14オンス」(アマの公式戦も)「命」を賭けた「死ぬか生きるか?」の戦いだということ。
ー「宮田」くんは「カウンターパンチャー」として一世を風靡したさる日本選手のこと。「間柴」選手はハーンズという6階級王者(アマ132勝18敗・デビュー以来・32連勝(30KO)・確かに「フリッカージャブ」のことはだいたいあっています。しかし「なぜ?」「なんのために?」の説明が不十分だし誤解している(あまりに専門的過ぎるのでいつか・・・)。あのスタイルで重視されていた遠い距離からどんどんまっすぐ。速くて鋭い左右ストレートの強打をコンビネーションで放つ。その中に鉄則として「ボディーブロー」が抜けている(タイソンもいっしょ。ボディーブローが強打の連続に半々くらいに組み込まれています)。まあ、「娯楽・趣味」だからしょうがないけすけど
ー「宮田」くんの「カウンター」について。これまた「とにかく毎日打たれぶっ倒され」学んだそう。おそらくデビュー前にボロボロ。廃人の可能性ありです(「打たせず打つ」の鉄則から外れ「危険」な方向に持っていく。傾向は日本的(ボクシングをあまり知らない「カミカゼ」方式。といえるでしょう)。あの「カウンターに勝るカウンター」もジョーの「ダブル」「トリプル」クロスの空想展開といっしょ。
また全日本新人王戦で「浪速のロッキー」が拳の負傷で棄権。しそうな一歩選手のもとにわざわざ単独上京して(これまたシモネタまじり)「果たし状?」を突きつける・・・。「会長」「指導者」に断りもなく、ありえません。日本の「ジム」とはアメリカ(いずれ相違を詳しく☆)などと正反対の構造。「ジム」に所属しなければ試合にもでれない。「選手」にあまり自由などありません(また「指導者」なしに「選手の自主管理」で「キャンプ」も行うなどムチャな話)。
ーくわえてふつう。「選手同士」で勝手に「教えあい」「助言」なども厳禁なはず(キャンプの「5セット」25R方式で高村選手(もしかしたら「全権委任」でコーチも兼ねる・・・ありえないなやっぱ)が「おまえの左フック。角度あめえぞ」(独断専行の越権行為)。「会長」と「トレーナー」の指示に従うこと。っとやりだしたらまさにきりがないので(苦笑)あのアマ74戦無敗・元全日本学生チャンピオン故カマチョ*早見選手(初回一歩選手の豪打にあえなくKO負け)。彼の方が一番楽しみだった。ユーリと「浪速のロッキー」じゃなくて同門ながら早見とやってほしかった。元アマエリート東西対決。あと、あんな左アッパー日本人じゃまず打てないよ(しかもカウンターでなんて)1、不幸にも素行の悪さは晩年もいっしょ。2009年。麻薬がらみの銃撃戦で祖国プレルトリコで射殺。戦績わすれたよ、アマゴールデングローブ優勝ニューヨーク育ち(スペイン語は英語といっしょであんまりうまくない)たしか78勝(31KO)4敗享年50歳2、皮肉にも無二の宿敵だった同国人チャポ(ニューヨーク・タイソンは無冠時代19歳前座に出場)もとっくに死んでしまった(享年38歳・動脈瘤の発作・麻薬の過剰摂取・朝、両親の家で死んでいるのを母親が発見)。スーパー対決(28勝(15KO)無敗のカマチョ対チャポロサリオ23勝(19KO)一敗の前王者・5回と11回に左フックから猛連打。もう少しでノックアウト判定負け・ひどい地元判定サンファン育ち・英語なぞむろんできない・タイソンの同僚・平仲が初回ストップした選手=続いてランドール(ダウンの応酬後)との再戦に7回TKO負け)突然の訃報前、別れた奥さんの家に子どもに会いに「不法侵入」逮捕・でも再起後3連続KO・世界ランクに戻ってデラホーヤとやりたいといってた。41勝(35KO)6敗(19歳で18連続KO無敗・25連勝(24KO)=公式戦は20勝(19KO)・20歳で戴冠。ライバルのいっこした(ずるがしこいクリンチばっかりの「超特急」と違ってハノ字に空いたガード(そこをチャべスがボディーブローで攻めた)とカウンターパンチャーである以外はタイソンにちかい。鉄壁の防御と最強の一発パンチャー。前年同胞バスケス(渡辺雄二を5回KO+ビクトル・ガジェハス(とっくに引退)もいっしょ)の取りまきで来日。全然注目されなかったけどおそろいの日の丸の鉢巻をしてチャンピオンベルトを掲げ。先頭でリング入り、ジムでもいっしょに練習してさすがに往年の天才的勘と切れ速さは衰えたけど。まさか「動脈瘤」=防御勘天才でも併発する危険大・パーキンソンや網膜はく離といっしょの「職業病」といっていい。この選手の全盛期はまさしくそうは簡単に当てさせず。一発のカウンターの破壊力は左右どんなパンチでもミドル級なみ・平仲選手が勝ったのはもちろん偉業・けどその頃はもう晩年・試合によってムラがあり・悪い癖・相手をなめていた)。ボクシングはあんまり「ニコニコ」浜辺で「花火」やったり。ロードワーク中に女のケツを目指してダッシュなんかしないんすよ・・・(~_~; ボクシング=殴り合い・野蛮・野獣=人並み以上のスケベ男に違いない=ラウンドガール(一枚一枚薄着になっていく)ど素人の’妄想’は困るもの(苦笑)
あの旧ソ連から来た選手(ユーリ・アルバチャコフ・世界選手権優勝アマ世界チャンピオン・163勝21敗・プロ24勝(15KO)1敗・通算防衛9度(4KO)。
ー帰国するとき一歩選手が見送りに。「私の国にプロボクシングはない」から’引退’をほのめかす。これまたあの時点ソ連社会主義はすでにコッパ微塵に粉砕。「プロ」はロシアにも旧ソ連邦構成共和国どこでもあった。さらに「北朝鮮」でも「プロ」はあります(「鎖国」内とはいえ日本でデビューしたバルセロナ五輪金のサウスポー巧打者チェ・チェルスー選手もプロ「世界王者」(北朝鮮内だけながら)になりました)それに「日本」を離れたとてユーリ?選手ほどの元トップアマなら。アメリカ、欧州(ドイツを主戦場にしている旧ソ連エリートアマたちは一番多い)、豪州(ユーリと同じチームだった甲乙つけがたい同じく元アマ世界王者の選手もいた。プロでも大成功)いくらでも選択はあったハズ。また、ジョーとおなじく。「スパーリング」が軽視されている。「実戦」感覚を磨かずに試合に勝てるわけもない。最後に:また、海外での日本人選手世界戦14勝117敗。海外では本当に弱い(それはボクシングだけでなく。「島国」「自分の土俵」から出た。ことを考慮)。
ーこの14勝のうち沖縄出身選手が占める割合:
1、具志堅の先輩上原康恒(初挑戦敵地ハワイ(地元の英雄王者ビラフロア(フィリピン)に2回KO負け・次、デトロイト・ジョールイスアリーナ。スーパーファイトのセミファイナルで11度防衛の安定王者セラノ(プエルトリコ)を6回右フック一発でKO戴冠)*
2、平仲明信(初戦イタリアでアルゼンチン王者に挑む。3回に2度ダウンを奪いノックアウト寸前。メイラン氏ににたような独断専行、ヘマをよくやるレフェリーが邪魔したため逃す。ダウンを奪い返され12回判定負け。次はメキシコシティで衰えたりとはいえ「カリブの天才パンチャー」2階級で合計4度王座についたプエルトリコのスターを初回ストップ勝ち。見事でした「彼は崇拝してるからチャべスと戦わないそうだ」(DP)「この男が強いのはわかってたまさに「カミカゼボーイ」だ」(ドン・キング)*弟の信敏氏は不幸な交通事故で故人となりました(もう10年前)兄は「弟には厳しく苦しい鍛錬を課してきました」と涙を流していました(享年27歳・元日本王者・世界に二度挑戦・どちらとも相手が悪すぎた強打のスター選手・アマ戦績も申し分なし
3、沖縄とは無関係ながら。西岡選手は世界的難攻不落の強敵相手に3勝(ラスベガス・メキシコ・ラスベガス)メキシコの敵地で地元英雄戦慄の豪打者を3回。左一発でロープ外に叩きだした金星☆あとは「117敗」。まあ、「娯楽」「趣味」の分野ですので。「沈黙の艦隊」にしろたんなる個人批評に過ぎませんので。平和祈願☆安楽熟睡☆熱射病などお気をつけくださいませ。
*1実際はタイソンの「8回KO勝ち」。練習不足、調子は優れずおされっぱなし。しかもスタミナ切れ。起死回生の右アッパー一発でダグラスを横転させた。あのメイランレフェリーは数々の大試合で。似たような不細工をやらかした「おかしな」レフェリー。一般にいわれる「ロングカウント」。正確にはボクサーがダウンする。その瞬間から。リングサイドのタイムキーパーが「1、2」とレフェリーに指で示しを送る(見えやすいように白の手袋着用)。メイラン氏がカウントを数えはじめたときすでに「4~5」。そこをまた「1」から数え始めた。ダグラスがふらふら立ち上がったときですら「9」(実際は「14」)。さらに、義務づけられてる。「ファイティングポーズ」も「続行可能」かの問いすらせず。「OK!」とおっぱじめさせた(このお方、こういう奇怪なことたくさんするんですよ・・・とくに「ビッグ・ファイト」で(>_<; すぐにゴング。これがが事実でした。10回逆転KO負け。初黒星37勝(33KO)1敗。さらにむかし「ロングカウント」で問題になったヘビー級の試合があった。その場合は倒した方がレフェリーの指示に従わずにうろつきまわったのが理由。タイソンはちゃんとニュートラルコーナーに立っていた。試合後「もちろん終わったと確信してた」とつぶやいてた。
*2師匠ダマトの死(1985)続いて兄貴分共同プロモーターのジム・ジェイカブス氏も病死(87年)。21歳。全盛期最後の大一番。無敗のマイケル・スピンクス(33勝(22KO無敗・アマ・兄レオン(L・ヘビー級・8戦目でアリを破る金星)とともに兄弟初の「金メダル」76年わがカナダモントリオール五輪(ミドル級・プロ入り後L・ヘビー級王座統一11回防衛(8KO・その頃マイケルの右は「ジンクス」と呼ばれるほど強烈。一発で終わらせた試合も多い。ただ86キロ以上のヘビー級相手には「へっぴり腰」「コンニャク戦法」しかできず。しょうがない)*との決戦前夜・・・タイソンが取材に答えた言葉、
「ジムがいたころは誰もぼくに近づいてこなかった・・・今はいろんな人たちが「助けてやる」「頼っていいぞ」と取りまいてくる・・・現状はそれほど悪いわけではないんだ。ただぼくひとり「正気」でまわりはみんな狂ってるように感じる・・・」(21歳。素朴な青年だったんです。後、不幸にも彼の代名詞になってしまった「問題児」「罵詈雑言・暴力的」・・・当時は口数も少なく寡黙。毎朝走りがんばって練習していました。女癖はその頃から悪かったけどボクシング一筋。ですので。精巧に組み立てられていた「ダマト・タイソン」スタイル。スピンクス戦以降は「ただの雑い一発屋」(ジャブも出ない。連打もない。バランスも悪い)「打たせて打つ」ハードパンチャーとなってしまった。40歳までの終身戦績52勝(44KO)6敗2NC・・・「マニアの一人」として残念でならない。21歳の時点で。まだ発展途上「70%」ほどしかできあがってなかった「ダマトタイソン」・・・その後は、彼の潜在能力「50~60%」程度でしょう。興味がある方は、Youtubeいくらでも「ダマトスタイル」時代と「ふりまわし一発パンチャー」になってしまった後。見比べてみて下さい。悲しいです。だから多くの方がなじみのある「タイソン」(われわれの間では「ダマト・スタイル時代」「ダマトタイソン」と呼ばれる)はその頃のせいぜい40~50%のまま。40歳まで。残念でなりません。トレーナーも代わり。「打たせず打つ」(それまでまず当てさせたことなはい)。スピードを非常に重視。きめの細かい動きから「強打の連続」・・・雑な打たせて打つ「パンチのある一発屋(連打も消えた)になってしまった。元トレーナーのルーニーー氏*2001年のインタビューで「今の彼はただのパンチャーだ。頭もふらず上体の動きもない。ガードも低い・・・もし彼に打たれたらKOされる、でもあなたが当てたら逆にノックアウトできるでしょう」。というもの。*(アマ200戦・ダマトの兄弟子・同門の兄弟みたいな育ち(ただ白人アイルランド系・ダマトもイタリア系)プロ元世界ランカー17勝(7KO)2敗(日本にもなじみのある2人、三冠王の故アルゲリョ(自殺享年51歳・ロイヤル・小林18勝無敗(16KO)を5回KO)も三原正を6回3度倒した圧勝でタイトル強奪の故デビー・ムーア*スピンクス兄弟・億万長者マイケル(本当に兄を自慢にして尊敬してたんです。だから自分のキャリアを休んでまでセコンドについてた「やったぞ!俺の自慢の兄貴がアリに勝ったんだ!!」(かつてよくいじめっこから助けてもらったそう)レオンの人生はもっと悲惨。今は息子が世界王者になったりもあるけど。契約とオカネに翻弄された生涯。たとえば30億稼いでも25億は他にとられてしまう。だからその前に使っちまえ。と派手にやらかした(カネがあるところには人がくるものです。まさに「カネの亡者」)。おかげで肝心のリマッチでアリに完封負け。ラリー・ホームズに3回KO負けした頃が峠。あとは不幸にも「猪木」「大仁田」とボテボテキングコングみたいなあわれないでたち。
*上原康恒選手は弟のフリッパー・上原(元日本王者・敵地アフリカのガーナで挑むが惜敗)ともども五輪が期待されたほどのアマ名選手。みごとな戦績。特に兄上原が一発KO戴冠する一試合前。セラノは「日本」で風間清(バトルホーク・上原とはアマ時代3勝2敗)を相手にせず圧倒(風間は1年のブランクもあるセラノのビデオをみて、完全になめていた)13回ムチがしなうような左右アッパーの連打にさらされストップ負け(完敗です=風間試合後)。キリがない「ヲタ」(同人誌向けを慎むを忘れず)なのですけど。もうひとつ悲しい話を。
ー不幸な事故死。NY出身の黒人。アマ全国大会王者・9戦目で三原をKO・3度全部ノックアウト防衛(二度目は秋田で工藤から大差の判定でタイトルを奪ったアユブ・カルレ(ウガンダ)・アミンの暴政時代にデンマークのコペンハーゲンに難民として保護。アマ世界王者・プロ4度防衛無敗の35連勝(18KO)スター選手に負けてムーア戦時は40勝(19KO)輪島功一と一勝一敗のアルバラードを初回KOふくめ)12戦目(9KO)・デュランにKO負け・享年40歳・自宅前の坂道。路面が凍結していた。ロックしてしまい下がってきた自家用車を止めようとして巻き込まれ即死・悲しい最後・ボクサーは結構不運な悲しさがいつも取りまいてるんです。対人が苦手な人も多い。「ムーアとの無敗対決・世紀の一戦」とさわがれた・・・さるテキサス州サンアントニオ出身のメキシコ系天才ボクサー。21歳・アマプロ無敗22連勝(19KO)・世界一位を3回強烈にノックアウト。しばらく立ち上がれないほどのダメージ(世界挑戦経験者のアルゼンチン出身サウスポー)。でもアヤラ(父シニア*兄マイク(元世界ランカー)親族ポーリ(辰吉と対戦・6回負傷TKO負け)*幼児虐待や性的暴行を受けた不幸な育ちで。酒と薬、暴力衝動(感情を抑えられない)にまみれ大問題児。前述の故ムーアとの無敗対決(指名挑戦者1位)が楽しみにされていた。ただ上の前哨戦前、泥酔したあげくの住居不法侵入(真夜中)。婦女暴行事件を起こして2度の前科。アル中リハビリでKO勝ちし、世界戦を1カ月後に控えたある日またおなじことを。当然有罪懲役「35年」。塀の中に消えた。しかし36歳(あたまの禿げ上がっていた)。模範囚として更正仮釈放で15年ぶりに出てきた。6連続KO勝ち。元世界王者との一戦で拳を痛め8回終了棄権TKO負け。プロアマ初黒星。けれど8千万円のファイトマネー。待ち続けた奥さんと新居も購入。私はこの更正ぶりにうたれ日本の同人誌に投稿が載った。まったくもって・・・これほど人が嫌いになったことはなかったかも。なんと18歳の顔見知りていどの女性宅に真夜中不法侵入。しかも「泥酔」(麻薬も)。ライフルで肩を撃たれて逮捕。婦女暴行未遂などで有罪。72時間の社会奉仕(アヤラは「やらせ」と主張・信憑性0%)・執行猶予中に3戦(2勝(1KO)1敗KOまけ)。探査装置がふくらはぎにつけられた醜態(逃亡防止と州以内のみの行動・夜間外出禁止)。2003年。無免許及び泥酔・麻薬使用での自動車運転(しかも信号無視)。大量のチャイルドポルノ雑誌やDVD。ようするに「変態」「精神病質者」(サイコパス)だっただけ。15年の刑。2014年、シニアが死んだとき刑期はあと二週間。特別許可で葬儀に出席(あの元奥さんもいたのにびっくり)。涙を流していた。その直後、出所。いっさい公にでず。親族のジムトレーナー手伝い。覚醒剤の過剰摂取(OD=Overdose)で死亡。享年52歳)。でも「ケンカ」じゃない。試合後みんな笑って抱き合うでしょ。健闘を讃えあって。ボクサーは現役中はあまり話はしないんです。ゴロマキ権藤氏談=「元ボクサーと現役のボクサーじゃ雲泥の差があるんだよ」まさにそのとおり。ボクシングヲタはこの辺で☆一般読者の方すみません☆ひとつ助言。辰吉批判でもなんでもない。無理からぬことながら。アヤラが「’Rematch(リマッチ)してくれるか?」と何度もたずねてました。わからないのはしょうがないこと。ただこうしたばあい「ワンモアーOne More」では通じません。事実肩をおとしてリングから降りようとしているアヤラには伝わっておりませんでした。だから「リマッチ」。これからのために。
ー特に康恒兄は「日本人キラー」(全勝いつも大勢ひきつれて物見有山旅行気分で来日。柴田がタイトルを奪取するまえ)とよばれたリカルド・アルレドンド(浜田と一勝一敗長身の強打者レネの長兄=事故死・次兄千葉・アルレンド(元日本王者・あまり才能はなかった)を後楽園ホールでのノンタイトル。一方的に攻めまくりノックアウトこそ逃したが何発も有効打を食らわせ大差の判定勝ちの金星(氏の「一発」の破壊力は後輩大学・社会人王者五輪(ロス・ソウル)二回出場の「一発屋」(東京生まれの沖縄人東悟)のパンチャーとおなじぐらいの威力)浴びせフラフラにした(敬愛する沖縄・琉球魂の真髄)デトロイトはいったことないけど。こっから車で4~5時間です。ハワイでの初挑戦。初回上原の右ストレートが前に出てきたチャンピオンの鼻っ柱をドスンと打ちぬく。明らかにきいていた。上原は強気の打ち合いに出た。それが裏目に、サウスポー戦慄の強打者ビラフロアは打ち合いならまず負けない。初回に倒され。二回、ストップ。だから本当に嬉しかったです「夢のような30歳・天国のおやじみてくれ!」(クエバスVSハーンズ、ケンティVS呉ばかり(デトロイトスタイル好きなので)考えたたら。中央線のなかで前の人がデイリースポーツ。おもわず「やったあ~」って朝っぱらから大声(の小学生’拳キチ’番外編☆一般読者の方、失礼しました。ロイヤル小林氏(元ミュンヘン五輪代表を蹴ってプロ入りアマ32勝(27KO/RSC)5敗・プロ世界フェザー級王者・35勝(27KO)7敗)とならんで一発パンチならあの「ヘラクレス」(ロッキー・スケベコブラ・ポルノー氏(「プロテイン」「ステロイド」・自業自得エセ「スポーツ」障害になってもしらんぞ?ホンマモンの豪快な一撃。スタローン氏はまちがいなくまた「救急車」。全治一ヶ月まちがいないでしょう・・・(-_-; おれ冗談抜き。まじスパーやってみてえよ。おそれおおくもタイソンやチャべス(デビュー以来89連勝(74KO)3階級制覇)、ジュー(ユーリやナザロフと同じ国家強化合宿時代からの親友。豪州(アメリカと日本を蹴って)デビューのユウリ(世界選手権モスクワ大会・89年・金)ジュー(祖父のひとりが韓国系のハンサム・同シドニー大会・91年全部ノックアウトで金)。スカウト合戦でオーストラリア。アマ251勝11敗(178KO・RSC=レフリーストップコンテスト)・ソウル五輪三回戦敗逮・ユーリ同様アマ時代「北朝鮮」の大会にも出場)プロでも二度戴冠’。10度防衛(8KO)。29勝(24KO)2敗。っとこの「ロッキー・フル朕」さんが真ん中で拳をあわせてる写真「タイム誌」。てめえだけ余計なんだよこのやろう「ロッキーのヌード」(題名思い出したよ。エロ本ごろごろの悪友の家で読んでたらでてきた。10ページぐらいあってまいっちゃったよ・・・)。マッチョの中のMucho Machisumo 兼Racist(イタリア系がデカイ黒人をぶっとばす。死ぬのはいつも黒人)。あんたは人格としても低俗なのでは(他のコブラだアフガンもふくめ)。軽蔑します。きょうはいささか荒れてまして・・。失礼しましたPS:7.26日新番外情報ひとつだけニョドオ氏の「音楽」は大好きだよ。とくに「Hearts on Fire」なんか。いっつもタイソンや他のスターたちの紹介でかかってたから。いつもiPodで聞きながら走ってる。おもろいもんだね。たぶんおおくの「マニア」はいっしょ。現れるのは「真のマッチョ」だけ。マッチョザ・超特急チンチン・シルベスター氏など0・5秒すらあらわれたことない。でもさあ、「ロッキー5だかバルボア」だかわからんけんど。トミー・モリソン(元WBOヘビー級王者・左フック一発の破壊力はすごい・でもこれもインチキ「師匠」ににて根性不足で打たれ弱い(41勝(37KO)5敗・ジョン・ウエインの甥)。それに「HIV」感染しちょる(感染危険・対戦者に断られて・来日一戦(もう下り坂のころ)フルヌード家元にもどれば、脳内出血・事業失敗・財産喪失・貧困地域(黒人もおおい)。息子はいじめられるけど「朕怪力腕相撲」とうちゃんの「マッチョ式」生きかた伝授により強化。女の子にもモテモテ・・・おれの相棒NY黒人とみてたから怒り狂ってたよそいつ(笑)。おまけに「路上喧嘩」(いくら「脳内出血」だかしらんけんど)がクライマックスってのは・・・「保育園児紙芝居優勝者」なみなのでは・・・おまえもそろそろ「過去」を反省でもしてせめて。ステロイドやプロテインにバッカ頼らないで「鍛錬」真剣にやってみたら。腕立て伏せ毎日30回(できねえだろうどうせ)。ガッツ石松「’カン’バック」ってなに?「カム」じゃないの?「Coming Back」でもないし「Come back came back」・・・「カン」ってのからしてすでに内容はスタローン氏の日本版。ぐれたがきなんぞぶっ飛ばしてメシくわせりゃなおる。こずかいあげて鬼怒川温泉つれてきゃいいんだ。同レベルだね(日米小学生映画大賞)でも開催したら(ガッツ氏のは残念ながら内容もちがった次元でひどく。興行的にも大失敗。ホント、ちがうところで抱腹絶倒させてもらったよ。特にグアム旅行。ゴリさんや高木みよ(ティガで「出動」ってのはびっくり。お久しぶりでえねえさん)家族と風見章子女史「お水遊び」するところ(しかも「小川」(渓流で「グアム」?)・・・あんなこといいとしこいてやる家族っているんかね。楽しさ満悦の風見章子女史のどアップがスローで2回のときは。腹筋強化=転げまわった大爆笑だったよ(なんてのとは正反対・努力と根性で鍛え上げた肉体(対脂肪率4~5%)。日本人ボクサーで「減量」に失敗する選手など名選手ならひとりもいない。鉄壁心